訂正可能性の哲学を読みながら、自分自身の思考様式に対する考えがふと頭に浮かんだ。ルソーの思考の二律背反性の話を読みながら、自分の思考もたまに矛盾する答えを導出することがあるが、それを単純な間違いとせずに、その矛盾を前提に深掘りしてみても面白いのでは、という気付き。
点数取りに行ってるのがバレバレだからね。過去の哲学者をまとめるのは良いんだけれど、3.不勉強の通り現実を直視できていない老害が恣意的に作った偽史が妄想本になってるだけだね。