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【2024年7月】最近読んだ本のご紹介

最近読んだ本をご紹介します。今回は5冊。

ジャンルは違えど、人間とはとにかく弱くて愚かな存在であり、だからこそ訂正しながら共に生きていこうとしみじみと思わせてくれた本たちでした。

それでは、順番にご紹介します。


📖東浩紀『訂正可能性の哲学』ゲンロン

🔖心に残った一節
ぼくはここからさき、きわめて常識的に、人間にはたいして能力がないので、人間の限界を超えることはできないという主張を展開する。私有財産と資本主義は克服されない。家族も民族も解体されない。格差も戦争もなくならない。人間はいつまでも人間としてくだらない問題で悩み続け、文句をいい続ける。ぼくは民主主義の可能性については、なによりもその前提で考えるべきだと思う。

『訂正の力』に続いて、『訂正可能性の哲学』を読みました。
今年に入って、東浩紀さんの著書は3冊目です。

当初、新書である『訂正の力』は『訂正可能性の哲学』の要約なのかと思っておりましたが、(その要素はありつつも)それぞれ独自のストーリー性があるものとして楽しめました。「訂正」を理解するには、どちらも必読だと感じます。

本書は、大きく「家族」について論じる第一部と、「民主主義」について論じる第二部で構成されております。

個人的には第一部が学びが深く、実用的な知識を得られたという実感です。特にアーレントの『人間の条件』も読み進めていることから、東さんのアーレントの読み解きがとてもわかりやすく、理解を助けてくれました。

第二部は著者によるルソーの考察が凄まじく、思想家とはここまで読み解くのかと、圧巻の一言です。。。

心に残った一節は、その第二部の序盤で書かれておりますが、過激な書き方ではあるものの、この前提はとても大切だと思うのです。

人間は人間に期待しすぎているのではないか。

人間をもっとわかりにくくて弱い存在として考えた方が、連帯したり、訂正したり、対話したりする意味を我々に与えてくれるのではと感じます。

「人間は弱い、だからこそ、そのさきへ。」

そんなメッセージをもらいました。

📖鈴木大拙『禅と日本文化』岩波新書

🔖心に残った一節
禅院は通例山林の間に在るので、そこに住むものは「自然」と密接な接触をする。そして、おのずから親しさと同情をもって「自然」にまなぶことになる。彼らは鳥や動物や岩や川やその他の市井の人々が気づかぬままにある自然物を観察する。彼らの観察に特殊なところは、それが彼らの哲学、むしろ彼らの直観を深く反映することである。

禅の魅力って何なんだろう?

そんな疑問から鈴木大拙のこちらの名著を読むに至りました。

この本を読んでよくわかったことは、禅は「武士のための宗教」であったこと。自己犠牲を厭わずに主君に仕え、「無心」の剣技を磨くために、禅が果たした役割はとても大きそうです。

同時に、茶室や俳句といった日本人の美意識に、禅が与えた影響は計り知れないことがわかります。

現代のわたしたちに、「潔く死ぬ美学」は持ち込まなくても良いかと思いますが、時代を切り開いていく創造性を育むには、自然を慈しみ、自然から学ぶ姿勢が重要だと本書を読んで改めて気付かされました。

人間の精神は、意識と無意識を統合したレベルで育んでいく必要があることはベイトソンの哲学からも学びましたが、奥底の「無意識」を取り戻すには、観察で生じる「直観」が大切になり、それにはどうしても自然の力を借りないといけません。

私自身、なんとなく自然の中でリトリートを開催しているのは、そういった理由からなんだろうな、と自分の活動を顧みながら静かに読了しました🌿

📖『パパラギ はじめて文明を見た南海の酋長ツイアビの演説集』立風書房

🔖心に残った一節
男も女も、まだ足の立ちそうにない子どもまで、平たく丸い小さな機械を身につけている。太い金属製の鎖に結び、首にかけるか、手首に革ひもでしばりつけるかして。この機械で時間が読み取れる。読み取り方は難しい。子どもは、その気になるように、機械を耳に押し当てられ、時間の読み方を練習させられる。

これまで何人もの方から『パパラギ』をお勧めされたことがありました。なぜそれほどまで『パパラギ』を読んだらいいと言うのか、ずっと気になっていましたが、読了したいま、「読んでおいて良かった」と素直に感じます。

「パパラギ」とは南の島々の人の言葉で、「白人」のこと、つまり彼らからしたら突然現れた「ヨーロッパから来た侵略者」のことです。軽蔑を込めて「パパラギ」と言っているようです。

その「パパラギ」の文明を目にした酋長による同胞への演説が巡り巡って本になり、こうして現代まで読み継がれています。

私は白人でもヨーロッパ人でもありませんが、文明に侵された人間として、自分は紛れもなく「パパラギ」だと思いながら読みました。
私たちが当たり前としていることが、けなされ、不幸と言われ、かわいそうだと語られる文章は痛快ですらあります。

いまの社会で生きていくことに必要だからと、時間の読み方やお金の使い方を子どもに教えてよいものかと悩んでしまいます。

欧米化されてしまっている生活を根底から変えることは難しく、文明か非文明かを選択することもできなくなってしまっている社会において、当たり前は決して当たり前ではないことを思い出す本として、多くの人に読んでほしい一冊です。

📖東畑開人『心はどこへ消えた?』文藝春秋

🔖心に残った一節
カウンセリングが始まると、彼は経営、パートナーシップ、子育て、社交、そして筋トレのあらゆることについて、緻密な戦略を立て、目標を達成してきたことを語った。だから、うつも克服できるはずだと言っていた。語り口は明晰だったし、ユーモアもあった。それなのに、私には、語られる言葉たちがひどく空虚であるように感じられた。それは一人で考え、一人で結論を出すモノローグであったからだ。私は彼の筋トレの動画を見せられている視聴者のようだった。

コロナ禍に週刊文春で掲載されたコラムを本にした東畑開人さんのエッセイです。なぜか、半年に1回ぐらい東畑さんの本が読みたくなります。

その理由を考えてみると、文体がとても優しく読みやすいにもかかわらず、自虐も入っていて身近な感覚で読める。本当にこういう感じでカウンセリングしてるんだろうなというのが本を通して伝わってくるので、彼の本を読むと、カウンセリングを1セッション受けたような読了感が味わえるからだと思います。

さらに理由をあげると、私はお仕事でコーチングをやらせてもらっていますが、コーチとして、常にカウンセリングに学ばないといけないという意識を強く持っています。

この本で東畑さんが警鐘を鳴らしているように、「カウンセリングはマイナスからゼロへ、コーチングはゼロからプラスへ」という切り分け(つまりカウンセリングは「病気の人」向け、コーチングは「健康な人」向け」という考え方)には違和感があり、人の心はそんなに容易いものではないと思っています。

コーチングをしてても、クライアントさんの気持ちが落ちている時は、うつに近い状態でセッションやるときも多いです。

心に残った一節の「彼」のように、孤独に苦しんで自分のことを語ることしかできない時(私もこうやって1人で考え、1人で結論出す時ある。。😓)って、なかなか他者との関係性を築くような世界に進めないので、目標を立てるよりもまずは人として聞いてあげるだけなんですよね。

コーチングをやるなら、もっと人の心の繊細な部分についてアンテナを張っていなければならない、でも専門書は難しい、そういう時に東畑さんの本は絶妙に的確なアドバイスをくれるのです。

現代は、個人の心がどっか行ってしまうのはとても普遍的なことなので、私もカウンセリングにも触れながら、さまよう心を見つけに行こうと思います。

東畑さんの「居るのはつらいよ」(医学書院)と「聞く技術 聞いてもらう技術」(ちくま新書)の2冊はコーチングやる人にはぜひ読んでほしいです🌟

📖『荘子 第一冊[内篇]』岩波文庫

🔖心に残った一節
手足や体の存在をうち忘れ、耳や目の働きをうち消し、この肉体から離れ心の知を追いやって、あの大きくゆきわたる(自然の)働きと一つになる、それが坐忘ということです
(大宗師篇より)

「無用の用」の考えに惚れて、内篇のみですが、いよいよ岩波文庫の『荘子』も読んでみました。

とにかく力を抜いて生きなさい。

そう優しく説いてくれる荘子。

何で人はこんなに力んじゃうんだろうか?

脱力の先にこそ、あなたの自然体がゆきわたる人生がきっと待っている。
それが「坐忘」であると。

やっぱり好きです、荘子の待ちの美学。

常にこのような心持ちでいたいものですね😌

以上5冊でした。

読んだ本はインスタでタイムリーに紹介しているので、もし興味ある方はぜひフォローしてください😁

〈instagram〉
https://www.instagram.com/masaki.tomaru/

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