【ニュース感想文】【東浩紀】「人類一丸はありえるのか」現代社会のジレンマを問う
こんばんは!
現代社会について考える時間です!小栗義樹です!
本日は、僕が気になったニュース記事を題材に感想文を書く「ニュース感想文」を投稿させて頂きます。
本日の題材はコチラ
【東浩紀】「人類一丸はありえるのか」現代社会のジレンマを問う
です。
ニュース感想文の中で、インタビュー記事を扱うのは初めてのことです。インタビュー記事の場合、質問に対してのその人の考えが文章になっています。ですので、そこに書かれている事はその人が考えた事実であるという反面、基本的には対話なので若干の矛盾が生じていたりもする。
この事実と矛盾というズレみたいなものがインタビューの面白さなのですが、感想文の題材としては若干扱いにくくもあるわけです。
感想文ですから、質問に対して解答する人の事を知らないと文章を書くのが難しいという問題や、インタビュアーと解答者が同じ目線で話をしていないと、そもそも記事が成立しないという問題もあって、今まで何度もインタビュー記事を題材にすることは避けてきました。
にも関わらず、今回はインタビュー記事を題材にして感想文を書きます。
理由は、解答者が東さんだからです。
東さんは批評家・哲学者です。面白い本を沢山書いています。その一方で株式会社ゲンロンという会社を起ち上げ、出版やイベント事業などを行う経営者としての一面も持ち合わせています。最近では、シラスというダイレクト課金専門の放送プラットフォームを運営しています。長尺放送が特徴で、8時間近い生放送をやっていることもざらにあります。
僕はシラスの世界観がとても好きです。配信内容も上質ですが、何よりもコメント欄が上質です。1つの議題に対して、ユーザーがちゃんと考えた発言をしています。文章を生成する力が圧倒的に高いのです。
そんな考える事を生業にしている方のアウトプットですから、当然勉強になる事は沢山あります。今回の記事は、訂正可能性の哲学という東さんが書いた本の内容を基にして、現代社会に関する見解を述べるという建付けになっています。
この記事は東さんから読者に向けて問いかけられた議題のようなものだと思います。世界には解決されていない問題が沢山あり、それについて考える癖をつけた方がいいよねというのが、この記事の趣旨だと僕は捉えました。
少し話は逸れますが、この記事はニュースの目的を理解する上で最適な教材だと思います。ニュースとは知ってる/知らないで片付けて良いものではなく、ニュースの内容を知った上で、考えて自分なりの意見を持つことが目的です。
その考え方の1つとして訂正可能性というものがあるというのが、この記事の中で東さんが提示したいものの1つなのではないかと僕は思います。
この記事の中では、テクノロジー・ビッグデータ・環境・電力消費・戦争・気候変動などの問題が上がっています。一貫して書かれているのは、人が考えて関心を持つことでしか、こうした問題は解決しないというものです。
テクノロジーは発展しているが、現時点でこうした問題をすべて解決するには至っていない。ビッグデータをどのように活用すればいいのか?という問いに対しての答えも未だに出ていない。テクノロジーを使うためには電力が必要で、そうした莫大な電力は現時点で環境破壊からしか生まれないとされている。戦争でミサイルを一発撃てば、環境を破壊するCO2などが発生する。CO2が抑制されなければ環境が壊れるわけで、戦争をしている国や戦争を傍観している国がSDGsを唱えても説得力がない。
様々な問題から生まれる矛盾が浮き彫りになる現代において、本来その矛盾の一切を解決してくれると信じていたテクノロジーが、問題の中に組み込まれているのだから、やっぱり人は様々な問題についてもう少し考えるべきなのではないか?というのがこの記事の主張というわけです。
では、考えるとはどういうことで、どうすれば考えるという行動に至るのか?
その解答としては「小さな議論が必要」という事になっています。
こうした問題に対して、個人が意見を持ち、それらを発表しあうことで関心が生まれる。その導線をどのように引くかが重要であるというのがこの記事の最後に書かれています。
僕は答えが出しにくい、あるいは答えなんてそもそも出ないのではないか?というような難しい問題を、自分の近くに1つ置いておくことが大事なのではないか?と最近考えるようになりました。
考えることをクセにすることは、人生を豊かにするうえで大事な事だと思います。人が社会で生きていく中で、考えるべき議題があるというのは、個人の社会での生活を有意義なものに、張り合いのあるものにしてくれるのではないか?と思うようになってきました。
あわよくば、そうした考えるべき議題に対する自分なりの解答を、途中経過でもいいので人に話せるような環境があると、そこには健全な承認欲求があるから、自己承認への到達も早くなるのではないか?と思うのです。
もう1つ、この記事を読んで現代人の「議題を見つける力」は確実に弱くなっているなというのを感じました。誰かが見つけた議題に対して大喜利するという世界線が現代だと考えると、そこには責任感が伴っていないわけです。自分が見つけた議題って、他の誰かに穢されたくないって思うじゃないですか?
1人1人が自分で議題を見つける力を取り戻していけば、自然と考える力も身につくと思うし、その議題に対して同じように解決したいと思ってくれる人と一緒になることが出来れば、小さな議論も生まれるでしょう。
こんな感じで、とても気づきに満ちた記事になっています。ここ数か月の中で、最も濃い記事であったことは間違いありません。
ぜひ本編を読んでみてほしいです。宜しくお願い致します。
ということで、本日はこの辺で失礼いたします。
ここまで読んで下さりありがとうございました。
また明日の記事でお会いしましょう!