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訂正可能性の哲学

今日の本

『暇と退屈の倫理学』で、東浩紀さんがやたら推されていたので、読んでいる。
前々から、東浩紀さんに興味があったので、『暇と退屈の倫理学』の勢いで、いいきっかけができた。
東浩紀さんって、哲学者なんだとあらためて気づいた。YouTubeで見てて、見た目の可愛いさから、勝手に親近感があったのだけれど、偉い人なんだなぁと。

まだ途中だけれど、ユバルノアハラリとか落合陽一とかも出てきて、ワクワクする。

コロナのパンデミックにも触れていたけれど、医療職の私とは違う見解を持っていて、興味深く読んだ。ロックダウンに否定的なのかなと。感染症の歴史を知っていると、強制的な行動制限も致し方ないと、当時の私は思っていた。ペストとか、エボラとか、パンデミックは恐怖だから。しかし、東浩紀さんとしては、権力からの圧力には抗いたいとか、経済はどうするんだとかの気持ちのほうが強かったのかな。

コロナもまだまだ、現在進行形で、クラスターが発生している。それでも、ニュースにならなくなると、消えたような雰囲気になっている。社会で免疫を獲得して、コロナが変異により弱毒化して、以前よりは怖い感染症ではなくなっている可能性はある。でも、まだまだ、命に関わる感染症であることには間違いない。コロナ後の細菌感染で亡くなると、死因はコロナじゃなくなるマジックを世間の人は知らないのかもしれない。

今は、訂正可能性というタイトルのさわりがわかってきたところ。哲学の本は、結局どれもよくわからないのだけれど、読む本が増えれば増えるほど、同じ哲学者が再登場してくれるから、薄っすら薄っすら知識が積み重なる感覚が楽しい。
しかも、それぞれの本で解釈が変わってるのも面白い。

要するに、思考は人それぞれ。

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あめこ
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