Yonaha Jun

與那覇潤です。2023年11月に『危機のいま古典をよむ』と『ボードゲームで社会が変わる…

Yonaha Jun

與那覇潤です。2023年11月に『危機のいま古典をよむ』と『ボードゲームで社会が変わる』(共著)を出すのに合わせて、始めることにしました。基本は、掲載・出演情報を「おまけ」を添えて上げていくつもりです。

マガジン

  • 資料室

    主に執筆・発表等のために集めた資料を「打ち込んで保存する」ための記事たちです(汗)。なので引用長めですが、かえって価値があるかもしれません。

  • pork rillettes

    dis記事集(主に学問・言論関連)です。マガジン名の由来は、1本目の内容をご覧ください。なお、すべての批判対象をひとしなみに、その人物と同様に見なしているわけではありません。

  • 寄稿・出演情報

    與那覇潤が寄稿した論考や、出演するイベントの告知記事です。なるべく「〇〇に出ます」以外にも、おまけをつけるよう努力しています。ご予約の参考や、ビブリオグラフィー代わりにどうぞ。

  • espresso

    なんていうか、自分がどんな人かがいちばんよく「抽出されている」記事だけを足していきます。なるべくPRものや、他のマガジンとの重複は避けます。エッセンスを手短に読みたい方はこちらを。

  • ボードゲーム

    趣味のボドゲに関連する記事をまとめます。仕事だった歴史学については、第一にもう応援したくないし、第二に自分は何を書いても自ずと歴史の話になることに気づいたので、たぶんまとめません(笑)。

最近の記事

  • 固定された記事

「専門家なんかこわくなくなる」イベント4連続+αです!

ありがたいことに、この秋は敬愛する方々とのイベントがなんと4つも、立て続けに決まりました(驚)。 プラスして、おまけのご報告も。 ① 9/12(木)に、久しぶりに浜崎洋介さんとの文春ウェビナーやります! 好評だった前回に続いての、連載タイアップ企画です。冒頭無料部分のYouTubeはこちらから。 この番組は当日の流れを大事にするのですが、近日のnoteがそれ尽くし状態だった、専門家問題にはやっぱり触れていきたいところですねぇ(笑)。 たとえばウクライナ戦争、センモンカが

    • 資料室: ポリコレは、いかに「歴史学と反差別」を弱体化させたか

      一昨日の辻田真佐憲さん・安田峰俊さんとの配信は、議論が「歴史を語る際のポリコレの流行は、ある意味で欧米の中国化では?」という地点まで深まって面白かった。無料部分のYouTubeもこちらにあるので、よろしければ。 実は、たまたま再読中の森本あんり『反知性主義』に、こんな記述を見つけたところだった。2015年2月の本で、翌年のトランプ当選を予見したとも呼ばれる、アメリカ史の名著である。 初読の際に読み落とした理由は、2017年、うつからのリハビリの中で読んだこともあるけど、当

      • 嘘でも他人を「ミソジニー」呼ばわりすることの意外な効用

        はてなブックマーク(はてブ)というサービスをご存じだろうか。利用者はどこのサイトに載った記事でもクリップして、コメントをつけることができる。他のユーザーが同じ記事につけたコメントも、一覧形式で読める。 コメント欄のない(か、利用者が限られる)記事に対しても、感想を寄せることができる便利な機能だが、実際には気に入らない著者の記事を晒して、罵声を浴びせる目的でも悪用される。2018年には、逆恨みによる殺人事件のきっかけにもなって、社会を騒然とさせた。 で、先日このnoteに書

        • 宗教を持たないと、「歴史」を語れない時代が(再び)来るのか?

          創価学会の月刊紙『創価新報』の9月号で、同学会青年部長の西方光雄さんと対談しました。なんと(?)前後編で、来月にも続きが載る予定です。 紙の現物の入手は少し難しいかもですが、「逆F」で知りあいの創価学会の方に頼んでみるとか。また、聖教新聞Webの会員記事にもなっています。 それで、同紙ではこんな話をしているのですが、 実はこのテーマを意識したのは、2018年の夏、建築雑誌『GA JAPAN』の「建築史特集」での取材でした。いまは単著に再録していますので、そちらから該当箇

        • 固定された記事

        「専門家なんかこわくなくなる」イベント4連続+αです!

        • 資料室: ポリコレは、いかに「歴史学と反差別」を弱体化させたか

        • 嘘でも他人を「ミソジニー」呼ばわりすることの意外な効用

        • 宗教を持たないと、「歴史」を語れない時代が(再び)来るのか?

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        記事

          「タダコロナ」のつけ払い請求書が、来月から国民に届きます。

          週末にクリニックに行って、薬局に処方箋を渡した後、なんていうか「お喋り好き」っぽいおばあさんの薬剤師に名前を呼ばれた。ところが顧客との世間話にしては、妙に気まずそうである。 そのはずで、要は10月から、ジェネリックの薬剤を選ばないと薬代が高くなる。概算だが、ひょっとすると倍になるだろうと言われた。そんな「不利益変更」をお得意さまに切り出すとなったら、言い澱まない方がおかしい。 「え、いきなり倍すか?」と聞き返すと、こんな感じの説明が続いて―― 「財務省の陰謀ガー!」にな

          「タダコロナ」のつけ払い請求書が、来月から国民に届きます。

          日本に必要な都市政策も、家族政策も「客家」が教えてくれる

          某党の党首選でも「政策論争」の必要が言われる昨今ですが、先月は国立民族学博物館が発行する『月刊みんぱく』8月号の「客家特集」にて、巻頭言を執筆させていただきました(後者のリンクから、全ページ閲覧可)。 客家のよみは「はっか」で、いわば漢民族内のマイノリティ。独自の生活様式や、食文化で知られます。 9/5から始まる、企画展「客家と日本」とのタイアップ企画。次の号が刊行されましたので、民博の許可をいただいて、拙稿の全文を掲載し、少しオマケです(アゴラへの転載もOKとのことです

          日本に必要な都市政策も、家族政策も「客家」が教えてくれる

          なぜ、学問を修めた「意識の高い人」がネットリンチに加わってしまうのか

          8月27日付で、筑波大学は所属する東野篤子教授のTwitter利用に関し、「コンプライアンス違反に該当するような事項は確認することができませんでした」(原文ママ)との回答を、ネットリンチによる被害を訴えていた羽藤由美氏に送付した。 違反は確認されないと大学が判定したのだから、「職場に迷惑がかかる事態はどうしても防ぎたく」てTwitterに鍵をかけた東野氏(原文ママ)が、鍵を開けての投稿再開をためらう理由はない。また周囲の研究者も、いまこそ「東野先生への批判は不当だった!」と

          なぜ、学問を修めた「意識の高い人」がネットリンチに加わってしまうのか

          資料室:「共産党話法」はいかに生まれ、世界に広まったか

          前回の記事の続き。このところも松竹信幸氏や紙屋高雪(神谷貴行)氏の除名騒動があって、『日本共産党の研究』(1978年刊)の頃に似た空気が生まれているが、著者の立花隆氏はなぜそうなるのかの理由をあっけらかんと、ズバリ書いている。 もちろん時代ゆえの制約もあり、立花氏はスターリン本人を「劣勢な知力」として描いているが、これは正しくない。冷酷なサイコパスだったスターリンは、裏面では第一級のインテリで、ブルガーコフ(作家)やショスタコービッチ(音楽家)についてはその芸術性を見抜き、

          資料室:「共産党話法」はいかに生まれ、世界に広まったか

          共産党化する日本?: 誰でもキャンセルできる「無敵の論法」の正体

          今月はTVなど人目を惹く業界でも、SNSでの失言で仕事をなくす例が続き、「キャンセルカルチャーの猛威」がようやく国民の肌感覚になったようだ。3年前から議論を提起していたこの問題の第一人者としては、実に感慨をもよおす夏であった。 そうはいっても因果なもので、もともと歴史学者をしていると、オンラインでの近日の流行に見えるキャンカルにもまた、過去から続く人類史の暗い伏流が流れていることに気づいてしまう。 立花隆『日本共産党の研究』(連載1976〜77年。ヘッダーも同書より)とい

          共産党化する日本?: 誰でもキャンセルできる「無敵の論法」の正体

          東野篤子氏と「ウクライナ応援ブーム」は何に敗れ去るのか

          東野篤子氏とその周囲によるネットリンチの被害者だった羽藤由美氏が、経緯を克明にブログで公表された。1回目から通読してほしいが、東野氏の出た番組に批判的な感想を呟いただけで、同氏に煽られた無数の面々から事実をねじ曲げて誹謗される様子(3回目)は、私自身も同じ動画を批判したことがあるだけに、血の凍る思いがする。 研究者どうしのSNS利用が、どうしてこうした事態に至ってしまったのか。手がかりは、今年2月19日に東野氏が行った以下のツイートにある。 これは、ネット用語で「犬笛を吹

          東野篤子氏と「ウクライナ応援ブーム」は何に敗れ去るのか

          日本人はなぜ、ここまで他人に共感できなくなったのか

          先週発売の『表現者クライテリオン』9月号でも、連載「在野の「知」を歩く」を掲載していただいています。綿野恵太さんに次ぐ2人目のゲストは、コンサルタントの勅使川原真衣さん。 勅使川原さんとの対談は、Foresight に掲載のものに続いて2回目になります! 従来もこのnote にて、記事を出してきました(こちらとこちら)。 掲載誌で改めて読み直したのですが、今回新たに提起した色んな論点のうち、いちばん大事なのはやはりここですかね。 色んなところで書いてきたんですが、平成末

          日本人はなぜ、ここまで他人に共感できなくなったのか

          資料室: 山本七平と「漁師めし」の日本論

          今月の8日に、ぶじ愛媛県の伊予西条市で登壇させていただいた。歓迎してくださった地元の学習塾「伸進館」のみなさま、および共演の先生方、改めてありがとうございます。 実は前月に体調を崩したこともあり、なるべくゆったりした旅程を組むことにして、前日は道後温泉(松山市)に宿泊していた。で、そこで狙っていた郷土料理があったのだけど、たまたま旅館の夕食の一部に最初から入っていて、こちらもありがたかった次第である。 ヘッダー写真のとおりの「さつま飯」。愛媛といえば鯛飯が名物だが、さつま

          資料室: 山本七平と「漁師めし」の日本論

          戦時に誤りを発信した専門家に「軍法会議」はないのか

          8月15日の終戦記念日にあわせて、前回の記事を書いた。実際には兵站が破綻しているのに「あるふり」で自国の戦争を続けさせたかつての軍人たちと、本当は(信頼に足る)情報なんて入ってないのに「あるふり」で他国の戦争を煽り続ける専門家たちは、同類だというのが論旨である。 とはいえまさか、ここまで即座に「そのもの」の事例が飛び込んでくるとは思わなかった。元の報道は14日付の米国紙WSJだが、以下の読売新聞の記事が概略を押さえている。 ポイントは、 ということである。むろん逮捕状が

          戦時に誤りを発信した専門家に「軍法会議」はないのか

          ウクライナとガザのさなかに、8月15日をどう迎えるか

          年に一度の「戦争を振り返るシーズン」も、実に79回目。不幸なことに、ウクライナとガザの双方で、続く戦争が進行する中で迎える夏である。 昨秋から気にかけてきたが、ウクライナはついにロシア領内へ侵攻する冒険的な賭けに出た。またイランがイスラエルへの大規模報復に踏み切れば、文字どおりの「第五次中東戦争」となろう。 しかし、多くの人の関心は低い。誰も頼んでないのに、青黄のウクライナ旗や赤黒白緑のパレスチナ旗をSNSのプロフィールに掲げ、「参戦」気分だったアカウントの数も、少なくな

          ウクライナとガザのさなかに、8月15日をどう迎えるか

          タテ社会の人間関係はいま: 人類学と日本史の対話

          教養動画サービス「テンミニッツTV」(10MTV)で、呉座勇一さんとの対談番組の配信が始まりました! 初回のお試し視聴は以下から(今後、毎週木曜に続く回が追加され、全8回予定です)。 10MTVは隙間時間にも視聴できるよう、講義動画を「おおむね10分ずつ」に区切って配信するユニークなサービス。幅広いジャンルの第一人者が講師陣に揃っています。学者さんのほか、政治家・実業家が語る動画も多いのが特徴ですね。 私は以前、土居健郎『「甘え」の構造』(1971年)をポストコロナの視点

          タテ社会の人間関係はいま: 人類学と日本史の対話

          歴史の探究とは「小説」を読むことで、「実証」はいらない(かもしれない)という話

          今月刊の『倫理研究所紀要』33号(年1回発行)から、連載「現代性の古典学」を始めることにしました。初回で採り上げるのは、村上龍のデビュー作だった『限りなく透明に近いブルー』。 前に以下の記事をアップしたのは、まさに執筆中だったんですよね。そちらで書いたとおり、同作は1976年にまず群像新人文学賞を受賞。その時点で話題沸騰だったのが、まもなく芥川賞も「追い受賞」したため、記録的なベストセラーとなったことは広く知られます。 それで、できれば『倫理研究所紀要』の論文にも書きたか

          歴史の探究とは「小説」を読むことで、「実証」はいらない(かもしれない)という話