KAZE

「神秘学遊戯団」は1991年スタート。シュタイナーのほか、諸テーマを横断。 HP https://r5.quicca.com/~steiner/novalisnova/    Facebook https://www.facebook.com/kazenotopos

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マガジン

  • 神秘学ポエジー【風遊戯】photopos

    神秘学的な内容を写真と言葉で、「遊戯」していくシリーズ。

  • 神秘学ポエジー【風遊戯】mediopos

    本を中心としたメディアを神秘学的な視点で読みながら「遊戯」していくシリーズ。

  • photopos/mediopos ブックレット版

    photopos/medioposをそれぞれ時系列でブックレット化(25項目で「一集」)していきます。

最近の記事

問いを生きる

☆photopos-3726(2024.11.22.) 愚者は 答えを与え ひとを 導こうとする 教えのもとに 安心が与えられ 答えの外では 生きられないように 智者は 問いを与え ひとを 自由にする 自由のもとに 革命を起こし みずからが 問いを生きられるように *愛媛県内子町・小田深山渓谷にて

    • エマニュエル・トッド『西洋の敗北 日本と世界に何が起きるのか』/ハナムラチカヒロ『まなざしの革命 世界の見方は変えられる』

      ☆mediopos36456(2024.11.22.) 「オールド・メディア」という言葉が 公然としかも説得力をもって使われるようになったのが 先日の兵庫県知事選挙である 「おまえはもう死んでいる!」といった言葉が添えられながら 「流行語大賞」にさえ選ばれるかもしれない (「オールド・メディア」は  みずからをそう呼びたくはないだろうが) 「オールド・メディア」とは 新聞・雑誌・テレビ・ラジオなどといった 旧来から存在する報道媒体ないし報道機関のことを指す 東京都知事

      • 作られるものもわたしを作っている

        ☆photopos-3725(2024.11.21.) わたしが見るとき 見られるものも わたしを見ている せかいは光になってゆく わたしが聴くとき 聴かれるものも わたしを聴いている せかいは音になってゆく わたしが言葉を語るとき 語られる言葉も わたしを語っている せかいは言葉になってゆく わたしが作るとき 作られるものも わたしを作っている せかいはものに満ちてゆく *愛媛県久万高原町・古岩屋にて

        • 藤田正勝「柳宗悦がたどり着いた「民芸」という答え」(『日本哲学入門』)/赤木明登・堀畑裕之『工藝とは何か』

          ☆mediopos36455(2024.11.21.) 藤田正勝『日本哲学入門』から 藝術と工藝に関するテーマが 講談社ホームページ(現代新書)において 「「芸術は高尚であるべき」という「常識」に  ノーと突きつけた日本人がいた…  柳宗悦がたどり着いた「民芸」という答え」 としてとりあげられている 岡倉天心は「美術家」と「職人」(「工人」)とを区別し 工人が作り出す「工藝」は低い価値しか持たないとしたが 「民藝運動」を進めた柳宗悦は そんな「美術を上に置き、工芸を

        • 問いを生きる

        • エマニュエル・トッド『西洋の敗北 日本と世界に何が起きるのか』/ハナムラチカヒロ『まなざしの革命 世界の見方は変えられる』

        • 作られるものもわたしを作っている

        • 藤田正勝「柳宗悦がたどり着いた「民芸」という答え」(『日本哲学入門』)/赤木明登・堀畑裕之『工藝とは何か』

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        • 神秘学ポエジー【風遊戯】photopos
          1,419本
        • 神秘学ポエジー【風遊戯】mediopos
          1,419本
        • photopos/mediopos ブックレット版
          10本

        記事

          あたりまえが あたりまえでは なくなるとき

          ☆photopos-3724(2024.11.20.) あたりまえが あたりまえでは なくなるとき あたりまえを あたりまえとして 生きていた人も うたがいもなく あたりまえを 教えてきた人も こころのほんとうが 零れ落ち崩れて どうしていいかわからなくなる じぶんのなかの あたりまえを見つける 鏡をもつことだ その仮面にはなにが 映っているのか 仮面を外したとき そこにはなにが 映っているのか あたりまえが あたりまえでは なくなるとき あたりまえを 映し出

          あたりまえが あたりまえでは なくなるとき

          山口貴史「〇〇×シンリガク――小さな日常を〈心理学〉する」 第1回 「食べ物の好き嫌い」の呪い  第7回 忘れられない言葉からこころの扉を開く(創元社note部)

          ☆mediopos36454(2024.11.20.) 山口貴史「〇〇×シンリガク ――小さな日常を〈心理学〉する」が連載されている (創元社note部) 「日常生活の小さな一コマを臨床心理学の視点から考え」 「人間のこころのメカニズムを解き明か」す というのがテーマである そうすることで 「私たちが気づかないうちに囚われている 「そういうものだ」という意識に気づいたり、 日常のモヤモヤの「背景にあるもの」を 発見できたりするかもしれ」ないという mediopos36

          山口貴史「〇〇×シンリガク――小さな日常を〈心理学〉する」 第1回 「食べ物の好き嫌い」の呪い  第7回 忘れられない言葉からこころの扉を開く(創元社note部)

          異なった世界をむすぶ

          ☆photopos-3723(2024.11.19.) 異なった世界をむすぶ 魔術師になる 表と裏をむすび 表が裏に 裏が表になる そんな世界を生きる 内と外をむすび 内が外に 外が内になる そんな世界を生きる 夢と現をむすび 夢が現に 現が夢になる そんな世界を生きる 光と闇をむすび 光が闇に 闇が光になる そんな世界を生きる 我と汝をむすび 我が汝に 汝が我になる そんな世界を生きる 遊びつづけられる 魔術師になれますように *愛媛県内子町・小田深山渓谷に

          異なった世界をむすぶ

          荒俣宏×高山宏 対談「雑に、密かに—編集工学のアルファとオメガ」(『ユリイカ 特集 松岡正剛』/高山宏「雑密のルイス・キャロル」(松岡正剛 編著『別日本で、いい。』)

          ☆mediopos36453(2024.11.19.) 『ユリイカ 特集 松岡正剛』(2024年11月号)に 荒俣宏と高山宏の対談 「雑に、密かに————編集工学のアルファとオメガ」が 掲載されている 「雑に、密かに」というのは 空海の密教が 東密として真言密教になるまえの「雑密」を あらわしているようだ 松岡正剛のいう 密教とマニエリスムをくっつけたような 「直接的に伝わる想像力」 つまりは「一目惚れの力学」であり それはまた「フラジャイル」という言葉が ラテン語に

          荒俣宏×高山宏 対談「雑に、密かに—編集工学のアルファとオメガ」(『ユリイカ 特集 松岡正剛』/高山宏「雑密のルイス・キャロル」(松岡正剛 編著『別日本で、いい。』)

          記憶の謎

          ☆photopos-3722(2024.11.18.) 忘れると 生きてはいけないことがあり 忘れなければ 生きてはいけないことがある 忘れたくなくても 忘れてしまうことがあり 忘れたいのに 忘れられないことがある 忘れているのに おぼえているカラダがあり おぼえているのに 忘れているカラダがある 失われはしないが 行方不明のまま 見つからない記憶があり 言葉にさえならないまま どこか知られぬ深みから 浮かびあがる記憶があり 知らないあいだに わたしを縛り閉じ込め

          記憶の謎

          戸井田道三『忘れの構造 新版』/今福龍太『言葉以前の哲学―戸井田道三論』

          ☆mediopos36452(2024.11.18.) 戸井田道三『忘れの構造 新版』が文庫化されている 戸井田道三については 戸井田道三『生きることに○×はない』 今福龍太『言葉以前の哲学―戸井田道三論』を mediopos-3145/2023.6.28 mediopos-3159/2023.7.12 でとりあげたことがある 今回はとくに『言葉以前の哲学―戸井田道三論』をふまえながら 「忘れる」ということについて考えていければと思う 忘れてはいけないことがあるのはい

          戸井田道三『忘れの構造 新版』/今福龍太『言葉以前の哲学―戸井田道三論』

          動くとは何なのか

          ☆photopos-3721(2024.11.17.) 動いているのか 動かされているのか わたしたちは そのあいだをただ踊っている 動くとは何なのかさえわからぬままに 感じているのか 感じさせられているのか わたしたちは そのあいだをただ奏でている 感じるとは何なのかさえわからぬままに 考えているのか 考えさせられているのか わたしたちは そのあいだをただ遊戯している 考えるとは何なのかさえわからぬままに 与えているのか 与えられているのか わたしたちは そのあいだ

          動くとは何なのか

          伊藤亜紗「一番身近な物体 第八回 グニャグニャでいてやろう」(「あさひてらす」)/  野口三千三『原初生命体としての人間』

          ☆mediopos36451(2024.11.17.) 「あさひてらす」で連載中の伊藤亜紗「一番身近な物体」 第八回は「グニャグニャでいてやろう」(2024.11.13掲載) 今回とりあげられているテーマは 「人間の体が動くとはどういうことか」 野口体操の実践者であり 二年前にALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断された 新井英夫さんへのインタビューである 新井さんは野口三千三が考案した野口体操を 直接野口から学びみずから「体奏家」と称し 数十年にわたってそれを実践してき

          伊藤亜紗「一番身近な物体 第八回 グニャグニャでいてやろう」(「あさひてらす」)/  野口三千三『原初生命体としての人間』

          じぶんではないものに出会うために

          ☆photopos-3720(2024.11.16.) じぶんではないものに 出会うために 生まれてきたのに じぶんではないものを 拒むとき なぜ生まれてきたのかが わからなくなる 嫌いなものを 好きにはなれなくても そこにじぶんにはないものを 気づかせるなにかがあることに 気づくことができるのに 矛盾するものを 肯定することはできなくても 矛盾とされていることのなかに 矛盾を超えるなにかがあることに 気づくことができるのに 白か黒か以外に 観ることができなくても

          じぶんではないものに出会うために

          観察映画第10弾 想田和弘監督 映画『五香宮の猫』

          ☆mediopos36450(2024.11.16.) 「観察映画」なるものを撮る映画監督がいる 想田和弘である 「観察映画」はいわゆるドキュメンタリーなのだが 「観察」している映画監督も同時に存在している 量子力学では観察するという行為が 観察される現象に与える「観察者効果」があるが それにも似ているかもしれない しかしその「観察」という行為は 映画を観ている者にもいつのまにか影響を与えている しかも想田監督は「「撮る」ためではな」く 「何かがそこに「映り込む」のを

          観察映画第10弾 想田和弘監督 映画『五香宮の猫』

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          ☆photopos-3719(2024.11.15.) 学ぶときは 学んだことから 自由になることも 学ばなければならない 学んだことに 依存しないですむように みえない依存に気づいたときは 学んだことを離れ あらたな学びへとアップデートする 依存は 言葉ともむすばれているから その意味や使い方も あわせてアップデートする 依存は からだともむすばれているから その使い方や からだをつくっている食べものも あわせてアップデートする 学ぶということは わたしというO

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          斎藤美奈子「〈世の中ラボ174〉ギャンブル大国・日本が生んだ依存症の実態」(『ちくま』)/ベイトソン『精神の生態学へ』/斎藤環『イルカと否定神学か』

          ☆mediopos36469(2024.11.15.) 「ちくま」で連載されている斎藤美奈子の 〈世の中ラボ174〉(2024.11)は 「ギャンブル大国・日本が生んだ依存症の実態」 「ギャンブル依存症」の実態と それを生んでしまう土壌 そしてその「病気」の治療について書かれている 今年三月にドジャーズ・大谷翔平選手の通訳だった 水原一平氏が違法賭博に関与した事件から 「ギャンブル依存症」について大きく報じられたが ギャンブル依存症がクローズアップされたのは二〇一六年

          斎藤美奈子「〈世の中ラボ174〉ギャンブル大国・日本が生んだ依存症の実態」(『ちくま』)/ベイトソン『精神の生態学へ』/斎藤環『イルカと否定神学か』