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能動経済#124 東浩紀「訂正可能性の哲学」を今更読んでみた
770文字
陽キャ哲学普及協会の言う通り、本作品は読む価値がないと言えるだろう。
今回、40分間で「訂正可能性の哲学」を読んだ。
私は東氏の文章単位では読んだことがあるものの、1冊の本を読了したのははじめてだ。
以下に東氏の著書の特徴を自分なりにまとめた。本作品の特徴ではなく、彼の作品に特有の傾向であることに留意されたい。
1.過剰な解説
2.引用の多用による文章量の水増し
3.不勉強
4.「哲学」というテーマで様々な作家を統合的に語ることによる意味付け
わざわざ個別に詳しく説明するまでもない。それに、彼の批判を並べるだけになってしまうから、一部の人には不快な内容になってしまう。なので最後に、彼とよく似た作家を紹介して終わろうと思う。
大川隆法だ。
残念ながらリンクがテキストでしか表示されないようだが、東浩紀氏を好きな方は是非読んで欲しい。客観的に売れているのはこちらであるし、魂の格も大川氏の方が高いと感じる。
また、あとがきに「変化 続ける 現代社会において 哲学がその形を保ち続けるためには 内発的な動機による訂正を繰り返さなければならない」のような内容が書かれていた。本書のタイトルにもなっている核心の部分において、陽キャ哲学普及協会やFPもとこという底辺YouTuberと主張が非常によく似ているのは興味深い。最近コメント等で交流のあるホモ・ネーモ氏の主張も、近しいと思う。
彼らと同じく東浩紀自身も、資本主義のゲームに負けたルサンチマンを「哲学」という言葉で粉飾し、あたかも自分から生まれた新しい思想であるとして、猿でも思いつくようなトンデモ陰謀論を垂れ流し続けているSNS時代における真性のゴミ、弱者男性なのかもしれない。統合失調症の疑いがありますので精神科にいかれたほうがいいかと(笑)