神田橋條治の治療思想と東浩紀による郵便論的世界 3


 
いま、僕が書いたのは、治療者として精神科医の神田橋條治先生が治療法を試行錯誤していった結果として遍歴した流れと、現代思想あるいは哲学者の東浩紀というひとが哲学の世界で悩み遍歴した流れに、共鳴、相同するような流れがあった、という内容だった。
 
ところで、神田橋條治先生の治療法の流れには2つあって、ひとつには「ファントムとしての治療法のハウツーの開発」、そしてもうひとつは言語化しようにも言語化仕様もない、理論的でも言語的でも行動的でもなんでもない、なんというか、「非言語的な世界」「達人的な世界」。このふたつの流れがあるという話だった。
 
ところが、神田橋條治先生は、近著「精神援助の基礎訓練」では、この「非言語的な世界」の方を切り捨てる、あるいは諦める、なんというか、その可能性のない世界を想像しようとするのである。
 
この背景にあるのは「世界人類皆発達障害」とでもいうべき流れであって、「非言語的な世界」におけるコミュニケーションは、すくなくとも人間に、標準的に備わっている、特定の能力の可能性、それを前提にしていた。ところが、そのような「標準的に人間に備わっている能力がある」、という前提が急速に崩れ、あるいは崩れたと考えないと現場が成り立たない時代が来たのである。
 
そうすると、「ファントムとしての治療法のハウツー」の「ショッピング」あるいは「治療者と患者が一緒になった共同研究」しかなくなる。つまるところ、「ファントムの育成」しかなくなる。
 
この考えの歴史を無理にたどれば、精神科医の中井久夫先生の「個人症候群」(「治療文化論」)がある。個人症候群では、その個人は、その個人に特有の、他の人とは異なった病にかかる。しかし、もともとから、患者の自己治療という側面は、いたるところの表現に現れてはいた。たとえば、「さ迷える神経症論」(1979)では、

…個々の患者たちは、自己の置かれている困った状況を、理性的にというか、かなり知的に理解し納得することで処してゆこうとします。そうした処理法のよすがとして、個々の人間の中には、人生観、生活の智恵、人間論といったものが必ず育ってきます。これをその人びと独自の神経症論と呼ぶことにしたらどうでしょうか。そして、治療者の役割は、個々の患者の内部に、日々の人生のよすがとなるような独自の考えの体系が育ってゆくように援助することだ、と考えてみたらどうでしょうか。…

「さ迷える神経症論」『発想の航跡』

このときにはおそらくいまだに保たれていた「非言語的な世界」の発展やその可能性への期待は、『精神援助技術の基礎訓練』では、あきらかに後退してくる。
 
治療者も患者も、もはや「ファントム」でしかない「ハウツー」を、それぞれの間において共同に研究していく。そこには「非言語的な濃密なコミュニケーション」はない。あるとしても、それが重視されない。重視されないというか、そういうものが湧き上がってくるのがいわば「治療というものなのだ」という期待というか、理想が消える。
 
この変化には、感情や情緒や湧き上がってくるような行動や思い、逆転移的な感情はいうに及ばず、ヒトを治療するものは、いうにいわれぬ「雰囲気」である、といったときの、その「雰囲気」というものの可能性に対する期待が、沈んでいる。
 
これは哲学者の東浩紀さんの「訂正可能性」の考えと共鳴している部分もあれば、それとは異なった方向性を示唆している部分もある。
 
訂正可能性の考えの前提としては、ひとびとが生きている世界の道徳、倫理、規則、ルール、あり方などには正しさも正当性も「それが有用である」「それが効率的である」と言った価値基準もなく、だから、それぞれのヒトは状況に応じて、じぶんが「それが世界だ」と思っているなにかを「訂正」すること、そういう「訂正できる可能性に身を開いておくこと」が訂正可能性の哲学だった。
 
神田橋條治先生の治療法の中にも、「非言語的な世界」「雰囲気」と言った、なんとも表現できないが、「それがある」としかいいようがない、もの、が治療場面の中にあって、それが「治療」という行為を支えている限り安心してよいという信頼があった。
 
この信頼が崩れたのである。
 
この「雰囲気」を含んだ「非言語的なもの」は、実をいうと、けっして「否定神学的なもの」ではなかった。それは、治療場面の「内部」にいる人間には知覚でき、感覚でき、それをそれとして維持する技術があったわけである。それを「持続的に感覚」しているのは、さらに、治療者だけでなく患者もそうだっただろう。相互的であり、ひとりよがりなものではなかったから、コミュニケーションと呼べたし、そこには溶け込みや没頭があった。ただ、それは達人の技術のように、「言語化しようとすると中身が空疎なものになってしまう」種類のものだった。
 
これはいわば「支えている土台が崩れているのに気づいた」ようなものだった。
 
たとえば、神田橋條治先生の治療論には、「抱えと揺さぶり」という、考えであり、同時に方法論であるものがある。しかし、この「抱え」は「非言語的なもの」であって、「雰囲気」で行うものである。親や幼稚園の先生は子供に対して、あるいは介護技術者はふれあいや世話を通して障害者や老人を、「抱える」。これは「非言語的なもの」がその本質であって、その間におしゃべりなどがあっても、それは非本質的なものに過ぎない。おしゃべりは、「非言語的な抱え」という、それが本質であるものを安定させる手段として働いているときにのみ、意味を持ったわけである。
 
しかし、「人類皆発達障害」の社会では、この「抱え」の機能が十分には機能しなくなってくる。
 
これは、「言語ゲーム」に例えると、「言語ゲーム」は複数の人間で行うものである。「日本語という言語ゲーム」はまあつうじょう、一億人以上の日本人の間で行う。ところが、実は、気づいてみれば、一人ひとりの人間は、「個人として言語ゲームをしているつもりになっていた」だけであって、「日本語という言語ゲーム」はいつの間にかなくなっていた。みんなが自分にしか通じない「方言」で喋っていた。いや、「方言」ですらなかった。そんな感じである。「ばらばら」の言語があたかも「巨大な言語ゲームを作り上げ、成り立たせているような幻想」を与えていた。
 
僕がここで強調したいのは、これは、字面で見えるよりも遥かに巨大な出来事であるということだ。
 
たとえば、「医者患者関係」があって、患者はお金を払って医者に診てもらい、医者は診療保険点数制度によって報酬を受け取る。これが「治療における言語ゲーム」だった。こういう「言語ゲーム」の基礎となる部分が不安定になり、揺らいでいっているということなのだ。
 
「医者患者関係」というのが「言語ゲーム」であって、互いのそれなりの無意識的な合意による、「不分明な」規則やルールに則って行われているからこそ、そこには秩序や経済性、社会性があり得た。「暗黙の規則やルール」の中で「役割教育」されてヒトは「医者」や「患者」になる。「患者の演技ができない」場合には、親や家族の手伝い、または入院や拘束などの、管理・監視手段を必要とする。
 
「人類皆発達障害」という状況の変化はそこを掘り崩す変化であるのだ。と同時に、僕は、境界例や愛着障害も、当の最初からそういう土台を掘り崩す存在であったからこそ、「厄介なもの」として、医療制度の「ナカ」にいるようで「ソト」にいるようで、「ナカにもソトにもいるようでいないようで」と言った、複雑な状況に置かれ続けてきたと思う。古典的な考えで言えば、愛着障害の患者は、医療制度によって、母親や養育者から受け取ることができなかった「愛情」の、「代理表象」である、「愛情」を受け取り、「愛を学び直す」という治療論になる。しかし、当たり前の話だが、家族や親と同じぐらいの責任感と覚悟を持って患者を「育てる」精神科医(または病院や施設)は存在しないし、存在するとしても「通常の医療の言語ゲーム」からは外れてしまうだろう。
 
この状況は、『言語ゲーム』という哲学者ウィトゲンシュタインの考えも批判している。「言語ゲーム」というものが成立するためには、通じている、通じていない、以前に、ある人間が「なんらかの規則やルールを通じて」「言語というものを言語というものして」発している、という前提を共有している必要がある。つまり、「言語ゲームをしている」という状況の共有が必要になっている。しかし、そんな規則やルールもなく、「言語のように聞こえていたもの」は「言語ではなかった」のかもしれない。カラスが話しているのは言語に近いらしいが、僕らは、そういう研究が存在するまでカラスの鳴き声を「言語」だとは思っていなかっただろう。殴り合いや威圧かもしれない。解読も解釈もできない、「非言語」かもしれない。実際には、それも、わからないわけだ。
 
それでも、「非言語的なもの」である「雰囲気」がある限り、僕らは、「そこではなんかコミュニケーションのようなもの、会話、やり取り、相互作用があるに違いない」と思ってもよいという信頼、安心感を持つことができた。かりにカラスの鳴き声が「言語のようなものでは全然なかった」としても、「カラスとすら会話しているつもり」になれた。「非言語的な雰囲気」さえあれば僕らはどんなペットとも動物とも会話ができる。
 
「言語ゲーム」が解体されることがあるなら、おそらく「言語ではないもの」による「ゲーム」(駆け引き)が始まるだろう。これは、実際に、発達障害や愛着障害などの治療場面ではよく起こることだろう。僕は、神田橋條治先生が、「ファントムではあるがハウツーの伝達」をここに残していることに示唆を受ける。つまり、「ハウツーの伝達」は「言語のやり取り」よりもズレが少ない、と神田橋條治先生はいう。これは、「ハウツー」が「言語」的なものではなく、「伝達されるもの」が「代理表象」ではないからだと思う。代理表象というのは、「なにか本物を一旦概念化したあとそれを再現する」というような思考的過程を通って物事が伝達されることである。いわば、「媒体」を通じた、間接的な伝達である。そうではなく、「ハウツー」の伝達は、つまり、「模倣」である。
 
「模倣」は「贈与」である。
自然からその恵みを動物が受け取るような「贈与」である。
 
僕らが自転車に乗ったり、けん玉をしたり、友だちを作ったり、恋人を作ったり、あらゆる活動の中で、「ハウツー」を利用するときに、「言語」をほとんど介在させない。そのかわりに、「モデル」を模倣する。そして、模倣というのは「非言語的なもの」で出来上がっているのであって、その目的のために「言語は従属的な位置」にある。
 
そして、「模倣したにも関わらず」、同じように自転車に乗る人も、同じように友人をつくる人も、同じように恋人をつくる人もいない。
 
「ハウツー」の伝言ゲームの中でもずれていく。どんどんずれていって、別物になるかもしれない。師匠から弟子に伝わるのが「同じ」であるほうが却っておかしいだろう。しかし、そのズレは、非言語的なものだ。ズレを測る定規どころか、道具もない。言語も最初はそのような「ハウツー」のうちのひとつだっただろう。しかし、いつのまにか、あらゆるものを統一する原理的な「媒体」のような、イメージを持つようになってしまった。
 
哲学の歴史を見ると、「言語遍重主義」のようなものが同時に行き詰まりの中にあることで「言語批判」のようなものを抱えながら存在している、というような感じを持っているが、言語はその自在性、記録の永続性、独特の伝達の質などによってこれからも活躍するだろう。インターネットの中身には「プログラム言語」が詰まっているわけだ。同時に、世界を「動く言語」が覆い尽くしたことで、その弊害もあらわになるのかもしれない。

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