天国あるいは神の国においてはおそらく歴史もドラマも存在しないはずだ。 なぜなら大抵の場合歴史やドラマのある所には人の不幸もあるからである。 ゆえに不幸の存在が許されないパラダイスにおいては歴史やドラマといったものもその存在を許されることはない。
量子力学的観点において我々は観測者である。 しかしながら我々が観測者であることと主権者であることは違う。 私たちは望んで世界を観測しているわけではないし、また望んで世界の観測を止めることもできない。 この不自由さこそ神の証しである。
【多神教の文化】 唯一絶対の神を想定する一神教に対して、多神教の世界観は自然の中に、または様々な自然現象に対して神々の息吹を感じることが可能だと思います。 多神教によって育まれた文化には自然的な大らかさがあり、また人間的でもあり、二極化思考ではない柔軟さがあると感じます。^_^