斎藤吉久

昭和31年、崇峻天皇の后・小手姫が養蚕と機織りを教えたと伝えられる福島県・小手郷に生まれる。弘前大学、学習院大学を卒業後、雑誌編集記者、宗教紙編集長代行などを経て、現在フリー。著書に『天皇の祭りはなぜ簡略化されたか』など。「戦後唯一の神道思想家」葦津珍彦の「没後の門人」といわれる

斎藤吉久

昭和31年、崇峻天皇の后・小手姫が養蚕と機織りを教えたと伝えられる福島県・小手郷に生まれる。弘前大学、学習院大学を卒業後、雑誌編集記者、宗教紙編集長代行などを経て、現在フリー。著書に『天皇の祭りはなぜ簡略化されたか』など。「戦後唯一の神道思想家」葦津珍彦の「没後の門人」といわれる

マガジン

  • 天皇および天皇制─天皇とは公正かつ無私なる祭り主です

    天皇は1年365日、祭りをなさいます。皇祖神ほか天神地祇を祀り、「国中平らかに民安かれ」と祈られます。あらゆる神を祀り、国と民のために無私なる祈りを捧げるのは、日本の天皇だけです

  • 日中・日韓・日朝そして日米関係

    中国、韓国、北朝鮮との政治および文化

  • 靖國神社および靖国問題、戦没者追悼そして戦争の時代

  • 女性天皇・女系継承容認、「女性宮家」創設の憂鬱

    歴史にない女系継承を容認し、「女性宮家」を創設する。もはや何でもありです。

  • 人は何を信じて生きてきたのか──日本、アジアそして世界

最近の記事

祭祀の本質を語らない西尾先生──「勘違い」しているのは殿下なのか?(2008年09月02日)

(画像は宮中三殿。宮内庁HPから拝借しました。ありがとうございます) 西尾幹二先生が雑誌「WiLL」誌上に発表した東宮批判がさらに波紋を呼んでいるようです。当メルマガはこれを先々月から検証してきましたが、今号もこの作業を続けます。  西尾先生は同誌10月号に「皇太子さまへの御忠言、言い残したこと」を書いています。「言い残したこと」というのは「皇太子殿下のご発言に対する最初の疑問」、つまり、「ご成婚時に雅子さんが殿下のお言葉として挙げられた、あの有名な『一生かけて僕が全力で

    • 東宮批判より祭祀の正常化を──西尾幹二先生の批判について考える(2008年08月26日)

      (画像は宮中三殿。宮内庁HPから拝借しました。ありがとうございました)  西尾幹二先生による東宮批判の検証を続けます。今号は「WiLL」9月号の論考を取り上げます。  先生は同誌の論考で、ソ連崩壊後のロシアや第二次大戦後のドイツと対比させながら、長々と日本の敗戦の歴史を描いています。先生が、敗戦と占領で日本の精神の中枢が毀(こわ)され、権力の空白をアメリカが埋めた経緯を深刻なものとして振り返るのは、日本の権力が失われ、国家中枢が陥没する恐怖の到来を感じるからです。  先

      • 皇位継承者の資格を誰が判断するのか──西尾幹二先生の東宮批判を批判する(2008年08月19日)

        西尾幹二先生の東宮批判に対する検証を続けます。今号は「WiLL」8月号の論考を取り上げます。 ▽1 天皇の「特別性」  西尾先生の論考は、天皇が隔絶した、特別の存在である、という指摘から始まります。その特別性は精神的特別性であり、国民共同体の中心であるという特別性です。  歴代天皇は民を思い、民を歌に詠まれた。今上陛下は歴代天皇ほどではないにしても、社会に高くそびえる位置に座しておられる。これは両陛下のご努力などに負うところが大きい、と論を進めたあと、それに比べて皇太子

        • 神々のいない、西尾幹二先生の東宮批判──皇位の継承は皇祖神の神意に基づく(2008年08月05日)

           今号も、月刊「WiLL」誌上で展開されている西尾幹二先生の東宮批判を取り上げます。今回は(2008年)6月号の論考を読もうと思います。  西尾先生の論考には、3つのポイントがあるように思います。信仰、皇位、徳の3つです。 ◇1 欠落する神々の意思  まず信仰です。論考は、天皇の存在は日本国民にとって信仰問題である、という指摘から始まっています。信仰の問題だからこそ、歴史や伝統の意識が時代の進展とともに薄くなるにつれ、無関心という最大の敵に直面するとも説明しています。

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        • 天皇および天皇制─天皇とは公正かつ無私なる祭り主です
          165本
        • 日中・日韓・日朝そして日米関係
          65本
        • 靖國神社および靖国問題、戦没者追悼そして戦争の時代
          60本
        • 女性天皇・女系継承容認、「女性宮家」創設の憂鬱
          86本
        • 人は何を信じて生きてきたのか──日本、アジアそして世界
          137本
        • 天皇の祭りの「米と粟」
          23本

        記事

          謙虚に学び、祈りつつ待つ皇后陛下──西尾幹二「御忠言」が突き付ける「下船」以外の選択肢(2008年07月29日)

           前号では、評論家の西尾幹二先生が月刊「WiLL」誌上で展開している皇太子・同妃両殿下への「御忠言」について、考えました。  先生は「妃殿下問題」を近代社会の能力主義と皇室の伝統主義との相克ととらえているのですが、そうとばかりはいえないことなど、3点の指摘をしました。  今号ではひきつづき6月号の論考を取り上げるつもりでしたが、予定を変更して、前号の補足をします。  前号で申し上げましたように、「原理を異にするふたつの世界がぶつかった」ということなら、皇后陛下にも当ては

          謙虚に学び、祈りつつ待つ皇后陛下──西尾幹二「御忠言」が突き付ける「下船」以外の選択肢(2008年07月29日)

          五輪招致協力要請、石原都知事のご乱心──皇室を政治利用するなかれ(2008年07月29日)

          (画像は五輪招致をプレゼンテーションする石原都知事。笹川スポーツ財団HPから拝借しました。ありがとうございます。https://www.ssf.or.jp/knowledge/history/interview/088.html?tab=sStory2)  世界の少なからぬ君主制国家のなかで、日本の皇室ほど、謙虚さと清らかさという美徳を体現されているのを、少なくとも私は知りません。  それと比較するのはもとより愚かなことですが、この人が発する言葉には美しさがありません。皇

          五輪招致協力要請、石原都知事のご乱心──皇室を政治利用するなかれ(2008年07月29日)

          なかなか収まらない石原都知事のご乱心──IOC総会のプレゼンターをお願いしたい?(2009年06月09日)

          (画像は五輪招致のプレゼンテーション参加のためスイスに向かう石原都知事@TOKYO MX)  石原慎太郎都知事のご乱心が収まりそうにありません。  2016年夏のオリンピック招致を成功させたい都知事が今度は、10月に開かれるIOC総会のプレゼンターを皇太子殿下にお願いしたいと言い出したというのです。「日本あっての皇室、皇室あっての日本だ。万世一系の不滅の日本の皇室に、日本人のためにお力をいただくことは、日本の歴史のためにも絶対必要」などと記者団に答えたのだそうです。  

          なかなか収まらない石原都知事のご乱心──IOC総会のプレゼンターをお願いしたい?(2009年06月09日)

          軽々しく扱われる「お言葉」──かつては法と同格だったのだが(2009年06月16日)

          (画像は平成20年6月、秋田県で開催された全国植樹祭でおことばを述べられる陛下。宮内庁HPから拝借しました。ありがとうございます。https://www.kunaicho.go.jp/activity/gonittei/01/photo1/photo-200806-1045.html)  今月(平成21年6月)7日、福井市で全国植樹祭が行われましたが、恒例となっていた陛下のお言葉はありませんでした。ご負担軽減を意図する宮内庁の方針から、とされています。  しかし官僚たちの

          軽々しく扱われる「お言葉」──かつては法と同格だったのだが(2009年06月16日)

          抵抗勢力なき宮中祭祀簡略化──たったお一人で伝統を守り続けられる陛下。保守派はいつまで沈黙するつもりなのか?(2009年06月30日)

          (画像は宮中三殿。宮内庁HPから拝借しました。ありがとうございます)  当メルマガにお寄せいただいたコメントのなかに、「なぜ官僚はロクでもないことばかりするのか?」という書き込みがありました。今日はそのことで私が思うことを少し書いてみます。  繰り返し申し上げてきたように、ご高齢で療養中の陛下にとって、ご公務のご負担軽減は急務です。ところがご日程の件数はいっこうに減らず、祭祀ばかりが標的にされています。御代拝の慣習は反故(ほご)にされ、伝統を破る祭祀の簡略化が進められてい

          抵抗勢力なき宮中祭祀簡略化──たったお一人で伝統を守り続けられる陛下。保守派はいつまで沈黙するつもりなのか?(2009年06月30日)

          グーグル・マップで丸見えの宮中三殿──ズームレベルは21(2009年06月30日)

          (画像は宮中三殿。宮内庁HPから拝借しました。ありがとうございます) ▽1 神社が航路の目印? 聖なるものへの畏敬の感覚がどんどん薄れているようです。  神社のお祭りに繰り出す御輿(みこし)は本来、神様の乗り物であって、人の乗り物ではありません。しかし祭り特有の熱気と興奮のなか、担ぎ手が御輿に乗るという不敬行為がしばしば繰り返され、そのため「御輿乗り禁止」の呼びかけが行われることがあります。ときには不敬者が逮捕されるというような事態さえ起きています。  私が子供のころ

          グーグル・マップで丸見えの宮中三殿──ズームレベルは21(2009年06月30日)

          読者の声 主婦の山根様から(2009年06月30日)

          [主婦の山根様から]  いつも真摯(しんし)に皇室を考え、私のような者にも分かりやすくご説明いただき、ありがとうございます。  私も遅ればせながら、皇室の存在感の大きさ、偉大さを、この歳になり、はじめて知るようにました。知れば知るほどに、畏敬の念を持つようになる自分自身を感じます。そして、いまはこの国に生まれた者として幸せを感じています。  とはいえ、現在、日本がこんなに混乱した世相になってしまったのは何故か、戦後、大切なものを教えられないままここまで来てしまったからか

          読者の声 主婦の山根様から(2009年06月30日)

          一日数人しか来観しない竹島資料室──啓発する側の姿勢が問われる(平成19年5月20日日曜日)

          (画像は竹島。外務省HPから拝借しました)  山陰中央日報によると、オープンして1カ月になる島根県の竹島資料室(松江市、旧県立博物館内)を訪れる来観者の数が一日10人にも満たないようです。 〈http://www.sanin-chuo.co.jp/news/modules/news/article.php?storyid=406084006〉  竹島問題を啓発する目的でスタートした資料室ですが、記事によれば、県側の予想に反して来観者は減少傾向にあります。県側は 「関心が

          一日数人しか来観しない竹島資料室──啓発する側の姿勢が問われる(平成19年5月20日日曜日)

          東宮妃批判も擁護論も前提に誤りあり──西尾幹二先生への反論を読む その2 竹田恒泰氏の場合(2016年6月28日)

           西尾幹二先生の「御忠言」「諫言」批判を続けます。  前回は所功先生を取り上げましたが、今回は竹田恒泰氏の反論について、少し古いですが、「WiLL」平成20年7月号に掲載された、「御忠言」への反論をテキストに考えます。  結論を先に言えば、竹田氏は、西尾先生の「御忠言」に反論したいはずなのに、じつのところ、「御忠言」の前提となっている、皇室の原理とは異なる原理を、驚いたことに容認し、のみならず共有して、それを前提に議論を進めています。  これではまったく反論にはなりませ

          東宮妃批判も擁護論も前提に誤りあり──西尾幹二先生への反論を読む その2 竹田恒泰氏の場合(2016年6月28日)

          『国民の歴史』著者による「国民の天皇観」がウケる理由 ──「WiLL」6月号「西尾幹二×加地伸行」対談を読む(2016年06月12日)

          ▽1 堂々巡りが売れる!?  どうも筆が進みません。生来の遅筆もさることながら、他人さまを批判することはやはり気が引けます。できれば避けたい。批判の対象が人生の大先輩であれば、なおのことです。  しかしどう考えてもおかしいのです。同じ話を何度も繰り返すお年寄りの思い出話ではないでしょうけど、老碩学の論議はいっこうに代わり映えがせず、さまざまに批判されたあとの学習効果が微塵も感じられません。  これは一体なぜなのでしょうか。  先生方だけではありません。対談を企画した編

          『国民の歴史』著者による「国民の天皇観」がウケる理由 ──「WiLL」6月号「西尾幹二×加地伸行」対談を読む(2016年06月12日)

          天皇に私なし──昭和天皇が靖国参拝をお止めになった理由?(2007年10月23日)

          ▼1 最後の参拝から富田メモまで、10年間のタイムラグ  10月17日から20日にかけて、靖国神社で秋の例大祭が行なわれました。前月の自民党総裁選中、「相手(中国など)の嫌がることをあえてする必要はない」と語っていた福田康夫首相は、やはり参拝しませんでした。 〈http://www.yasukuni.or.jp/index2.html〉  不参拝といえば、昭和天皇は同神社の「A級戦犯」合祀を不快に思われ、そのため合祀以来、参拝をお止めになった──と新聞各紙が報道し続けてい

          天皇に私なし──昭和天皇が靖国参拝をお止めになった理由?(2007年10月23日)

          国連女性差別撤廃委員会は4年半前から「皇室典範」改正を日本に迫っていた(令和6年11月21日)

          国連の女子差別撤廃委員会は先月(令和6年10月)、皇位の男系継承を定める皇室典範の改正を勧告する最終見解を発表した。前回(平成28年)は、見直しを求めるのみならず、女系継承容認をも勧告する最終見解が、ひと月前になって、突如、まとめられようとしていたのを日本政府の抗議によって、ギリギリの段階で該当部分が削除されたと伝えられている。 日本政府の抗議で火種は消えたはずなのに、なぜ今回、ふたたび燃え上がることになったのか、どのような経緯があったのだろうか? 内閣府男女共同参画局の

          国連女性差別撤廃委員会は4年半前から「皇室典範」改正を日本に迫っていた(令和6年11月21日)