僧侶上田隆弘の旅と読書のブログ 【日々是読書】がモットーです
2022年8中旬から9月中旬までおよそ1か月、私はジョージアを中心にヨーロッパを旅してきました。 フランス、ベルギー、オランダ、ジョージア・アルメニアを訪れた旅。 その最大の目的はジョージア北部のコーカサス山脈を見に行くことでした。 この旅行記では日本人にあまり馴染みのない地域も巡ります。パリやオランダの有名どころだけでなくディープな世界もご紹介していきます。
「宗教とは何か」答え合わせの旅へ 私は「宗教とは何か」をテーマに2019年3月末から80日をかけて13カ国を巡る世界一周の旅に出ました。 この時の体験が当ブログの原点になっています。今読み返してみると若さを感じる文章で私も恥ずかしさを覚えるのですが、当時の私のありのままがそこにあります。今の私との違いも感じて頂けたら幸いでございます(笑) 普段なかなか見ることのない宗教の聖地や現地の様子を僧侶の視点から綴った旅行記です。普通の旅行記とは一風変わった視点の旅行記となっていますのでぜひ気軽にご覧ください。
はじめに今回の記事では「名刺代わりの小説10選」ということで、私がこれまでに最も影響を受けた小説をご紹介していきたいと思います。「名刺代わりの小説10選」という名の通り、これらの作品は私の思考形成に強力な作用を与えています。私という人物のまさに自己紹介的な本達の紹介になりますので、正直少し恥ずかしいと言いますか、できれば紹介しないままでもいいのではないかとも思ったのですが思いきって記事にしてみることにしました。 では早速始めていきましょう。それぞれのリンク先ではより詳しくそ
フェルメールの町デルフトから電車で30分もかからぬ距離にあるデン・ハーグという街。 ここにフェルメールの代表作『デルフトの眺望』と『真珠の耳飾りの少女』が展示されているマウリッツハイス美術館がある。 私がオランダにやって来たのもデルフトの町を見てみたいという思いもあったが、やはり1番は私の大好きな『デルフトの眺望』や、フェルメールで最も有名なあの『真珠の耳飾りの少女』を観てみたいというのがその最大の目的だった。 画像や印刷されたものですら圧倒的な美しさを感じられるのだ。
はじめに前回の記事でフェルメールの故郷についてご紹介しました。 そしてこの記事の中で紹介した旧教会にはフェルメールのお墓がありましたが、実はこの教会にはもうひとり、世界の歴史を変えた偉人が眠っています。 それがこのレーウェンフックという人物です。 レーウェンフックはこの町の役人でしたが、独学で顕微鏡を自作し、20年以上も改良をし続け観察を続けた結果、水中の微生物を発見したという人物です。 かつてのキリスト教世界ではすべてのものは神が創り、善悪の秩序もすべて神のもので
はじめにフランス、ベルギーを経て私はいよいよオランダにまでたどり着いた。 私がオランダへ来たのはジョージアへの飛行機に乗るためであったのだが、何と言っても大好きなフェルメールに会いに行くこともその大きな目的だった。 私がフェルメールにはまるきっかけとなったのは『デルフトの眺望』という作品だった。 このリアルを超えた現実感、不思議な魅力に私は一発でやられてしまったのだ。 フェルメールは1632年にこのデルフトの町で生まれ、生涯のほとんどをこの町で過ごした。いわばデルフ
パリからオランダに向けて出発した私はその途中、ベルギーのワーテルローという地に立ち寄りました。 私がそこへ向かったのは何を隠そう、『レ・ミゼラブル』の存在があるからです。 今回の記事ではそんな『レ・ミゼラブル』成立に大きな影響を与えたワーテルローの古戦場を訪れた体験をお話ししていきます。では、早速本編へと入っていきましょう。 パリを出発した私が向かったのはベルギー国内にある古戦場ワーテルローの地。 ベルギーの首都ブリュッセルからはバスでおよそ1時間ほど。 ブリュッセ
一週間ほど滞在したパリでの日程もいよいよ終わりを迎える。 『秋に記す夏の印象』ということでドストエフスキーに倣って私の印象を述べていこうという趣向であったが、なかなかドストエフスキー本人についてのことはここまで多くは語れなかった。 ドストエフスキー自身もパリの名所や芸術などについてはほとんど語らなかったが、パリ篇の最後はやはり彼について思ったことを書いていきたいと思う。 華の都パリ。世界の首都パリ。バルザックのパリ。 圧倒的な繁栄と物欲の世界。華やかな社交界と資本家の
ゾラについてはこれまでの記事でもお話ししてきたが、いよいよこれからパリ郊外のメダンにあるエミール・ゾラの家を紹介していく。 ゾラの家があるメダンまではパリのサン・ラザール駅から電車に乗車して向かうのが一番行きやすい方法だ。 サン・ラザール駅はゾラの『獣人』でもその舞台となり、印象派の画家モネがこの駅を描いたことでも知られている大きなターミナルだ。 最寄りの駅「Villennes-Sur-Seine」まではおよそ30分弱。 駅に到着。ここからは徒歩。ナビ上ではおよそ25
ナポレオンやエジソンなど、歴史に名を残すリーダーや偉大な発明家たちはその多くが猛烈な読書人として知られています。 やはり読書を通して学べることは大きい。 よくよく考えてみればそうですよね。何十年に1人、いや、何百年に1人の天才の言葉を本では聴くことができるのです。しかも本のいいところは著者と一対一で自分のペースで向き合うことができる点にあります。 歴史に名を残すほどの偉人と面と向かって語り合うことができるなんて、なんと贅沢なことか・・・! 本というと、ただ文字を読むだ
マルモッタン・モネ美術館はパリの西側にあり、ブローニュの森のすぐ近くだ。以前紹介したバルザックの家とも近い。 中は豪華な邸宅のような雰囲気で、その壁面に印象派の絵画や多数の名画が飾られている。私はモネの『印象・日の出』を目当てに来ていたのでこちらに時間を割くことができなかったが、ここにも印象派を代表する名画の数々が展示されているので見どころはたくさんあると思う。 そして階段を下りていくとあの『印象・日の出』が私の目の前に飛び込んできた。「おぉ・・・!」と思わず声が漏れてし
前回の記事ではルーブル美術館でプッサンやクロード・ロランと出会ったお話をした。 そして今回はルーブルの至宝『サモトラケのニケ』についてお話ししていきたいと思う。 この作品は彫刻エリアに入って割とすぐの段階で出会うことになる。しかも『モナ・リザ』などがある絵画エリアに向かう際に確実に通るであろう非常に目立つ場所に展示されているのでまず見逃すことはないはずだ。 恥ずかしながら私はルーブルに来るまでこの作品のことをほとんど知らなかった。前回の記事でも少し述べたが、この彫刻にも
パリといえばやはりルーブル美術館を思い浮かべる方も多いだろう。 ミロのヴィーナスやダ・ヴィンチの『モナ・リザ』などあまりに有名な作品がてんこ盛りのお化け美術館だ。 だが、ドストエフスキーに関心を持っている私にとっては実はこの美術館はノーマーク。正直、特にこれといってものすごく見たい作品があるというわけでもなかったのだ。「有名なルーブルだし、せっかくだし行っておきますか」くらいのものだったのである。 しかし実際にここを訪ねてみて、そんな軽率なことを考えていた自分を大いに恥
パリと言えば『オペラ座の怪人』を連想する人も多いのではないだろうか。かく言う私もドストエフスキーと出会い、ゾラやユゴーと出会うまで「パリといえばオペラ座」というイメージがあったものだ。 今回はそんな『オペラ座の怪人』ファンにはたまらない聖地、オペラ・ガルニエを紹介していきたい。 オペラ・ガルニエはオペラ地区というもはや名前そのもののエリアにあり、パリの中心部に位置する。周囲はデパートやブティックなどが立ち並び、パリの中でも比較的治安が良く、日本人観光客も滞在しやすい地区だ
前回の記事ではエミール・ゾラの『ルーゴン・マッカール叢書』ゆかりの地をご紹介した。 そして今回の記事では『ルーゴン・マッカール叢書』を書き上げたゾラが満を持して執筆した「三都市双書」の最終巻『パリ』の主要舞台となったサクレクール寺院をご紹介したい。 サクレクール寺院はモンマルトルの丘の上に立つ教会だ。 こちらは凱旋門から見たサクレ・クール寺院。小高い丘の上に立っていることがわかると思う。 モンマルトルの丘周辺は観光地としていつも賑わっていて、お土産屋やカフェも多い。ち
はじめに今回の記事では私が尊敬する作家エミール・ゾラの代表作『ルーゴン・マッカール叢書』ゆかりの地を紹介していく。 だがそのお話を始める前にまずは「なぜ私がエミール・ゾラという作家に出会ったのか」を簡単にお話ししたい。 私がエミール・ゾラを読み始めたそもそものきっかけもやはりドストエフスキーだった。ドストエフスキーがフランス文学、特にバルザックの作品に強い影響を受けていたのはこれまで当ブログでお話ししてきた通りだ。ドストエフスキーは彼らフランス文学を通して19世紀中頃の
今回のパリ散策において、マニアックながらもぜひおすすめしたいスポットがある。 それが今回ご紹介するパリの下水道博物館だ。 華やかで美しい都パリのもうひとつの姿、それが悪臭と汚物まみれのパリだった。 18世紀から19世紀にかけてのパリは当時世界で最も繁栄していた街の一つだった。だが同時にその繁栄による負の側面も尋常ではなかったということも見逃すことはできない。 以前当ブログでもアラン・コルバン著『においの歴史[嗅覚と社会的想像力]』という本を紹介したが、この本で語られる
はじめに前回の記事でナポレオンの墓についてお話ししたが、今回の記事ではそのナポレオンの影響を強く受けたバルザックゆかりの地を紹介していきたい。 バルザックは「彼が剣で始めたことを自分はペンで成しとげよう。」という言葉を座右の銘にするほど、ナポレオン的成功を夢見ていた。己の才覚によって成り上がることを何よりも望み、まさに彼の人生は「小説は現実より奇なり」を地で行く凄まじいものだった。 彼の生涯を知るにはシュテファン・ツヴァイクの『バルザック』という伝記がおすすめだ。彼の豪