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幸せのヒントに 〜一神教と多神教〜

九條です。

私は大学生のとき、一般教養課程では「諸学問の源」とされている哲学(古代ギリシア哲学)の概要を学ぶ「哲学概論」を受講し、また専門分野では歴史学(日本史学)を専攻しました。

以下は、その学びによって得られた現在抱いている私の一神教と多神教に対する印象です。あくまで個人の印象です。好き勝手書きます。お許しください(以下 本文約2,500文字)。

【対話篇】
◎イッシンさんとタシンさんとの対話(想定問答)

イッシン「いろんな花が咲いてるねぇ。綺麗だねぇ」

タシン「ほんと、いろんな種類が咲いてるね。綺麗だよね。百花繚乱だね」

イッシン「私はこの中でも、あの黄色い花がいちばん好き!」

タシン「花はみんな綺麗だよ。私には甲乙つけがたいな。みんな同じように好き!」

イッシン「えっ、タシンちゃんには黄色い花の良さが分からないの?」

タシン「黄色い花、私もステキだと思うよ。でも他の花もみんなステキ」

イッシン「タシンちゃん、それは勉強不足じゃない?黄色い花の良さについて、もっともっと知って欲しいな」

タシン「黄色い花の良さは、私ももっと知りたい。でも他の花の良さも同じように知りたいよ」

イッシン「黄色い花の良さが分かれば、黄色い花を好きになるよ」

タシン「そうかなぁ。じゃあ、ピンクの花について勉強してピンクの花の良さが分かれば、ピンクの花を好きになるよね」

イッシン「いや、黄色い花の良さが分かれば、他の花よりも黄色い花が素晴らしいと理解できるよ」

タシン「ということは、ピンクの花の良さが分かればピンクの花を、青い花の良さが分かれば青い花を、オレンジの花の良さが分かればオレンジの花を…他の花よりも素晴らしいと思えるよね」

イッシン「そうじゃなくて、黄色い花がいちばんステキなんだから、タシンちゃんは黄色い花の素晴らしさを学ぶべきだよ」

タシン「私は、どの花もステキで甲乙つけがたいと思うよ。最初にそう言ったじゃん」

イッシン「(心のなかで)タシンちゃんとは話にならないな。タシンちゃんとはもう絶交しよう」

タシン「(心のなかで)イッシンちゃんとは話にならないなぁ。でも世の中には色んな人がいるから、まぁ、イッシンちゃんのような感性もアリだよね。私とは合わない部分もあるけど、友だちなんだからこれからも仲良くして行こう」


【善と悪について】
◎一神教的発想(二元論)
(1)善をなすべき←善とは神の行い
(2)悪はなさざるべし

◎多神教的発想(多元論)
(1)絶対的善:完全なる善←現実には存在しない?
(2)悪を含む善:どちらかといえば善
(3)中間的価値観:善でもなく悪でもない
(4)善を含む悪:どちらかといえば悪
(5)絶対的悪:完全なる悪←現実には存在しない?


【正義と不義について】
◎一神教的発想(二元論)
(1)正義は栄えるべき←正義とは神
(2)不義(邪義)は滅ぶべき

◎多神教的発想(多元論)
(1)絶対的正義:完全なる正義←現実には存在しない?
(2)不義を含む正義:どちらかといえば正義
(3)中間的価値観:正義でもなく不義でもない
(4)正義を含む不義:どちらかといえば不義
(5)絶対的不義:完全なる不義←現実には存在しない?


【宗教・信仰について】
◎一神教的発想(二元論)
神は唯一絶対の存在であり、神こそが永遠不滅の真理である。他の信仰や思想は悪魔の信仰・思想であり、そのような信仰・思想は神のために、神の名のもとにおいて(暴力をもってしてでも)破壊しなければならない。唯一絶対の神の教えに反する信仰・思想は絶対にこれを認めない(魔女狩・魔女裁判など)。

◎多神教的発想(多元論)
(1)神々は世界に遍満している
(2)万物は流転する(神々も流転する)
(3)万物は相対的に存在している(神々の立場も相対的である)
(4)絶対的真理はあるかどうか分からない(人智が及ばない)
(5)他の信仰の神々もあり得る(なんなら自分たちの神々の中にそれを取り込んでみたりもする)


【一神教的二元論とは】
一神教的発想(ヘブライズム/ヘブライ人の思想)とは、すなわち人の手の届かない高いところに絶対的価値観を想定し、そのもとにおいて私たちの周りのありとあらゆる物事を善か悪か、正義か不義か、敵か味方か、白か黒か…といった対峙する思考で切り分けて考えて行く発想だと思います。

このような発想をすることは非常に楽ですし、とても明快で誰にでも分かりやすいものだと思います。


【多神教的多元論とは】
私たちが生きている現実の世の中には、善と悪との間、正義と不義との間、白と黒との間など、ありとあらゆる相対(対峙)する物事の中間には(目に見えない)美しいクラデーションが存在しています。

多神教的発想(ヘレニズム/ギリシア人の思想)とは、そのグラデーションをありのままに見つめ、どこかで切り分けることなく「全体的調和の美」をある意味の真理(のようなもの)として俯瞰する発想であると思います。

その発想は非常に人間的であり、また人間の思惑や感情に左右されず「ありのまま」を「ありのまま」に見つめて客観的・相対的に評価をしようとする極めて理性的な思想でもあると思います。


【まとめ】
森羅万象、万物の存在は(人の心の動きも)単純な二元論では到底説明できないと思います。

すなわち、善と悪との間にも、正義と不義との間にも、白と黒との間にも…。

ありとあらゆる存在、ありとあらゆる場面には美しいグラデーションが存在しています。このグラデーションを味わうことこそが人生の醍醐味なのではないかと思います。

世の中に存在するこのような目に見えないグラデーションを味わうことで、自分を取り巻く環境の中に美しさ(ときには神々の存在)を感じ(観じ)、日々を心豊かに過ごすことができるのではないかと思います。

例えていうならば、昼と夜だけの世界しか見ない(見ようとしない)、知らない(知ろうとしない)のではなくて、昼の世界・夜の世界と合わせて朝陽が昇るときの空の美しいグラデーション、夕陽が沈むときの空の美しいグラデーション、そういった世界の存在をも知ることが大事なのではないかと思います。^_^


【附録】
◎仏教について
仏教には、たくさんの仏・菩薩・神々が存在しています。ですから仏教は一見、多神教のように思われます。

しかし仏教の開祖は釈迦であり、現実の歴史的経緯はともかく、教義上はすべての教えは釈迦に収斂します。

ですから仏教は「多神教的要素を持つ一神教みたいな教え」(一神教でも多神教でもない)と私は考えています。^_^


このお盆休みの期間中に「人の心とは」「人の心の動き(働き)」とは何なのか…といったことを考えていました。^_^


©2024 九條正博(Masahiro Kujoh)
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