たかぱん

お読みくださり、まことにありがとうございます。プロテスタントのキリスト者・父・塾教師・偏向的な本好きとして、生き生きと歩むことができるような言葉を聖書から誰かに提供できたら、と願っています。書くことに力を注いでおりますが、ここから何かを拾ってくださればなによりです。

たかぱん

お読みくださり、まことにありがとうございます。プロテスタントのキリスト者・父・塾教師・偏向的な本好きとして、生き生きと歩むことができるような言葉を聖書から誰かに提供できたら、と願っています。書くことに力を注いでおりますが、ここから何かを拾ってくださればなによりです。

マガジン

  • レスポンス

    礼拝説教は、神の言葉。いのちある説教に対しては、それを受けていまここでおまえはどうするのだ、という問いかけがあります。何らかの形で、それへの応答を、祈りのように告げることが必要だと考えました。

  • 表メッセージ

    もう裏だなんて思わない。堂々と、幸せのニュースをお伝えします。日曜日の礼拝ごとに、一週間の生きる力を、人生を変える力を、神の言葉がもっていると確信していますから、それを指し示す取り次ぎをお手伝いします。

  • ショートメッセージ

    聖書から日々黙想をしている中で、短いひとまとまりのメッセージを書き留めています。それをおすそわけします。ご面倒ですが、聖書箇所について聖書を開くか、検索してくださると、いっそう身近に感じられるとお薦めいたします。

  • 聖書と信

    聖書はひとを生かすもの、という思いこみだけで、お薦めします。信仰というと引かれそうですが、信頼などの信として、ひとや世界を大切にする思いが、少しでも重なったらステキだな、と思いつつ伝えてみますね。

  • 本とのつきあい

    本に埋もれて生きています。2900冊くらいは書評という形で記録に残しているので、ちびちびとご覧になれるように配備していきます。でもあまりに鮮度のなくなったものはご勘弁。

最近の記事

深いまなざし

マルコによる福音書の連続講解説教は、前回、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて、福音を信じなさい」という言葉を中心に受けていた。今日も、この箇所が重ねて取り上げられた。これに加えて、ガリラヤ湖のほとりで、シモンとアンデレ、さらにヤコブとヨハネを弟子に招く場面が付け加えられることとなった。   後者は、しばしば「召命」という意識でも読まれることがある。神に呼ばれて、神の声を聞き、キリスト教伝道者となるべくその第一歩を始めるきっかけとなり得る聖書箇所であるのだ。「人間をとる漁

    • 復興への道 (イザヤ62:6-12, ルカ13:1-5)

      ◆陸の孤島 2011年の東日本大震災は、東北を中心として、甚大な被害をもたらしました。地震だけでも被害は甚大であったのに、それに加えて津波が沿岸各地を襲いました。筆舌に尽くしがたい情況について、私は九州から、何も知るところがありませんでした。無責任にこのような形で触れることを、まずお詫びしたいと思います。どうしても、あることについて、お話ししたいと願ってのことです。傍から見ている者が、知ったような口を利くことは、厳に慎まなければならないことだとは考えておりますが、実際それを

      • 目を覚まさなくてはならない

        黙示録3:1-6    パトモス島に、恐らく流されていたヨハネは、七つの教会へメッセージを送るべく、神から黙示の言葉を受けていました。正確に言うと、「教会の天使」に書き送るよう命じられていたのでした。その第五弾として、サルディスにある教会宛の手紙に注目します。「生きているとは名ばかりで、実は死んでいる」というような厳しいメッセージでした。   教会なのだ、と活動していることを自称していても、それは名ばかりである。そういう指摘がここにあるのですが、それを現代の私たちは、他人事と

        • 『詩篇の花束』(広路和夫写真・草苅美穂花・いのちのことば社)

          義母に差し上げようと思った。店頭で見たとき、これはステキだ、と感じたのだ。   2003年に発行され、入手したものは2014年の第8刷である。長きにわたって、よく売れているということなのだろう。ただ、私が好んで買うタイプの本ではなかったので、私の視界には入っていなかった。いま、こうして誰かのために役立つことを考えるようになって、目に映った景色だ、ということだろうか。だから、写真がこよなく美しく輝いて見える。   内容は、詩篇の中での、印象的な言葉の一部が、その多くは2、3行程

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        • レスポンス
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        • 世の中どうよ
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        記事

          信仰のエッセンスとしてのアドバイス

          エフェソ5:10-20    エフェソ書の中でも、あまり注目されない箇所ではないかと思われます。「主に喜ばれるものが何かを吟味しなさい」から始まりますが、これは心に刻んでおきたい言葉です。「闇の業」は明るみに出すわけにはゆきません。口にするのも恥ずかしいことは、私たちの中にも、そうしたことの一つや二つはあるのではないでしょうか。   それは光ではなく、闇です。「キリストがあなたを照らされる」のだから、キリストなしの世界は闇なのです。闇の中の者は、眠っています。それは死者の世界

          信仰のエッセンスとしてのアドバイス

          怖い時代

          政治の内容については、事情がすべて分かるわけではない。無知と思い込みから、デマとなることを振り撒いてはいけないと考える。そこで、政治の内容ではなく、形式であるとご理解戴くことにする。   兵庫県知事の失職に伴う選挙に関してである。   そこに、SNS記事が大きな影響を与えた、という報道や意見が出ている。有権者は、「選挙公報」や「街頭演説」に基づいて投票した、というよりも、ネットの記事や動画によって投票先を決めた、ということのようである。   今回の選挙の真実の姿がどうであれ、

          目を覚ましているのを見られる

          ルカ12:35-40    「神の国を求めなさい」(12:31)との教えに続いて、目を覚ましていることの報いを語ります。目を覚ましていなさい、という命令の形でイエスは語っているわけではありません。婚礼から帰ってくる主人を、戸口ですぐに開けようと待っている僕であれ、というめいじかたをするものの、控えめな言い方で「目を覚ましているのを見られる」と繰り返します。   その「僕は幸いだ」とするのです。この二つの表現が耳に残った弟子たちだったことでしょう。主人を迎えることが、そのなすべ

          目を覚ましているのを見られる

          見抜かれていると感じるとき

          ――どうしてこの牧師、自分のことを知っているんだろう?   今週の説教を聞いて、妻が言った。もちろん、知っているわけではない。だが、語る説教が、自分の心情や信仰をずばりと突いていることを感じたのである。   実はこのような言葉は、あちこちで聞く。多くは、信仰の証しである。証しというのは、自分の体験が神に関わるということを説明することである。神に出会った経験において、礼拝説教が自分のことを言っている、と感じた、という意味であるだろう。   それは、「あなたは偉いね」と褒められた

          見抜かれていると感じるとき

          働かない者との関わり

          テサロニケ二3:6-15    問題は、教会内のことでした。外の市民との衝突などではありません。仲間に入れようとしてのトラブルではありません。「きょうだいたち」に対して呼びかけています。この手紙は、パウロの名により書かれたものと言われますが、パウロの後継者と思しき人がまとめているようです。パウロだったらどう言うかを考えて、後の時代に書いたといいます。   そういう見通しの中で、そのとき教会の中で目に余っていた有様に、苦言を呈したのだと思います。ターゲットは、「怠惰な生活」でし

          働かない者との関わり

          夜の祈り

          この教会には、もう一人の説教者がある。この説教者は、詩編を、すべてではないが、初めの方から開いて語るようにしている。今回は詩編4編。9節を数えるのみではあるが、コンパクトに、詩人の祈りがまとめられている。「ダビデの詩」であるという。果たしてダビデ本人が本当に書いたのかどうかは知る由もないが、ダビデの経験が描かれているのは確かであるう。つまり、「ダビデについての詩」であるならば、何の問題もないはずだ。   ダビデはイスラエルで愛される王であり、イエスの現れる千年ほど前に、イスラ

          スペシャル・ニュース (雅歌8:6-7, ルカ16:1-13)

          ◆虎に翼 NHK朝の連続小説「虎に翼」は、好評のうちに、9月に放送終了しました。女性裁判官となった三淵嘉子(みぶちよしこ)さんの生涯をモデルに、寅子(ともこ)という名の主人公を中心に、法曹の世界を描きました。朝ドラにしては堅い前触れがあったと思いましたが、始まったら視聴者はどんどん惹きこまれていったのです。   ご覧にならなかった方には分かりにくいのですが、ストーリーをすべて紹介する暇はないので、ポイントにだけ触れましょう。このドラマで、恐らく誰もが、背筋に冷たいものが走っ

          スペシャル・ニュース (雅歌8:6-7, ルカ16:1-13)

          『深い河』(遠藤周作・講談社)

          昨今、こうした文学者の本が入手しづらくなっている。先日は大江健三郎の本を、と思ったが、一向に見当たらないのだ。ノーベル賞を受けても、書店は置かないのである。遠藤周作もかつては多くの人気作家コーナーに並ぶような売れっ子だったのに、いまはさっぱりである。   NHKの100分de名著の「宗教とは何か」に、この本が紹介されていた。4人の論者のうちの1人が扱っていたのだ。粗筋のようなものも当然そこには書いてある。だが、それで分かったような気にはなれないのが、小説というものだ。設定くら

          『深い河』(遠藤周作・講談社)

          復興の途上の国から

          詩編107:1-9    「主に贖われた人々」がここにいます。苦しめられていました。「不毛の地」にいました。「苦難の中」にあって、主から助け出されました。「人の住む町」へと「まっすぐな道」で戻ることになりました。その後、「捕らわれ人」(107:10)のような表現があることにより、この詩が捕囚から帰還した民のことをうたっているのではないかと推測しました。   救い出されたのです。本来の土地、神に与えられた歴史の深い土地へと帰ることができたのです。口でそう言って喜ぶのは、傍から見

          復興の途上の国から

          孤独を覚えるとき

          孤独は、当たり前のことだ、とも言える。人は、ひとりで世に現れ、ひとりで世を去る。もちろん、祝福されて生まれることが多いだろう。大切に愛されて育てられる、ということがあって然るべきである。だが、名誉も財産も、愛する人も、世を去るときには携えることはできない。   すると、生きていることそのものが、本当は孤独であるというふうにも思えてくることがあるだろう。仲間とか連帯とかいうことに、喜びを覚えることが空しくなる人がいるかもしれない。また、そうしたところで傷ついて、人と交わることか

          孤独を覚えるとき

          命のパンが人を生かす

          ヨハネ6:43-51    五千人にパンを与える奇蹟があった翌日のことです。群衆は、イエスを追って湖の向こう岸まで来ました。パン目当てであると見たイエスは、真の食べ物は信仰によるものであることを説きました。すなわち「天からのパン」であり「神のパン」であることです。その「天から降って来たパン」(6:41)がイエスだということをユダヤ人は聞きました。   「ヨセフの息子」(6:42)ではないか。それがなぜ、天から降って来たなどと言うのか。ユダヤ人たちは不満を口にします。そこでイエ

          命のパンが人を生かす

          仏教とキリスト教についての随想

          母は禅寺で産まれた。私が小さなころには、車で二時間はかかるところにあり、途中で山道を走るとき、きまって嘔吐した。遠くを見て、と姉に言われ、懸命に耐えようとしたが、毎回、紙袋を入れたビニル袋のお世話になった。   寺の本堂は、子どもから見てとても広かった。仏教についての説明された模造紙が貼ってあるなど、なんでもないものと思っていたが、後に歴史を習ったとき、全部知っていたので、役立ったのは間違いない。   しかし、なんといっても怖いのは夜だった。はばかりに行くのに、暗い部屋を幾つ

          仏教とキリスト教についての随想