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処世術・日本人の宗教観

長い間、日本人は無宗教だと、私は思っていましたが、
最近は違うと思っています。

確かに、しょっちゅうお祈りをするわけでもないし、
日曜になると教会に行くわけでもない。
だから、熱烈な宗教心があるとは言えない。
しかし、決して無宗教ではないと思っています。

日本の宗教と言えば、神道と仏教。
神道にも仏教にも厳しい戒律や掟はない。

だから、生活していて特に大きな存在感は感じないものの、
宗教的な行事はきちんとあり、日本人は普通にこれを行っています。

例えば、結婚式、お葬式、初詣、お宮参りなどがあるし、お盆とかお彼岸もある。
命日にはお墓参りに行ったり、珍しいお菓子などをもらったりすると仏壇に供えたりします。

こういうことを当たり前のように行っているのだから、
やっぱり宗教心をもっている。
しかも、お天道様がみているというような考え方をする。
これも広い意味では宗教心といえるのではないか。

山に登って日の出を見たりすると、素直に感動して手を合わせたりするのも、その表れだと思う。

神道も仏教も多神教です。
多神教は多くの神を認めることなので、一神教とは全然違います。

一神教は、自分の信じる神しか認めない。
しかし、異なる神を信じる人たちが、お互いに神の存在を証明できるのかといえば、それはできない。

存在の証明が出来ないなら、「信じるか信じないか」だけの話になり、
争うとすれば、最後は殺し合いになってしまう。

多神教なら、初めからそもそも争う理由がありません。

ヨーロッパでは、古代の文明国のギリシャもローマも多神教だった。
しかし、ローマ帝国は4世紀にキリスト教を国教とし、
以後ヨーロッパ中でキリスト教が主流になる。

一神教のキリスト教は基本的に他の神を認めない。
過去のことではあるが、他の宗教のことを邪悪だとみなして異教徒を迫害したり、奴隷にしてきて平気だった。

ジャンヌ・ダルクだって異端審問にかけられて、火あぶりにされた。
(今ではフランスの守護聖人の一人にされているそうですが、火あぶりにした後だから手遅れだ。)

一神教と多神教を比べると、一神教は非寛容で、
多神教は寛容だと言えるのではないか?

多神教の日本人は、「あんたがそれを信じるなら、それで良いよ」という考えです。
だから、悪く言えば「いい加減」に思えるけど、実は寛容なんです。

こういう日本人は、多様性を認める民族的特質があると思う。

それに対して欧米は一神教で非寛容だから、多様性を認めたければ、
ことさらにこれを大事にしようと強調しなければならない。
さもないと、勢いがついたら排除するように動いてしまいかねない。
そういう素地がもともとあるんだから。

だから、最近のLGBT問題なども、ことさら多様性を認めることを強調する必要があるのだろう。

しかし、そもそも多様性を認めているたいていの日本人は、最初からほとんど問題にしていない。
なので、改めて声を大きくしてLGBTを認めろと主張されても違和感がある。

ヨーロッパで声高に主張しているからと言って、
何でもかんでもそれを流行のように輸入して騒ぐのはおかしくないか?
そもそも日本人の素地は違うんだから。


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