見出し画像

『宗教と不条理』 信仰心はなぜ暴走するのか 佐藤優 本村凌二

     

ひとり遅れの読書みち     第55号

     現代社会は合理性を求めるあまり、政治、経済、国際関係などの諸問題について、宗教あるいは信仰心を見落としがちだ。民族や国家あるいは社会や文化の背景には宗教が厳然としてあり、「目に見えない原動力」となって現実の世界を動かしている。ロシア・ウクライナ戦争、パレスチナでのハマス・イスラエル戦争など、今でも宗教問題を抱える紛争が止むことはない。
     宗教は本来、人を救い平和を実現するために生まれたはずなのに、なぜ暴力を正当化しようとするのか。不条理ではないか。こうした疑問に答えようと、古代ローマ史の大家本村凌二と国際情勢に精通した神学者佐藤優が話し合った。常識を改めさせる論点が幾つも提示される。瞠目に値するものだ。

     まず本村は、「世界情勢に大きな影響を及ぼしているユダヤ教、イスラム教、キリスト教という一神教は古代地中海世界で生まれました」との基本を述べると、佐藤は「近代的な価値観や常識は、必ずしも人類史全体に適用するものではありません」と受け、「近代という枠組みそのものが、20世紀以降はいろいろな意味で限界を迎えようとしています」と時代の変化に注意を促す。また、本村も「啓蒙思想もナショナリズムも、近代の産物にすぎません」と応じる。
     佐藤は、キリスト教のほとんどの教派で採用されている教義が「非合理的」であることを改めて確認する。つまり「生殖行為なしに生まれた男の子が救い主となり、その救い主は死んでから3日目に復活した」という教義のことだ。「こんな非合理的な話しを信じているキリスト教徒はほぼ全員がマインドコントロールされている」と述べ、「もしマインドコントロールを法律で禁止できるとなれば、キリスト教を禁止できる」と、近代合理主義の危うさを示唆する。

     また佐藤は、宗教が時に「残虐性や暴力性」を見せることは歴史の中で何度も繰り返されてきたと述べるとともに、今世紀に入ってからは2つの事件に大きな衝撃を受けたと明らかにする。
     第1は2001年9月11日米国で発生した同時多発テロであり、第2は2022年2月24日始まったロシアのウクライナ侵攻だ。第1は「宗教的な誘因」によって米国のど真ん中で事件が起きたこと。第2のロシア・ウクライナ戦争については、西側からすると「民主主義陣営」対「独裁国家」という「非宗教的な図式」になるものの、キリスト教内の宗教戦争だと指摘する。
     佐藤によると、ロシアも開戦当初は、ロシア系住民の処遇をめぐるロシア・ウクライナ間の戦争だった。だが、2022年9月30日プーチンがヘルソン州とザポリージャ州の併合を宣言した時の演説が「分水嶺」になったという。この中でプーチンは同性愛や性別適合手術などを受け入れているような価値観に覆われている西側世界は「純然たるサタニズム(悪魔崇拝)の特徴を帯びている」と述べた。「正教対サタニズム」の価値観戦争に切り替わったというのだ。

     一方、一神教が「戦闘的」と一般に見られていることについて、本村は「一神教は人間にとって非常に不自然な信仰のあり方だ」と述べる。日本を含めギリシャやローマなどはもともと多神教の世界だったのであり、ギリシャやローマではある「特定の神」を崇めることはあったものの、他人が自分と別の神々を守護神としていることを非難したり否定したりはしないと強調する。
     また「多神教は寛容で、一神教は非寛容だ」と思い込んでいる人が多いと注意して、佐藤は、ミャンマーやスリランカでの仏教徒の行為を例示する。「多神教は寛容」というのは誤解であり、また「一神教であるがゆえの寛容さ」もあると述べる。一神教の信者は基本的に「神と自分」との関係にしか関心がないがゆえに、他人に対しては「無関心」という意味で寛容になり得ると説明する。

     本村は「戦争を宗教が加速、過熱させる側面」があることを認め、「神のためなら命を投げ出せる」と思えば、「激しい戦闘」も厭わないと語る。佐藤もまた「自分の命を捨てる覚悟をした人間」は「人の命を奪うのも躊躇しない」と警告。「民族のために命を捧げる」という気構えができると、ジェノサイドが民族紛争で起きやすいと解説し、「一神教は戦争につながりやすい」とも言う。さらに一神教と多神教とは明確に分類できるものではないとし、同じ宗教でも「一神教的となったり多神教的になったりする」と述べる。「一神教的な要素」が高まると通常より攻撃的になり「非寛容」になるとの見方を明らかにする。
     政治や国際関係にかかわる宗教について改めて考えさせる書だ。
(メモ)
宗教と不条理  信仰心はなぜ暴走するのか
佐藤優 本村凌二
幻冬舎新書
2024年1月30日 第1刷発行

いいなと思ったら応援しよう!