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強さは愛だもの

最近、この曲にはまっています。

「強いやつほど 笑顔は優しい だって強さは 愛だものー♪」

いやー、悪と戦うヒーローものの曲で「愛だものー」って歌います(笑)?

でも、そこがこの曲のツボなんです。何の恥じらいもなく、「強さは愛だもの」って言えるところが、この曲の素晴らしいところだと思います。

こういうヒーロー番組のなかで、愛を唱える曲はたくさんあります。

「遠くの星から来た男が 愛と勇気を教えーてーくーれーる♪


「あぁ心に 愛がなければ スーパーヒーローじゃないのさー♪」


こうしてみてみると、日本のヒーローたちの多くは、「愛」を掲げて戦っているように思います。「正義」とか、「正しさ」とか、「悪をやっつける」とか言いそうなものですが、そういう要素は弱いように思えてなりません。

なぜそうなるかといえば、日本は欧米のキリスト教(一神教)的な思想ではなく、八百万の神をよしとする多神教的な世界観・宇宙観が根付いてからだと考察できます。

一神教的な考え方に基づいて世界を捉えてみると、神の対極に悪魔が存在してしまいます。文字通り、悪魔は悪であり、それをやっつけるヒーローが、正義の味方として描かれるわけです。したがって、ヒーローの戦いは「正義 vs 悪」という二元構造のなかで繰り広げられます。そこに「正義」や「正しさ」、「強さ」はあったとしても、「愛」を強調する必要はありません。

だから、敵をやっつけるときは徹底的にやるということに、何の疑念もないわけです。

ひとつ動画をご紹介させていただきます。

「攻撃してよし。標的を粉砕しろ。ゼロ戦を粉々にしろ。」
待ってました。」

ファイナル・カウント・ダウン」というアメリカの映画です。

過去にタイムスリップした米軍が、F14を発進させて、日本軍のゼロ戦を撃ち落とすように命令を出す場面です。ゼロ戦は民間人を攻撃する悪役としても描かれています。そこで命令を受けたパイロットは、「待ってました」と言って、喜んでゼロ戦を撃ち落としにかかります。

とても分かりやすい、一神教的な「正義 vs 悪」の構図といえます。


しかし、日本の場合は、八百万の神です。あっちもこっちも神様だらけです。なんなら貧乏だって神様の仕業だったりします。

そうなると、正義はあちこちに存在するということになります。正しさという切り口だけでいえば、ヒーローの側だけに唯一無二の正義があるわけではなく、敵にも敵の事情があって、彼らなりに致し方なくやっていて、それが彼らの正義だったりする・・・そんなことがありえてしまうわけです。

そんな世界観・宇宙観のなかでは、軽々に「正義」や「正しさ」だけをもって、ヒーローと呼ぶのは難しくなってきます。ヒーローの強みは、必ずしも「正義」や「正しさ」だけではないということです。

すると、どうなるか?

結局、ヒーローというのは、それら数多の「正義」を大きく包み込む存在になることが必要になってくるわけです。「(たとえそれが人の道理に外れていたとしても)相手にも相手なりの正義があるのかもしれない」という思いがあるだけで、相手との戦い方は変わってきます。つまり、相手を徹底的に叩きのめすような戦い方は、できなくなるわけです。

つまり、それが「愛」だということです。

上掲のアメリカ映画と似たような日本の作品、「ジパング」では、過去にタイムスリップしてしまった自衛隊が、米軍からの攻撃を受けて、それに対抗するためにミサイルを発射するかどうか、葛藤する場面が描かれています。
※こちらは、アニメ「ジパング」を実写版にした手作り動画のようです。

■イージス艦・みらいが米艦隊の第一波攻撃を受けた直後のシーン
《砲雷長》
艦長、トマホークでのワスプ撃沈を具申します。
《航海長》
撃沈だと?
菊池(砲雷長)、沈めなくてもハープーンを使って飛行甲板を破壊すれば。
《砲雷長》
いやだめだ。(中略)飛行甲板を、米海軍はわずか3時間で修復している。
《航海長》
3時間あれば戦闘は回避できる。撃沈させてしまえば、死傷者は千人規模だ。いくら自衛のためでも、それだけの人間の命を奪うことにためらいはないのか。
■イージス艦・みらいからトマホークが発射されたシーン
(人質になったみらい乗組員が艦外から発射されたトマホークをみて)
《みらい乗組員》

きさまぁ、なんてことを!それでも日本人か。(中略)みらいの放った矢はどんなに離れていても確実に米空母にとどめを刺す。だが、俺たちはそんなことを望んじゃいなかった。みらいの力は命を奪うためにあるんじゃない。なのに、貴様のせいで、みらいのなかに決断を迫られた奴がいるんだ。 自衛のためのやむを得ない決断をなっ!
(中略)
■米空母に向かってトマホークが飛んでいくシーン
《みらい砲雷長》
ボタンひとつを押すだけで、歴史は変わる。そして、人の命が消えていく。これが俺が選んだ射撃の道。あと40秒で俺は・・・。

過去へのタイムスリップという似たようなシチュエーションながら、ミサイルを発射した自衛隊の人々の表情は、「待ってました!」と、喜び勇んでゼロ戦を撃墜しにいったF14のパイロットとは、あまりに対照的です。彼らは、自分たちが圧倒的に優位であることを知りながら、それを行使しないで済まないかギリギリの葛藤をしています。相手をやっつけるということが、致し方なくなされる行為であると考えていることが、とてもよく分かります。

さて、問題はこの葛藤が何によって生まれているかです。

それには、いろいろな言い方ができるでしょうし、長ったらしい説明も可能でしょう。しかし、それを一言で端的に表現するとしたら、「愛」だということです。

「相手にも相手の事情がある」
「できることなら相手を救いたい」
「相手にだって正しいと信じるものがあるのだろう」

そうした相手を思いやる心、つまり「愛」こそが強さの源になるということです。

本当?と思われる方は、ちょっとこんな話を考えてみてはどうでしょう。

断定はできません。しかし今、世界を見渡してみると、こういうことが本当に起こっているとしても、なにも不思議ではありません。陰謀論?まぁ、陰謀だらけの世界ですからね(笑)。

ただし、念のために言っておきますが、そんなヒドイことをしている人たちがいるとしても、真っ向勝負で彼らに「力 vs 力」の戦いを挑んたところで、まったく勝ち目はありません彼らの強さは地球規模です。まぁ、普通にいって、まるで歯が立たないはずです。

だからこそ、「強さとは何か?」を真剣に突き詰める必要があるのです。

ただ、「けしからん!」などといって、正義の心に震えて、怒ってるだけでは当然ダメです。もちろん、彼らと同じような力を手に入れようとするのならば、それなりの代償を払わなければならず、それもまた大変です。

したがって、ここで大切なことは、こんなヒドイことが、現実に起こっているとしても、あちらにはあちらの事情があるかもしれないと捉えることです。

そのヒントは合気道にあります。

一番強い技は、「四方投げ」とかそういう技ではなく、「(自分を)殺しに来た相手と友達になること」なのだそうです。

「「合気道」で生き残れ!」より引用

殺しに来ている相手にすら、友達になるくらいの勢いで、仲良くなってしまう・・・「お前にもお前の事情があるんだろ?」くらいでないとやってられません(笑)。

それでいて、相手を(相手が笑ってしまうくらいの技で)投げ飛ばしていくのです。詳細は、上掲記事に書いてある通りです。そこらへんに、強さの秘訣が隠されています。

ですから、例えば地球規模で悪いことをしているようにみえる人たちと対抗するには、彼らを包み込むくらいの大きさ、即ち宇宙レベルの愛を持ち合わせていなければなりません。それくらい大きな愛が必要だということです。

こっちは地球やら、人類やらのためだけに生きているわけではありません全宇宙を背負って全生命のために生きてるんです。

「宇宙を背負って生きようぜ」より引用

てなわけで、全宇宙を背負って、全生命に対して深い慈愛をもって接する・・・それこそが力の源泉だということが、「だって強さは 愛だものー♪」という歌詞には含まれていると思うのでした。


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