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<戦時下の一品>ー防空竹兜ー行きつくところまで来たという代物

「等負荷であれば鉄筋なしの掩体ができる」を地で行った松本市の半地下工場ー大学講師から聞いた体験談とともに紹介

戦争は、音楽家たちも見逃しませんでしたー日本音楽文化協会の冊子に見る

戦時下、ささやかな楽しみを支えた「代用コーヒー」の話

愛国イロハカルタ登場ー戦争は子どもたちも見逃しません。表向き公募で実は戦時の指導を押し付け

愛国百人一首に見る戦時下の文化ーあらゆるものが戦争遂行に利用・協力させられ、あるいはしていきます

無事を祈って交わし合った戦時下のはがきと、その無念な結末

文字通り、命がけで戦時下の「日常」を写真で残した川上今朝太郎氏ー長野飛行場拡張工事撮影の危険も冒す

子ども向けに作られた「国策紙芝居」ー「オモチャの出征」に見る戦時下のメッセージ

参拝客・観光客でにぎわう善光寺で、戦争の名残を新たに見つける

敗戦で残った国策紙芝居、処分されたものばかりではなく「墨塗り」ならぬ「線引き」で残ったものも

酒不足に対応して食用アルコールのエタノールを加えた「三倍増醸酒」登場ー戦後は工業用アルコールのメチルアルコールによる「殺人酒」被害も

ある農家の昭和18年ー砂糖なしの正月に始まり、常会での配給品割当、出征、戦死、そして「勝ちに勝った年」と総括

「陸軍好きは戦争ごっこでいいだろうけど、海軍好きは遊べない…」という子どものために、海戦ゲームもありました!

日中戦争が始まった1937(昭和12)年の11月ごろ、各地にこんな年賀はがき印刷見本が届いていました

日中戦争開戦の年の瀬、玩具や教材の通販カタログは戦時と平和が混在しつつ、まだ豊かさがありましたーお年玉を何に使おうか…

なかなか思考とは変わらぬものと知る、戦前の新聞コラム

大日本帝国の大和魂を育てたのは熱い銭湯らしい、明治と昭和の街の声

<戦時下の一品> 配給券・配給手帳の保存用具

戦時下の昭和18年、子どもが産まれたー物がない中でも、皆が持ち寄ってお祝いだ!

おや、こんなところに標語がー戦時下の品から

戦争は、伝統的な酒造りもめちゃくちゃにしていった

とにかく「科学」と付けた雑誌が戦時下に氾濫

子どものゲームにも「防空」が繰り返し登場ー自分事ではあるが、逃げるが勝ちだよね…

長野赤十字病院の関係者でつくる院友会の年に一度の会報、1943年の惨状と反比例する過激な内容

続・絵映フィルムー1943年8月5日発行の防諜作品「スパイは狙ふ」ー勘違いやら、〆のセリフは謎やら、注意を引き寄せる工夫なのか

配給制度は個人単位だけではなく、隣組組織を通じての配給割当(有料)もあったー分け方に苦労がしのばれる

「主婦之友」1941(昭和16)年2月号に見る、国策迎合の編集による生き残りー国や軍が求めていた事がよく見える

空襲と物資欠乏が出版も奪っていくーそれでも戦争継続呼号

名前は仰々しいが、絶望感しか感じさせてくれない「一億憤激米英撃摧運動資料・食糧の挙国決戦増産」

何でもネットに転がっているわけじゃない。本に詰まった情報をなめていたら、何かを調べることなんかできっこない

テニアンで戦死した歩兵第50連隊・松田和夫大尉の妻の手記を読むー戦争を挟む激動の80年余、最後に訴えたかった事

興亜奉公日から大詔奉戴日へー臣民の戦争への関心維持に、あの手この手。そして追従した情けない新聞の姿

軍事はカネが必要。ならばどこから捻出するかー通常経済の逆を行く戦時経済

用済みの入営祝いの幟、布も貴重な中ではリサイクルすることもままありました

フィルム原料も不足の戦時下、蝋紙に絵を印刷したとみられる「絵映フィルム」が登場ー幻灯機で使えたか

早くも1943年、子ども向け科学雑誌に「一億玉砕の決意で撃滅せよ米英」って、科学らしさがみじんもない

1941(昭和16)年発行の講談社の絵本「ヒットラー」を読むーなるほど、プロパガンダとはこういうものかと学ぶ

空襲から逃れる「疎開」にも、いろいろ煩雑な手続きが必要でしたー対象者も防空法で限定されました

敗戦後に届いた、陸軍大臣感謝状配布の依頼

戦争のため「家」を最大限利用する、国民精神総動員中央連盟

疎開者受け入れで天手古舞だった長野県ー邸宅開放を渋ったり、金に糸目をつけない疎開者に借家人が出されたり…

機密漏洩は「見ざる、言わざる、聞かざる」で防御ーもっとも、当局は必要な情報すら隠蔽。規制の動きに注意したい

太平洋戦争末期、学徒の勤労動員から学校の工場化まで行われていました

映画感想文「ホワイトバード はじまりのワンダー」戦時下のフランス。若者たちがどう生き抜いたのかの物語

太平洋戦争下の唯一の衆議院選挙、翼賛政治体制協議会推薦候補が圧倒的だった選挙の一端を見る

軍や国が最初に目を付けるのはやっぱり教育だと実感

学童集団疎開は各方面に犠牲や負担を生じましたが、大人が始めた戦争で犠牲になるのは、いつも子どもたちなのです

昭和12年正月の大阪毎日新聞付録「最近の東亜形勢図解」は陸軍の宣伝ー同年の在郷軍人点呼で利用の地図と比べれば…

長野県の松本市役所が1942年ごろ備えた防空用の冊子を見るーおいおい、やはり精神頼みかよ(松本市のせいではない)