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名前は仰々しいが、絶望感しか感じさせてくれない「一億憤激米英撃摧運動資料・食糧の挙国決戦増産」

 日中戦争中の1940(昭和15)年に発足した大政翼賛会が、太平洋戦争の戦局も悪化の一途にあった1944(昭和19)年半ば過ぎから「一億憤激米英撃摧運動」を始めます。同年10月9日に政府が「決戦世論指導方策要項」を閣議決定したことを受けた動きで、その一つが「翼賛運動報道資料」の発行であり、「一億憤激米英撃摧運動資料」の提供でした。以前、報道関係資料をご紹介しましたが、新たに「食糧の挙国決戦増産 附・衣料、薪炭、潤滑油」を入手しましたので、ご紹介しますが、正直といえば正直に窮状を直視しています。が、そこに絶望的な対応を求めています。

これは米英撃摧は無理と思わせてくれる「運動資料」

 「食糧の挙国決戦増産」と題した空虚な前書きは、台湾沖航空戦やレイテ決戦で大勝利を挙げているというあたりからお察しですが、そのうえで「食糧増産に対しても国民が真に挙国決戦増産の意義に徹し、総力を挙げて邁進致さねばなりません」とし、現状と政府の施策を紹介するとします。

 所要食糧のうち、コメが最初に来ますが、1943(昭和18)年度について6300万石の収穫があったが、内地の消費は7500万ー8000万石で、不足分は移入に頼るのですが、「戦局急迫せる現状」では仏印、タイ、ビルマからの輸入は困難。朝鮮と台湾からは1938(昭和13)年度に1500万石あったものが、最近は600—700万石に減ったため、残るは満州からの大豆、コウリャンその他で補わねばならないとします。これが、戦争末期に満州の大豆かすをコメ代用品とした配給した背景となっています。その対策が「挙村米穀一割増産運動」とか。

コメの窮状訴え、代用食が必要と

 麦類については比較の数字を出していませんが、コメ代用のほか味噌や醤油の製造といった「副食物の極めて減少せる今日に於いては(略)其の増産を期することが必要」とし、さらに飼料としても大事と、背負わされるものが大でした。そこで政府が奨励するのが、新たな栽培方法での増産でした。

麦が多方面に必要とするも、対策は新たな栽培方法
年代不明ですが、勇ましい言葉が逆にむなしい

 次に期待をかける芋類ですが、「戦時下に於いてはアルコール及びブタノール用として燃料に消費せられるものが莫大」とあり、食糧対策とするには、軍需の燃料としての利用が増大している分、大変になっていることが分かります。そして量を重視したため「大白」という、甘味のない、はっきりいっておいしくないサツマイモがなんとか食糧となっていきます。対策は、苗の供給増拠点を各地に設けさせると。

芋が軍事用の燃料になっている現状を直視させられる

 そして農業生産で重要な肥料。戦争のための物資生産に比重を置くため販売肥料が減少しているとし、1944年度は一層の増産目標を掲げます。では、いかに実行するか。国民学校児童や中等学校生を動員して山野草を積み込ませると。泣けてきます。あとは指導者用の予算と報奨金。金で釣っても現場はどうにもならないから、指導者層へのばらまきにしかならんでしょう。

自給肥料の増産も打つ手は子どもたちの応援

 水産業は酷い。1937(昭和12)年の日中戦争勃発以来、「漁獲高は、減少の一途」という状況。同年度に比べ、1941年度は75%、1943年度は67%と、3分の2に減っています。原因として出漁船の減少が挙げられていますが、これは防空を含めた哨戒のための漁船の徴用の影響、適齢の漁師の減少、それに燃料の枯渇といった複合要因が絡んでいました。全部、戦争の影響なのです。戦争を続ける限り、改善されるはずはありません。対策として、徴用解除は無理なので修理所を確保すること、工場などへの徴用解除といったもので、兵器生産も背に腹は代えられぬ状況になってきていました。

もうどうにもこうにも

 ほかに、衣料関係では生産が低下するのに軍需が増大し、民間需要に対して、1944年度の供給量は1943年度の半分になるとしています。衣料切符とお金があってもモノがない、という状況に陥ります。戦争末期の衣料切符で未使用のようなものが残っているのは、こうした背景があります。

 飼料や食用油の材料である菜種にもページを割いています。こちらも終了減少の傾向にあるのに、「軍需用油として要求は益々増大」とあって、増産運動を既に展開。生産者の意欲を引き出すための菜種油還元配給、学校校庭などの利用を挙げています。労力として、「少年農兵隊」、学徒動員と、ここでも年少者が頼りです。この状況下にあっても満蒙開拓青少年義勇軍送出も通常の満州移民もやめていなかったのですから、支離滅裂です。

40万から20万石の生産を80万石にとは、いかにも机上の計算です

 そして、潤滑油生産のためのヒマの増産も呼びかけています。何でも掛け声をかければ増やせると思って居るのか。感謝状が励みになるのか。
 以上、上げてきたここまでの危機的な状況を無理にでもやってる感を出すためには、若年者の徹底的な利用が不可欠でしょうし、労務動員ではどこでもそれを挙げています。これが、翌年の学業一年停止につながっていくのでしょう。

ヒマ献納への大政翼賛会感謝状

 戦争とは、始めるのは簡単ですが、やめるのがいかに難しいか。そして、ここまでの状況にあっても、自らの手で戦争を止められなかったこと、教訓として生かさねばなりません。

関連時期 戦時下でも権力者が恐れるのは内乱。なので外に目を向けさせ。

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信州戦争資料センター(まだ施設は無い…)
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