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敗戦で残った国策紙芝居、処分されたものばかりではなく「墨塗り」ならぬ「線引き」で残ったものも
戦時下、多くの人に影響を与えた大量の国策紙芝居。敗戦とともに多くのものは処分されたと言われていますが、中には「やばいところ」を線で引いて消して販売したり再利用したりされたものもありました。戦後の娯楽や宣伝に、少し頑張ったものをご紹介します。
まず、在庫品を何とか売却しようとした例。こちら、国策紙芝居「阿新丸」は、1943(昭和18)年12月15日に日本教育紙芝居協会が作ったもので、脚本は鈴木景山、絵は西正世志。物語は太平記からのもので、鎌倉時代。朝廷側に立って活躍した父が捕らえられ佐渡島に送られたことから、13歳の息子阿新丸が一目会いたいと出向くものの、北条方の武士に遮られて願いかなわず。しかし、父の首を切った北条の家臣を討ち果たして、一度は死を覚悟したものの、天皇のために戦うため生きて帰るというものです。
そして収蔵しているこの紙芝居、表紙や裏面に「画劇クラブ」の印が押され、定価は2円80銭のものが10円に書き換えられていました。このことから、在庫品を販売用に改修したものとみられます。
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絵は特に手を加えていませんが、原文は、特に天皇絡みのせりふが手直しや修正をされています。例えば「はやく都に返って 父に代わり大君 の御用に立って死ぬるがよい」と天皇への忠義と自己犠牲を説いた部分が「はやく都に返って 国の為につくせ」となっています。
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幽閉先の家臣の声で阿新丸が来たことを知った父のせりふ「首を斬られて死ぬるとも わが魂は み国を護る盾となって必ず 朝敵を亡ぼそう!」も、「首を斬られて死ぬるのか」と短縮され、次の文につながっています。
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最終ページはずたずたですが、原文はここで無理やり「わが日本国は神の國。神の御心にたがうもの共を討ち滅ぼすのが国民の道です」などと入れているせいです。それでも「御国を思う」は許される範囲だったようです。
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このようにさまざま一つ一つ手を加えて修正し、ようやく販売許可を得たのでしょう。紙芝居も出版物。敗戦後の米軍の検閲を通るようにと苦心した様子と、否定された価値観が見えてきます。
◇
こうしたセリフの改変は、収蔵品の中にもう1点ありますが、こちら「いとし子」は販売者の印も、価格の訂正もないことから、販売のための改変ではなく、手持の国策紙芝居を敗戦後も使えるように所有者が手直しをしたものと考えられます。
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こちらは手持の中でも一番敗戦に近いころのもの、1945(昭和20)年6月5日、日本教育紙芝居協会製作で、脚本は稲庭桂子、絵画は小谷野半二。西正世志と並び、この2人が国策紙芝居を描きまくった両巨頭です。
元のストーリーは、貧乏な父のため進学をあきらめた少年が奮闘し、やがて家庭を持ち子をもうけたところで、いつ出征するかも分からない身で自分と同じ思いはさせないようにと、郵便年金に加入して学資の見通しを立て、心置きなく出征するというものです。
とすると、この紙芝居の所持者はだれか。郵便局がPR用に購入していたもので、戦後に改変して、あらためて定期年金の宣伝にー元の利用方法と同じ狙いでー使おうとしたものと思われます。
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主人公の青年は、一生懸命働くだけですが、せりふの付け足しによって船員を目指すことになっています。「此の乱れ切った祖国日本再建は海を征服することだ」などと鉛筆書きで手を入れてありました。そして、後の部分もそれに沿うように手直ししていきます。例えば「おれは明日にもお召しがあれば戦地へ行く身だが」と軍隊への召集を意味する部分が「おれは出航通知が来れば南方漁場へ出て行く身だが」といったように苦心しています。
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そして子どもの年金加入を果たして、まだ赤ちゃんの子どもに向かい「自分も心おきなく戦いの野に出たってゆける。この秋の日のようなすがすがしい心で」というせりふは「安心して張り切って南方漁場に行く事が出来る」と変わります。
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そして最後のページの一つ手前、父となった青年の出征場面はずたずたです。ここが、一番天皇への忠義を誓う肝心な場面ですから。改変で「海上保安官」となって出て行くこととし、大量の抹消部分には紙まで貼ってありました。どんな文が伏せられていたか確認するため、やむを得ず剥がしましたが、おかげで、貴重な原文を確認できました。
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こうして手直しされたものは、教科書に限らず、たくさんあったでしょう。先般見かけた墨塗教科書では、書道の手本「海のあらわし」が「海のあら●し」となっていました。図らずも、これらの改変の後によって、価値観をどう変えていったか、その時代の区切りを伝える証人となっています。
米国の占領政策の一環として、天皇制は温存されましたが、現人神から象徴へと落ち着かせる工夫、天皇がいても軍国主義が復活しないようにするにはどうすればいいか。そんなものも透けて見えるようです。実物資料は、そんな敗戦後の空気感と、戦時下の狂信的な感覚も伝えてくれます。そこから何を学ぶかが大切なことと思って居ます。
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