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愛国百人一首に見る戦時下の文化ーあらゆるものが戦争遂行に利用・協力させられ、あるいはしていきます
正月の遊びといえば、いろいろありますが、百人一首といえば誰でも納得するでしょう。雅な絵の入った読み札と、恋や自然、世の移ろいやさまざまな心情などを歌い込んだ和歌による、日本独特の芸術文化でもあります。
ところが、戦争中には戦争に一致協力する文学者でつくる日本文学報国会(会長・徳富蘇峰)が「愛国百人一首」なるものを選定し、情報局が1942(昭和17)年11月20日に発表しました。この選定には陸軍省・海軍省・文部省・大政翼賛会・日本放送協会が後援、毎日新聞社(当時東京日日新聞社)が協力し、情報局が認定しました。
「健全な家庭娯楽」(情報局)として正月から使ってもらいたいところです。しかし、国力は疲弊してきている折柄、同年の暮れに読み札も文字のみという商品が急ぎつくられました。読み札に絵が入った商品は1943(昭和18)年の11月24日には作られたもようです。ただ、こちらの収蔵品は1943(昭和18)年12月20日発行の品ですが、読み札は文字だけでした。紙がぺらぺらなので、箱はものすごく薄いです。
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この愛国百人一首、万葉から幕末までの作品から、12人の選者(佐々木信綱、斉藤茂吉、太田水穂、尾上柴舟、窪田空穂、折口信夫、吉植床亮、川田順、斎藤瀏、土屋文明、松村英一、北原白秋)が愛国的とされる作品を選んだというものです。(「昭和2万日の全記録6」より)
代表的なものを見てみますと、こういった作が選定されています。
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臣民の士気を鼓舞するもの、武士道的な雰囲気を漂わせるものが目に付きます。特に天皇への忠義はしっかり取り込んでいます。
また、天皇を賛美したり仕えることの名誉を歌ったものも、当然ながら目立ちます。
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そして、天皇を護り、天皇のために死ぬことを誇りに思う作品たち。
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その流れで、このような作品がありました。
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「天皇(すめらぎ)に 仕へまつれと 我を生みし 我がたらちね(=母親のこと)ぞ 尊かりける 佐久良東雄」
天皇のために我が子を喜んで差し出す母親こそ尊いと。これは、兵士を出させるためのプロパガンダのにおいしかしません。
最後に2つの短歌を。このあたりに、当時の日本人の意識を誘導させる狙いがあったように思えます。それにしても、現代でも変わらぬ意識が続いていることを、どうみればよいでしょうか。
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詳細な説明ははぶきますが、当時、どのように臣民を誘導しようという狙いがあったかは、感じてもらえればと思います。
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さて、こうした一応かるたの形になっている商品のほか、新聞紙大の紙に 読み札、取り札を印刷してあり、買った人が自宅で適当な台紙に貼り付けて手作りする商品も、国策紙芝居の製造で知られる大日本画劇株式会社が1943(昭和18)年8月25日に発行しています。
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この愛国百人一首の遊びには、さらに愛国的しぐさとなる「カルタ取り七則というものも入っていました。
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健全娯楽といいつつ、この決まりでいけば、精神修養のようなものです。ここまで臣民を束ねるのに気を使ったのです。一つ一つの儀式が、皇国の民をつくると。形から入って重ねていくうちに、染まっていくものと見ていたのでしょう。
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ちなみに長野県では松本市の中信歌人報国会が1943(昭和18)年2月、県内の詩人、歌人、愛好家らの意見を聞いて「信濃愛国百人一首」を発表しています。また、長野中等学校(現・長野高校)では朝、生徒が愛国百人一首の1枚を選び、全員で朗誦したとか。
なんともやりきれない、複雑な思いのする、愛国百人一首。あらためて、戦争状態にない、自由な言論のある時代の良さをかみしめました。そして、政治の介入はどこから始まるか。文化人についても、いつどのような人が出てきてどんなことを主張しだすか。言論自由の時代であるからこそ、より感度を高くしていきたいと思う、愛国百人一首の教訓でした。
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