興亜奉公日から大詔奉戴日へー臣民の戦争への関心維持に、あの手この手。そして追従した情けない新聞の姿
1937(昭和12)年7月7日の盧溝橋事件を発端として始まった日中戦争も終わりが見えず、国内ストックを消費して民需物資の不足が顕著になってきた1939(昭和14)年、9月1日から毎月1日を「興亜奉公日」とすることが8月8日に閣議決定されました。長野県永明村(現・茅野市)役場も、防火呼び掛けを兼ねて趣旨を伝えるチラシを作製し、配布しました。
日中戦争の行き詰まりを「東亜の新秩序建設」という言葉でごまかし「国民はこの一大自覚の下に此の時局に處するの決意を新たにするべきなり」とし、「政府はこの新局面に対処する国民の心構えとして『公私生活を刷新し戦時態勢化する』の基本方策」を定めた、その実行項目の第一として、毎月の「興亜奉公日」を定めたと。
では、具体的に何をするのか。9項目にわたっていますが、「特に緊張して働くこと」など、ちょっとした心がけという感じです。しかし、全体主義への道は、この「ちょっとしたことを」「皆で」「定期的に」やることから始まるのです。ハードルは低く、しかし体には植え付けるという感じでしょうか。国旗を出さない家があれば、すぐ注意する隣人もいたことでしょう。まだ統一した隣組制度はできていませんが、えん戦気分の引き締めにはこれくらいから、ということだったかもしれません。
そして日中戦争はずるずると長引き、日中戦争継続のための資源確保などを狙った1940年と41年の仏印進駐をきっかけに、とうとう米国との貿易が基本的にストップする事態に。これを逆に被害者意識丸出しのABCD包囲網とか騒いで敵愾心をあおりつつ交渉は続けますが、決裂して太平洋戦争開戦に至るのは、ご存じの通りです。こちら、1941(昭和16)年12月8日発行の大阪毎日新聞夕刊。天皇の宣戦の詔書を大きく掲載しています。
さあ、日中戦争どころの比ではありません。工業大国の米国との戦争です。臣民の協力をまとめる、強力な総力戦を展開する必要が出てきました。幸い、緒戦は勝利の連続。このうちにまずは精神面からと、1942(昭和17)年1月2日に閣議で決定されたのが「興亜奉公日」に代わる「大詔奉戴日」。こちら、1月3日の読売新聞朝刊、1面トップの扱いです。「挙国戦争完遂の源泉」って、どこかで聞いたような。
開戦した日と同じ毎月8日に実施することとし、実施項目は大政翼賛会と政府とで相談して決めるとしていますが、とりあえず「1,詔書奉読 2,必勝祈願 3,国旗掲揚 4,職域奉公 5,その他の国民運動」としてあります。この後、例えば貯蓄や日の丸弁当の実施など、いろんな節約や奉仕活動などが加わっていくことになります。
1940年に結成された大政翼賛会も、この日の設定が国民の感激を記念するとし、常会も8日に開くようにと付け加えています。
以後、各地で大詔奉戴日の活動がなされることになりますが、特に新聞は「詔書奉読」のため、物資統制で減らされている紙面のかなりの面積を使って、毎月8日の朝刊に詔書を載せていくことになります。情報も物資も政府と軍に握られ、発表以外は書いてはいけないとされた新聞は、各社とも足並みをそろえて指示通りに載せていくことになります。人々に伝えるべき情報はなかったのか。政府や大本営の発表だけでは埋まらない紙面の足しになると思ったか。それとも、我こそは臣民を鼓舞していると勇んだか。広報紙化した新聞の姿を象徴するものであったと思えます。
この、威勢の良い戦果と並べた開戦の詔書。トップに「大詔奉戴日」と載せる丁寧さ。この詔書掲載は終戦の1945年8月まで、たった2ページの新聞になっても続けられました。
報道の自由が奪われるというのは、こういう結果を生むこと。戦争に協力一致するという名目で自らを鼓舞し、誤魔化しつつ、政府や軍に盲従していき、人々を戦争に駆り立てる役割を果たします。太平洋戦争中、結果的に毎日新聞の「竹槍事件」ぐらいしか政府・軍へのはっきりした反抗は見られませんでした。
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政府を始めとした権力者に厳しい目を向け、点検する新聞あってこそ、政府にも緊張感が生まれ、政策も練磨されるというもの。誤りも正せるというもの。大新聞社のトップが首相をはじめとする政界幹部と会食するなど、何も得ることがないばかりか、国民の不審を生むだけです。国民の信頼あってこそ、その付託に応えられるのです。意見交換が必要なら一線記者を出して記者会見で堂々とやればいい。会食でスクープが出るのか。会食で政府に厳しい言葉を浴びせられるのか。あるわけがありません。
もう、こんな戦時下のような、政府の太鼓持ちのような新聞は二度と見たくありません。悪しき習慣はすっぱりとやめ、本来の報道人の矜持を今一度、見直してほしい。
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