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「主婦之友」1941(昭和16)年2月号に見る、国策迎合の編集による生き残りー国や軍が求めていた事がよく見える
戦前、一番読まれていた婦人雑誌「主婦之友」は、戦時下、情報局の指導の下、国策迎合紙面に励んでいました。戦後、石川社長が「これが戦力になるのか!」と言われつつ、少しでも女性のための雑誌を送り出そうとしたという話を披露しています。しかし、たとえ紙の配給を国に押さえられ、情報局の指導に従わざるを得なかったとしても、一方では率先して戦争に協力していくかのような記事もたくさんあります。
戦争が一度始まれば、挙国一致の渦に飲み込まれるばかりではありません。むしろ、一緒に太鼓をたたいて戦争へ読者を引きずっていった側面もあったと感じられます。論より証拠。1941(昭和16)年2月1日発行の主婦之友を見てみましょう。
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この2月号は、印刷日が1月6日となっています。編集は1940(昭和15)年の12月に1月号と並行して行っていたのでしょう。その時は大政翼賛会が結成され、各地で隣組が整備されていたころです。そして、満蒙開拓の百万戸送出計画を立てたものの、日中戦争下の軍需であまり順調ではありませんでした。また、日中戦争も4年目に入っても出口が見えない状態です。その中で、副題は「大陸躍進号」とし、表紙絵は開拓民の女性。そして傷痍軍人の妻表彰運動を告知しています。
目次を見てみます。大陸への手引きのほか、大政翼賛会結成を受けて、その組織の中でどのように行動するかを提示したり、物資不足の中での工夫が目立ちます。長引く戦争で民需の国内ストックが底を突き始め、農家の働き手が次々と中国戦線に送り出されていて、女性も組織化されようとする実情も表すようです。
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グラビアでは、戦争を鼓舞するような子どもの舞踊を取り上げています。
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このグラビアに続けて少年飛行兵の写真グラフを置いてあります。我が子を進んで軍人にだしましょうという意識を植え付ける狙いが明確です。
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そして長引く戦争を象徴する傷痍軍人の増加に合わせ、模範的な妻の表彰を行うとし、推薦を求めています。
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さらに、日独伊三国同盟の絡みで女性代表のドイツ派遣を主婦之友社が主催し、陸海軍、外務各関係部署の後援を受けています。
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さて、この号の中心、大陸建設移住者の手引です。8つの質問に、それぞれ専門家が解説するとの内容です。
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そして、大政翼賛会とは何か、何を女性はするのか、普及に努めます。
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政党も解散、全国民の組織「大政翼賛会」が出来た「新体制」という言葉を入れて職業や内職を案内していますが、まあ、現在必要とされている職場の解説であり、新体制とはほぼ関係がありません。当局へのアピールでしょう。
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一番変わったのは、従来もあった地域の支え合い的なつながりが、隣組として組織化されたことでしょう。そのあたり、従来とどう違うのかを説明するため「模範隣組」を紹介。トップで長野県大町(現・大町市)の隣組が紹介されていました。
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そしてこちらは、継続して呼びかけている飛行機献納運動。当時、日本各地で行われ、長野県でも記名で圧力をかける募金をしていたことは、度々紹介してきた通りです。
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さて、物資不足対策です。まだ化粧品の広告もたくさん載っていますが、実際のところ、品不足は否めなかったでしょう。手近な材料で肌荒れを直すとして、油と果汁を使う方法などを紹介しています。主婦之友の本領発揮というところでしょう。これが手作りの入学準備の学用品、日々の料理やおやつ、防寒対策まで、とにかく品物が手に入らないことを前提とした記事の数々は、日本の国力が限界を超えていることを示すものでしょう。
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食糧報国連盟とかが栄養のことをのたまっていますが、それ以前の飢餓の問題が迫ってきていました。しかし、こうした専門家はそのうち、配給量(有料)に合わせたカロリーで大丈夫、ものはよく噛めば良いと、適当なことを次々言い出すので、注意が必要です。
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この時の主婦之友は388㌻もあり、実物大型紙を閉じ込んであるなど、まだまだしっかりした本に仕上げられていました。小説類も9本以上入るなど、内容も余裕を持っていました。しかし、まさか英米と戦争になるとは思っていなかったでしょう。
◇
太平洋戦争突入後は、情報統制が厳しくなり、軍人が頻繁に紙面に登場するようになり、そして紙面はみるみるうちに少なくなっていき、最終的に限界の32㌻となっています。それも、ある意味では自業自得だったかもしれません。戦争に徹底して反対することは、戦争のたびに膨張を繰り返してきた大日本帝国にあっては思い描けなかったかもしれません。それでも最悪の道を逃れるように抵抗したマスコミもあったわけですから、免罪とはいかないでしょう。
翻って、現在。権力に迎合する番記者や権力者と会食して安泰を図るマスコミトップは、この先の未来に胸を張っていけるのか。職責を果たしたと言えるのか。未来に対する責任の大きさは、権力者を監視し大きな力を生み出せるマスコミにあるといえるでしょうが、その自覚があるのか。戦時下の主婦之友から、それが杞憂ではないことを感じられるのです。
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