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「陸軍好きは戦争ごっこでいいだろうけど、海軍好きは遊べない…」という子どものために、海戦ゲームもありました!

 まあ、実際のところ、「水雷ごっこ」とかやっていたようですが、とにかく! 海戦ゲームを紹介させていただきます。まずはこちら、けっこう本格派のもの。木や紙が主材料ですが、今からみても雰囲気があります。

長門級らしき戦艦と軍艦旗で盛り上げ!
デッドストックの完品です

 盤を広げ、青い箱に入っているルーレットの針「軍艦針」を中央の凸部(木製)にはめ込んで、点数カードを各自に均等に配ったら準備完了。順に「軍艦針」を回し、回した人は止まったところの点数を他の全員からもらって次の人にと繰り返し、点数を一番取った人が勝ち、というものです。なんか、海戦要素は絵だけなのでは…

「軍艦針」をセットしたゲーム盤と箱に入った点数カード

 海戦ゲームの遊び方には「非常時国民皆兵の主旨により海の生命線を守る軍艦名及び種類武器等の知識を覚知せしむる最も教育的ゲーム」とあり、非常時とよくいわれた1933(昭和8)年から1935(昭和10)年ごろのものとみられます。一応、日米の軍艦や飛行機の対抗戦の形ですが、時代から言って、特に反米というわけではなく、当時の一流海軍同士という位置づけで選んだのでしょう。

米軍側。サラトカ、はともかく戦艦ミシシットとか、ちょっと怪しい
日本側は、間違うわけにはいきません。

 なお、赤城も三段甲板から全通の一段甲板に改装されますが、当時、これは極秘にされていて、真珠湾空襲の取材に乗り込んで初めて新聞記者が知ったという逸話も残っています。

飛行船、魚形水雷といった言葉に時代を感じます
先に述べた以外の遊び方も紹介。「海国日本の認識」をときたもんだ。

 撮影で広げて居たら、のりの劣化部分で盤が抜けてしまった…何とかはめました。のりで無理につなぐより、現状保存でいきます。構造が分かったので、復刻版をつくるのもよいかも(泣き)。
           ◇
 もう一点、こちらは太平洋戦争開戦後、1942(昭和17)年ごろの「新案海戦ゲーム」。表紙はあの、プリンス・オブ・ウェールズ撃沈のイメージ画そのままパクリです。飛行機はマレー海戦では出ていない単発機ですし、適当ですが、勇ましさだけは原画が生きていますね。

大東亜戦争記念、と大きく出ました

 表紙から本体まで、紙だけです。遊び用の紙は20枚で、一度に2枚使うため、10回遊べば終わりです。あとは、自力でますめを作って遊びましょうというところですね。

この紙で遊ぶので、消耗して使い捨てられます

 2人で対戦し、味方の側に戦艦1,巡洋艦1,駆逐艦2、潜水艦1を配置します。それぞれ指定のマス目(戦艦は4個)分、縦横斜め、どの方向でも良いので書き込みます。そして軍艦の横にある〇発分、相手のマス目「い、10」といった感じで指定していきます。

対戦の参考図

 ある軍艦のマス目全部に敵弾が当たれば、その軍艦は轟沈し、その分、次から相手に打ち込める(指定できる)マス目の数は減っていくのが工夫されているところ。ルールでは「一発でも味方の艦に砲や魚雷が当たっていたら正直に何々艦へ一発と言う風に発表します」とあります。それで次の狙いをしぼるわけです。一方、敵の駆逐艦が2隻とも沈んだら、それまで1発しか撃てなかった潜水艦が2発撃てるという特殊ルールがあり、海戦の雰囲気を取り入れています。
 これと似たゲームが昭和40年代、中の人が子どものころにあり、近所の友達が持っていて遊んだのを覚えて居ります。

 一方、この「新案海戦ゲーム」はルールの最後のところに「前線将士の慰問用にご利用下さい」と付け足してあります。こうするのが、当時の免罪符だったようです。実際に命のやり取りをしている前線兵士に戦争ゲームというのも、何か複雑な感じがします。あくまで、遊びであってほしいものです。慰問用にということを考えず、娯楽としてのんきに遊べる時代を続けていきたいものです。


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信州戦争資料センター(まだ施設は無い…)
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