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とにかく「科学」と付けた雑誌が戦時下に氾濫
当方の収蔵品の戦時下雑誌の類には、とにかく「科学」と名のついたものが目立ちます。文系が戦争に役立たないと決めつけられ英語も最低の位置に置かれるなどしていた時、逆に「科学」は戦争に役立つとされた影響もあったのでしょうか。わずかな蔵書では結論は出せませんが、戦時下科学雑誌の一端をお目にかけます。
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上写真、満州事変勃発直前の発行となった「科学画報」(新光社)。表紙はオートジャイロで目を引きます。下は、目次になります。
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「列車砲は轟く」といった軍事関連の記事も2,3はありますが、テレビや太陽熱利用、地震動の観測、といった実用的な話から、「超自然の感応・人間ラジオ」「神秘な人間の第6感」といった眉唾的なものまで、娯楽的要素と強要的要素がともに取り扱われている、化学の総合雑誌的なおもむきです。これが、戦時体制直前の雑誌でした。
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こちら、日中戦争も泥沼で先が見えない中、1941年3月に誠文堂新光社が出版したもの。表紙からがんがん軍事色です。副題が「科学兵器読本」「模型飛行機読本」となっているあたり、当時、軍が飛行兵育成を盛んにしていたことに迎合する内容です。下が目次の一部です。
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「科学兵器読本 弾丸2」「防空と電気通信」「模型飛行機読本」など、軍事に関連するものはいくつか出ていますが、まだアルミニウム製法とか、ここには出ていませんが「恒星の運動」とか、表紙ほど、中身が軍事に傾斜しているとはまだ言えない感じです。
これが、1943年3月発行の同社「子供の科学」となると、様相が一変します。もちろん、学生の科学より年齢が低い世代を視野にした雑誌でしょうが、それでもまず、表紙、裏表紙からしてこんな雰囲気に。
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表紙には「撃ちてし止まん」の標語入り。裏表紙の広告も「戦争の為の鉛筆」です。特に挙げませんが、口絵は南方第一線の勇士、陸軍防空学校に。巻頭言の「僕らの務め」では、小国民向け雑誌27誌が一丸となっているとし、本を隅々まで読んで、立派な軍人に、母になる日のためにとしています。そして記事は米英撃滅、小銃の生い立ち、潤滑油の話、少年戦車兵学校、働く喜びの報告など、7ー8割は軍事ネタとなっています。同時期の「学生の科学」も押して知るべしでしょう。
これら2冊は、長野県中土村(現白馬村)にいた少年が読んでいたものです。
以下、駆け足で。
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戦勝を約する電波兵器、電波決戦、などなど。
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読んでみましたが、あまり戦時物という雰囲気は少なく、内容も高度で専門家向けで残されていたかと。サイクロトロンを作るなど核物理学の権威であった仁科芳雄監修という体裁が、それを実現させたのでしょう。
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上写真の「科学朝日」は、当時、新聞は2ページにまで減っていて、報道と解説とあるように、載せられない記事を雑誌の体裁で発行するようになったものと言えるでしょう。こちらは「図解科学」とは違い、無糖でパン製造、米英最近の医学界話題、木の屑を食糧に、地下壕舎建築とその生活、など、ほぼ戦争一色です。また、わずか1カ月(月2回発行のようだ)の間にグラビアページなしに変貌しています。
◇
一方、こんなところにも「科学かよ」という感じの雑誌が「生活科学」(当初は東京日日新聞社・大阪毎日新聞社の、後に毎日新聞社の発行)です。国民生活科学化協会監修という、なんとなく丸め込まれそうな感じがありますが、文系より理系の名称のほうが戦争協力的にみてもらえると考えたのか。
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この号の副題が「明日の糧としての国民娯楽」とあり、娯楽と生産の融合を図るような記事や、郷土の娯楽の特集など。戦争に協力しているようないないような。娯楽をしていても戦争と直結と考えさせようとしたのか、戦争を強く推していた毎日新聞社の中で、少しでも文化的要素を残したかったのか。しかし、1944年4月1日号は「戦時生活指導雑誌」と変貌。サイズも小さく、ページも激減します。
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目次からも、内容はもはや戦争絡み以外のことを載せる余裕は無くなっていました。「ビタミンを逃がさぬ生活」あたりに科学の香りが残っていますが「家庭工場化の主君」「空襲に動じない生活設計」など、かなり「科学」を名乗るのは無理筋に。それだからこそ「生活科学」と名付けた効果、廃刊にならないで済む効果を発揮できていたということなのでしょうが。
戦時下の理系への何でもできそうな軍や政府の期待感に、応えるが如くそうでないかのごとく、というのは、生き残り策ではあったでしょうが、戦争への迎合であったことは間違いないでしょう。
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