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<戦時下の一品>ー防空竹兜ー行きつくところまで来たという代物
ここで紹介させていただくのは「井上式防空竹兜」。名前と見た通り、竹を割って曲げ、鉄兜風に編み上げたもので、太平洋戦争末期、空襲に備えて民間業者が作ったものです。
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見るからに竹です。そして、編んであるのも針金などではなく、植物のツルのようです。
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頭頂部だけ、細い針金を使ってあり、中央は上下から木の部品で挟んで止めてあります。
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内側を見てみます。十文字に内側に竹が仕込んであり、これも植物のツルで止めてあります。これで、自分の頭と外側の竹兜本体との間に空間ができるようになっています。あごひもは、この竹にからませるようにしてありました。
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おそらく、デッドストック品だったのでしょう。当時の商品名が張られたままになっていました。商標登録があり、この竹兜を専門に作っていた業者のようです。おそらく、竹製品の業者が新たに設けたのでしょう。
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「昭和2万日の全記録 6」には、五日市町立五日市町郷土館所蔵の同じ「竹製ヘルメット」が掲載されています。これによりますと、空襲対策の身を護る必需品は防空頭巾と鉄兜ということになっていて、防空頭巾の上に鉄兜を被るよう、指導されたということです。この「防空竹兜」も、大きさはかなり余裕があり、防空頭巾の上にかぶれば、少なくとも火の粉は防ぐことができたし、文字通り「少々」の落下物には耐えることができたでしょう。もっとも、身を護るといっても、それは空襲下、積極的に防火活動をしている最中に「身を護る」ためであり、人の命より国土防衛が優先された戦争の論理の結果の「防空竹兜」です。
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防空頭巾は家庭で作れても(それにしても綿や布が払底していて、布だけのものも登場しましたが)、ヘルメットは家庭で作るのは困難です。民間用の鉄兜も作られてはいましたが、鉄は供出して家庭からなくなるような状態でしたから、警防団など、一部の人にしか回らなかったでしょう。
その中で、とにかく形を整えねばと、竹、木、布、紙、といった素材でこうした「ヘルメット」が作られていったのです。そして、ここまでで分かるように、そうした防空用具は、庶民が自力で入手しなければならなかったということです。誰も世話してくれるわけではありません。
日本軍が使用した鉄兜は、世界的にみても強度など優れたものだったと言われています。しかし、庶民が命を守るための「鉄兜」までは、生産して配るような国家の力も発想もなかったでしょう。何とか手に入るものでつくられた竹製の既製品のヘルメットは、確実に迫って来る危機の中で、何とかして身を守ろうとした庶民には受け入れられたのでしょう。それが土蔵などで保存され、今の世に姿を伝えてくれるのです。
こうした自然素材の品は、朽ちて消えるのがほとんどです。幸いにほぼ完全な姿で残ってくれた「防空竹兜」は、戦争になった時の庶民の立場、国からは「お国のため」「自助努力」を求められる戦時下の生活の本質を、示して余りあるモノと思います。
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