ニヒリズムの克服と言って力んでいる姿が、もう既にニヒリズム的なのである。
諧謔ではなく、この身の運命を変革しうると本当に考えることによって救われるものもあるのではないか
現代の皮相にて
わたしのホロスコープを改めて考察してみると、わたしは強烈に“なにか”を追い求めていて、それが何であるかは、とてもじゃないが言葉にはできない 虚無主義、とは違うんだ この世で価値があるとされてるもの全てにわたしは無関心、それはニヒリズムじゃなく、ほんとうに欲しいものが他にあるから