正信偈25「道綽決聖道難証 唯明浄土可通入万善自力貶勤修 円満徳号勧専称」
正信偈 25
道綽決聖道難証 唯明浄土可通入
万善自力貶勤修 円満徳号勧専称
七高僧の四人目である道綽禅師(どうしゃくぜんし)は、仏教を聖道門と浄土門の二つに分けた方であります。分けたと言っても、元々一つのものを二つに分裂させた訳ではありません。
例えば、「犬」と「猫」という言葉が無かったとします。そうすると、四つん這いで歩行する小型~中型の動物、鼠でも馬でも無ければ牛でも無い…を見ると、ドウブツがいると思います。あるとき、ある人が気づきます。これらのドウブツは実は二種類に分けられるんじゃないかと。小さめの方は耳が小さくとんがっていて体が柔らかい、身のこなしが軽い。大きめの方は鼻が長くて体が筋肉で引き締まっている、そして力が強い。じゃあ前者を猫と名付けて後者を犬と名付けようと。人は自分の外部にあるものについて、このように名前をつけて分けることができます。元からそうあったものを、人の意識で理解するために、意識の上で分けます。
つまり道綽禅師が仏教を二つに分けたと言っても、「私たちが仏教の大枠を理解するために便宜的に二つの姿を取る」といった分け方になる訳です。その一つが聖道門、もう一つが浄土門です。誤解を恐れずにシンプルに言うと、聖道門は釈尊以来の修行仏教、浄土門は絶対者による救済を求める仏教です。
正法・像法・末法の三時説というものがあります。釈尊の生きている頃は教・行・証があった。「教」は仏の教え、「行」は教えの実践、「証」は実践を通して得られた結果(=悟り)。釈尊が亡くなっても五百年は教・行・証が残る(正法)が、その後に証が消えて教・行のみになる(像法)。また千年経てば行も消えて教だけになる(末法)。さらに一万年経つと教さえも消えて仏法は何も残らない(法滅)。
動乱の世を生きた道綽禅師は末法をその身に感じた方でありました。行も証も絶えた末法の時代に修行仏教で救われる人はいない、末法の世に求めるべき道は絶対者による救済であると、そしてこの二つを従来の仏教の中から分けて、聖道門と浄土門と名付けました。「仏教の中でも、自分の力で実践するもの(聖道門)ではもう助からない時代になってしまった。だから末法を生きる者に必要なのは絶対者からの救済(浄土門)である、つまり、念仏を称え阿弥陀仏にすくわれるしかない…。」と展開し、この思想は七高僧の五人目である善導大師に色濃く受け継がれていきます。
道綽禅師の生きた時代は天変地異・飢餓・仏教の弾圧など、時代に対する危機感を持つにふさわしいだけの時代でありました。近現代においても世界を巻き込む大戦の後に虚無主義が生まれます。戦争という人災や自然災害に否応なしに巻き込まれ、コツコツ積み上げてきたもの・人生が突然崩壊する。自分の責任においてならまだしも、それが自分の力の及ばないところで起きる。まともに生きる方がバカを見るようである。何も頼れるものが無い。何をしようと時代の波に呑まれて消え失せる。生きる拠り所を無くしたところに、自己の力の立つ瀬を無くしたところに、浄土門の道が開けたのでしょう。
現代においても新型コロナウイルスや諸国の侵略戦争、政治への不安など、時代への危機感を持つには十分な時代が到来しているように思えます。自力中心主義が蔓延する中で、私の力は本当にそれほどまでのものなのだろうか、本当は自己の力では抗えないものばかりではないだろうかと自己への問いかけが生まれたときが、浄土門の第一歩では無いでしょうか。浄土門は、自力を超えたものに受け止められる経験です。