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現代のニヒリズムと丁寧な暮らし、そしてACT

 かの有名な哲学者ニーチェは「ニヒリズムの時代が来る」と言ったらしい。
 そしていま、まさに私たちはニヒリズムに飲み込まれている。


現代のニヒリズム

 現代のニヒリズムとは何なのか。私はそれが資本主義によってもたらされていると考える。

 臨床心理学者の東畑開人は「居るのはつらいよ」(医学書院)において、「ただ、いる、だけ」というケアは会計の声によって否定されているのではないかと語った。その声は福祉の現場におけるケアとセラピーの問題に留まらず、私たちの生活にも響き渡っているのではないだろうか。

資本主義の果て

 私たちの社会の中核をなす資本主義。人々はより多くの富を得ることを目指し、日々奮闘する。
 一方で一部の人々は、その富の先にあるもの、そして社会の構造に目を向け始める。その先には何があるのか。

・・・

 その先には、何もなかった。
 私たちは富が虚構だと気づき始める。お金をたくさん稼ぎ、煌びやかな生活を送っているアイドルが、YouTuberがこの世を去る。資産家だって鬱になる。ハイブランドのバッグもラグジュアリーカーもタワーマンションも、人生の幸福度を上げてくれるわけじゃない。
 SNSは加工にまみれ、フォロワーだって買える時代に、名声はどれだけの価値を成すのだろうか。
 日経平均株価がバブル期を超えたって、最低賃金が毎年のように上がったって、私たちの生活は豊かになるどころか、日々苦しくなっていく。

 「なんだって、全部虚構なんじゃないか。」

 ニーチェは「神は死んだ(Gott ist tot]」と言った。その神とは「今まで頼ってきた絶対的(に見える)権威や規範」(白取春彦「ニーチェ『超』入門」p77)であるという解釈がなされている。
 私たちが信じてきた資本主義は、目指してきた豊かさは一体何だったのだろうか。
 通奏低音として、ニヒリズムの声が響き渡る。

 これが現代のニヒリズムだ。

ニヒリズムへの対抗

 響き渡るニヒリズムの声に飲み込まれそうになりつつも、多くの人々がそれに抗い始めている。
 ニーチェは死後の世界や理想郷など、我々が生きている現実世界の外の世界のことを「背後世界』と呼び、そこに救いを見出す態度を批判した。そして、現実世界に生きるべきだと訴えたのである。
 果たして現代の私たちはどのようにして、ニヒリズムに対抗しているのだろうか。

丁寧な暮らし-小さな幸せに価値を見出す

 ニヒリズムへの対抗手段、一つ目は「丁寧な暮らし」だ。
 

「丁寧な暮らし」とは、日常に改めて向き合い、家事など生活にまつわる一つ一つの行動に、手間や時間をかけて丁寧に暮らすこと

https://eleminist.com/article/3372

 一部では若干うざがられている丁寧な暮らしだが、これこそまさに「現実世界を生きる」ということだろう。
 そしてコストパフォーマンス、タイムパフォーマンスにとらわれず丁寧に暮らす態度は、資本主義から響く「会計の声」への対抗手段でもある。
 現代において、余白というのは嫌われがちである。スキマ時間があったら自己研鑽に励み、働き、少しでも高いパフォーマンスを出すことが良しとされる。しかし、丁寧な暮らしはその余白を謳歌し、日常を味わい尽くすのである。

ACT-いま、ここを受容し価値に準じて行動する

 二つ目は「ACT(アクト)」だ。
 聞き慣れない人が多いと思うので説明すると、ACTとは「アクセプタンス&コミットメント セラピー」の略で、1982年にスティーブン・ヘイズによって開発された、新世代の認知行動療法である。
 その中核をなすのは「マインドフルネス』であり、以下の6つのコアプロセスからなる。

①脱フュージョン
②アクセプタンス
③今この瞬間との接触
④観察する自己
⑤価値
⑥コミットされた行為

 詳しくは以下のページや、書籍を参考にしてほしい。

 ACTの基本的な考え方は、「自分と思考を切り離し、思考を受け入れた上で今この瞬間の自分とつながり、自分にとって大切にしたいもののために行動する」というものである。

 この「とらわれから脱し、自らの価値に従う」というプロセスは、まさしくニーチェの説く「超人」の要素に含まれるのではないだろうか!
 現代科学の一つの潮流が、私たちの生活を覆い尽くそうとするニヒリズムに抗うために手を差し伸べているのだ。

まとめ

 19世紀の哲学と21世紀のライフスタイル、そして科学が思わぬところでクロスオーバーし、非常に興奮していたので、どうしても文章として残したかった。まだまだ深ぼる余地は残されているから、今後も思考していきたい。

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