エッセイ「プレタポルテよりオートクチュール精神」

実際のところ、私は服になんのこだわりもなく、300円で買ったネルシャツを、首のとこがビリビリに破れてもなお平気の平左で着続ける男であるが、タイトルは「精神」の話である。

実際なぜ私が「げんきなおともだち」と名乗り、その概念形成をし、何通も投稿しているかと言うと、ASDとかINTJだとかいうものは、たといそれがいくら優れた概念であったとしても、他人が作った概念なのである。私はそれに半分乗っかりつつも、全部は乗っかりたくない。自分につけるレッテルは自分で決めたい。決めるためにはある程度のものを作らなくてはいけない。だからがんばってでき得る限りのものを作っている。

MBTIでは、私の周りには番人(青グループ)の人がおらず、イメージ像があまりつかめていない。そういう自分から遠い人についてはMBTIの入門書を読んだりして学んでいるが、なんの話かって、私はこれまで「げんきなおともだち」「本物のおともだち」「げんきなおともだちの理解者」「無菌族」「面白きこともなき世を面白く一派」その他いくつかの概念を作ってきたが、自分から遠い人(例えばバリバリのサラリーマンとか?)についてはそれを包括する概念を全く形成できてないでいる。これはユングやMBTIに大負けしているところだ。結局自分に身近な人の概念しかまだ作れていない。

これについては夏目漱石『吾輩は猫である』が案外うまいことを言っていて、大学教師の苦沙味先生(猫の家の主人)は、学者とか博士とかいうと尊敬して畏れをなすが、有名な実業家の妻君などが威張り散らかしてやってきても、全くこれを尊敬しもしないし動じないのである。むしろ煙たがる。私にもそういうところはあって、「ビジネス」とか「キャリア」とかいう言葉を耳にするだけでゲボが出るタチだ。まあそれはよいとして、ユングの偉大なところは、各タイプの間に決して優劣関係を設けなかったことで、これは当たり前のように思えるかもしれないが意外とそうでもなく、例えばここに全然MBTIを包括する「神」概念を導入すると、その神に近いか遠いかで容易に優劣関係が発生してしまう。これがいわゆるニヒリズムというやつで、人間が非常に陥りやすい思考なのである。
たとい各タイプ間に優劣がなかったとしても、INTJ(建築家)として言わせてもらえば、説明をどう読んでも建築家はめちゃめちゃ生きづらい。苦沙味先生もきっと紫グループに違いない。迷亭は黄色かな。とまあそれもよいとして、建築家の生きづらい「けど…」の最後の救いの道がいつも決まって「クリエイティブ」の一点張りなのは笑える。私も死ぬまで創作しろということか。そんなわけで今日も朝からnoteを書いているのであった。

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