「表現の本質と人間存在の本質について」
仰々しい表題である。だが我々は人間存在として生存していく以上この問いから逃れることはできない。否、逃れようにも逃れられないのである。
仮に我々に思考というものが備わっていなければこの問い自体が成立しない。
ただ単に動物以上でも以下でもない、というにすぎない。無論この考察、認識自体も生じ得ない。
もし我々に思考という道具が備わっていなければ自己認識、つまり私・自我意識は生じえないからである。くどいようだが自我意識が無ければ世界そのものの認識、自覚は生じ得ないのである。
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