見出し画像

地下室主義

ものごとを考えるにあたって、どのような価値体系をもつかは非常に重要だ。

何が ”正しく”、 何が ”間違っている” のか、自分自身がどの立場でものごとを考えるのかを明確にしておくことは、きっと役に立つだろう。

トッドが西洋の敗北で述べたように、先進国ではどのような価値観も信用でないというニヒリズムが広がっている。

僕も、このニヒリズムにおちいっている。


マスメディアの報道は信用できない、いままで義務教育で教えられたことも信用できない。

リベラリズムも信用できない。自由と民主主義で幸福になれる気がしない。むしろ”自由”は、世界中に不幸をまき散らしているように思える。そして僕自身も、行き過ぎた自由によって不幸になっている気がする。


いったい何を信じたらいいのか?


僕が考える真実を書いていこう。

マクロ的世界観

世界は、熱力学第二法則にそって動く

おまえは何を信じるのか?
何を確かなものだと考えるのか?

こう問われたら、「熱力学の第二法則」となる。

熱力学第二法則とは、この宇宙ではエントロピーが常に増加する方向に動くという法則だ。

一例を挙げると、”熱は熱い物質から冷たい物質に移動する”といったものだ。これも熱力学第二法則の一つの表現方法である。

熱力学第二法則と密接な関係にあるエントロピーにより、化学反応から永久機関の存在否定まで、幅広いものごとを説明できる。

この世界は、エントロピーが増大する熱力学的過程に存在する。エントロピーの増大速度が ”時間” に相当する。宇宙は、ビッグバンにより発生して以来、ずっとエントロピーを増大させ続けている。世界はエントロピーが増大する一方通行の流れの過程の、ほんの一部である。

だからどうした? といわれるかもしれない。

だが、「熱力学第二法則が支配する世界である」と考えることで、いろんな概念を否定できる。

まず、”永遠”を否定できる。
エントロピーが増大する一方通行の世界において、”永遠”は存在しない。

永遠を否定することで、永遠とセット販売されている、天国や地獄を否定できる。熱力学第二法則が支配する世界と、天国や地獄が存在しており、善行を積むことで天国で永遠の幸福を得られるような、そのような世界は相容れない。

具体的には、有名な占い師の「あなた、地獄に堕ちるわよ!」との脅し文句に対して、地獄を否定できる。

永遠の魂を否定することで、霊や超常現象を否定できる。世界は、魂や霊が存在できるようなウェットな世界ではなく、ただただエントロピーを増大させていくだけの、冷たくドライな世界なのだ。

マクロ的な人間観

熱力学第二法則が支配する世界においては人間の運命も存在しない。

人間を含めて、すべてはランダムな、確率論的な物理現象である。

したがって、地下室主義では、人間の“生“も台風と同じく”現象” であると考える。

人間も、台風12号と同じように、同一個体として識別できる一連のつながりをもった”現象”として存在する。

ただ、そこにあって一時的に存在して、周りに影響を及ぼして、消えていく。人間の人生について、究極的には意味はない。台風と同じ“熱力学的な現象”であり、時間の経過により跡形もなく消える。

それゆえ、地下室主義では、「人生の意味」や「人生の目的」を求める行為には、大して意味がないと考える。


ミクロ的世界観


前項目では、マクロ的視点から、人間は何であるかを考えた。ここでは、もう少しミクロ的な視点で人間を考えたい。

人間とは、柔軟なアルゴリズムで動く、アナログな生き物である

人間の行動を規定するアルゴリズムは、以下の3種類がある。
 ① 動物として本能レベルで刻み込まれたアルゴリズム
 ② 生まれた後に、文化的すり込みや教育訓練によって身につける文化的アルゴリズム
 ③ 思想教育に従って植え付けられた価値体系や社会の圧力により行動を決める思想的アルゴリズム

ある人間の行動を分析するとき、その行動を引き起こしたアルゴリズムが、どのレベルのアルゴリズムなのかを考えることは、重要なポイントである。

人間の行動は、3段階のアルゴリズムにより決まる


キリスト教では、人間だけが魂をもつと考える。人間は動物と違って特別な存在であると考える。

地下室主義でも、人間が動物とは違った特別な存在であることを否定しない。人間が動物と違う点は、ソフトウェアの持ち方である。人間は、後付けでソフトの書き換えが可能なアナログ機械である。一方、動物は後付けでソフトの書き換えがほとんどできないアナログ機械である。

人間は、他の生き物と比較して、行動アルゴリズムを柔軟に書き換えることができる特性を持つ。この点が人間を特別な地位に押し上げている。

人間のアルゴリズムが、”アナログ” ベースであることも注目すべき点だ。アルゴリズムを持つけれど、”アナログ”な人間は、デジタル機械(コンピュータ)のように厳密な結果を出力できない。

人間の出力(行動)は、適当でいい加減で、よく失敗する。考えていることと、行動がチグハグだったりすることも多い。それゆえ、人間は意外な行動をするし、想定外の不合理な行動も起こす。


人間は、特別ではない

地下室主義では、人間は動物の1種であり、特別な存在ではないと考える。

西洋の法体系は、キリスト教ありきで作られている。例えばリベラリズムのような価値体系も、根本にキリスト教的価値体系が存在している。

例えば、人間には生まれながらに基本的人権という ”聖なる権利” を持っているという、リベラリズムの考え方である。基本的人権には、人間は生まれながらに神の加護が与えられるというキリスト教の考えが反映されている。

地下室主義は、生まれながらに人間に与えられる”加護”などないとの立場だ。人間が生まれるのは、動物が生まれるのと同じ自然現象である。


“正義”と“不正義”


これまで、ニヒリズム的な価値観を述べた。
すべては、価値がなく、意味もない。
ホリエモンのいうように、「人生は壮大な暇つぶし」なのだろうか?

だが、地下室主義にも”正義”と“不正義”は存在する。

”効率” は正義

地下室主義における “正義”とは、効率がよいことだ。
“不正義”とは、ムダが多いことだ。

例えば、第二次世界大戦時に、旧日本軍は太平洋諸島において玉砕を繰り返した。敗戦は必至だったにもかかわらず特攻攻撃を繰り返した。これは、“不正義”だ。

敗戦が明らかなのにムダに兵力を損耗するのは悪手である。

一方、日露戦争の203高地の激戦でも、多数の将兵が命を失った。

太平洋戦争でも、日論戦争でも、戦争が原因で兵隊が死ぬのは同じである。

だが、日露戦争の203高地における死者と、太平洋戦争の玉砕による死者とは、意味合いが異なる。日露戦争には、国家を防衛するという目的があり、そのために必要な戦争であり、戦争における犠牲も必要だったといえる。一方で、太平洋戦争末期の玉砕は、ただのムダである。

最終的に勝利できた日論戦争と、太平洋戦争では、戦争そのものの意味合いが違う。究極的には、戦争というものは勝って終わらなければ意味がないものであり、太平洋戦争など、最終的に米軍に占領されているのだから、最悪の選択である。

太平洋戦争における、とくに勝ち筋がなくなってからの将兵の死傷はムダである。そのムダを大量に作り出した軍の指導者は、“不正義” 極まるといえる。

“正義”と“不正義”を分けるのは、効率である。

効率的であることは“正義”である。


苦しみは“不正義“

人間の“生“は台風と同じく現象である。人間の“生”には、究極的には意味はない。時間の経過により跡形もなく消える。

であれば、苦しみなんてない方がよい。

苦しみは損失である。苦痛は、少なければ少ないほどよい。なぜなら、苦痛によって得られる成果というのは、非常に怪しいのだから。

ただし、かわいそうランキングは不正義!

苦しみを不正義だと考えた場合、ある社会において、どの個体の苦しみを取り上げるのかが問題になる。その個体の苦しみが、どこまで重視されるのかをめぐって、ランキングが生じる。

いわゆる、かわいそうランキングである。男性より女性が、中年男性より小学生男児が、ランキング上位である。ランキング上位個体の苦しみは過剰に評価され、ランキング下位個体の苦しみはほとんど無視される。

これは、正義ではない。

もちろん、個人レベルで苦しみを最小化する行動を取るのは当然だ。

だが、最近の日本では、公的に力をもった立場の人間(マスメディア、大学教授、圧力団体など)が、かわいそうランキング上位個体の ”苦しみ” を取り上げることで、社会のリソースをいいように引きだしている。(いわゆる公金チューチューというやつだ)

社会をよりよくしていくべき立場の人間が、かわいそうランキングを活用して、大衆の感情反応をもってして、社会のリソースを自分たちに都合のいいように引きだす行為は、社会を破壊する行為だ。社会を導くべき人間に、わざわざ社会的なリソースを与え、社会を破壊する行為をさせているのは、まったくもってムダである。

現在日本を支配している知識人たちからは、与えられているリソース(公共電波、大学への補助金)を取り上げて、もっとまともな連中にリソースを割り当てるべきだ。


生き物としての人間を重視する

地下室主義では、生き物としての人間の性質を認めるべきだと考える。人間の生物・動物としての本能を抑圧すると、人間は苦痛を感じる。

生き物としての人間を重視する立場から、以下の善悪判断ができる。

・食料不足は悪だ
 
800円でおいしいご飯を食べ放題のやよい軒は正義である。
・睡眠不足は悪だ
 睡眠不足を引き起こしがちなブラック企業は悪だ。
・コミュニティからの阻害は悪だ
 孤立を引き起こしがちな都会への人口集約は、悪だ。
 伝統的な家族を崩壊させ、ひとりひとりをバラバラにした自由主義・個人主義も悪だ。
・性欲が満たされないことは悪だ
 それゆえ風俗関係の規制は悪だ。売春防止法による規制はただちに撤廃すべきだし、AVのモザイク規制もただちに撤廃すべきだ。
・運動不足は悪だ
 生き物としての人間を考えた場合、“運動”が大事になる。神経系統は、脳だけじゃなく体中につながっている。人間は頭だけで考えているわけじゃない。体を動かせば脳の血流がよくなり、頭もすっきるする。人間は、アナログな生き物であり、決して理性的な存在ではない。
・健康は正義だ
 病気になったら、苦しい。それゆえ、満足すべき公衆衛生を提供している日本の公衆衛生政策は、正義である。世界一といわれている日本の医療制度も正義である。(持続不可能な点を除く)


リベラリズムの否定


日本国の価値体系は、リベラリズムである。基本的人権や民主主義に至高の価値があると考える。義務教育でもそのように教わるし、マスメディアもリベラリズム的価値観に基づいて情報を発信している。

だが、地下室主義はキリスト教的な価値観に対して否定的である。

基本的人権や民主主義に、大した価値はないと考える。

人間には、基本的人権や民主主義が守られていることより、適度な食事と運動を与えた方が、幸福度が上昇する。実際、基本的人権や民主主義が与えられているはずの日本国民よりも、独裁的な支配をされているサウジアラビア国民の方が、幸福度は高い。

日本のマスメディアや教育機関には、基本的人権や民主主義に至高の価値があると考えて、民主主義が与えられないことを過剰に不幸だと考える向きがある。

だが、人間には基本的人権や民主主義など本来不要である。生きていくために必要な衣食住が与えられ、人間同士のつながりが与えられれば、どのような政治体制でも人間は幸せに生きていける。

基本的人権というものは、法学者が作成した概念にすぎない。犯罪というのも、法学者が作成した概念にすぎない。例えば、わいせつ物陳列、詐欺、不同意性交などは、時代や国家により判断基準が大きく変化する。

基本的人権などの概念はフランス革命由来のものである。西洋のキリスト教をベースに作られた統治の道具である。有用であれば、今後も使われるだろうし、不要になれば忘れ去られるだろう。基本的人権も民主主義も、権力者が大衆を統治する道具の一種なのだ。


理想社会

地下室主義において、理想的な社会とは個人の幸福を最大限にまで尊重した超統制社会だと考える。

具体的には、オルダス・ハクスリーの「すばらしい新世界」で描かれたディストピアを理想的な社会だと考える。

リベラリズムが至高とする”自由”に、大した価値はなく、生き物としての”幸福”を最大限に与える社会こそが理想的である。

苦痛がなく、苦痛がないゆえに争いもなく、不平等でもその不平等さが誰も傷つけない世界が理想である。

地下室主義は、”自由”より”幸福” を選ぶ


いいなと思ったら応援しよう!