「いい人になりなさい」 という価値観は、なんか変だ。 手塚治虫、ガンジー…聖人と呼ばれた人は、一方で人格破綻者としか言いようのないエピソードがついて回る💧(手塚治虫は特に多い) 強い光には濃い影がある。 人間もそうかもなぁ…。
隠されていた事実や真実を容赦なく振り回すこと、それを増幅することは、時に社会を揺るがしたり人を傷つけることもある。悪いのは事実を暴露した側なのか、それとも元々の行為を行った事実を隠した側なのか。とはいえ究極的には、事実そのものには善悪はない。認識する側の解釈次第で変わってくる。
人の道
米国は戦争を終わらせたい善意から、原爆を投下した。 組織は、自らを守らねばという善意から、内部告発者を排除した。 ○○ちゃんを泣かせるなんて可哀想という善意が、報復のための殺人を生んだ。 畢竟、善意が悪行をなす。 悪を排除すれば問題を解決できるという愚考が、悪の原因である。
その正しいとされることは、本当に正しいのか。間違っているとされることは、本当に間違っているのか。根拠となるものが絶対的に正しいとすることは、本当に正しいのか。軸・解釈・視点・論点・環境・価値観で、全ての情報は簡単にひっくり返る時代。その速度が加速し続ける現代の善と悪とは何なのか。
中居正広ざまあみろ、画面の中だけ良い人ぶりやがってざまあみろ。俺の視界に二度と入ってくんな、消え失せろ、YOUTUBEでも顔見せんな、話題にならん方が良いこの変態、二重人格、変態
性善説であれ性悪説であれ環境が悪ければ悪に進む。子をとりまく今の環境は悪が悪を生む悪循環となり若者の凶悪犯罪がふえる。貧しくても協力し善に向いていた昔。豊かでも散逸し悪に向かう現在。こわい存在は大切で悪事を企むと今も亡き父の顔が浮かぶ。若者は何がこわい。こわいもの知らずはこわい。
善悪には「絶対」がないのに、 情報に操作されて、情報を鵜呑みにして、 どうかあなたの中に、わたしの中に、「絶対」を作らないで。
善と悪は、どちらが先行して生じているのか、ぼんやりと考えていた。おそらく善でも悪でもない状態が最初にあり、それから悪が生まれ、その悪の中から善が生まれたのではないか。そんなふうに思った。まず地上の国が先行し、そこから神の国が生まれる、そういう連想から、そんなことを考えていた。