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第431回、映画「はたらく細胞」にみる善悪論


実写映画「はたらく細胞」は、極めて日本的な感覚で描かれた、とてもいい作品だと思いました。

生物の体内を舞台にした映画は、洋画では「ミクロの決死圏」(1966年)や、「インナースペース」{1987年}がありますが、細胞を擬人化した世界で描くのは、擬人化文化が強く根付いている、日本ならではだと思います。

最も洋画でも「インサイド・ヘッド」{2015年}は、人間の感情を擬人化して描いているので、擬人化は、必ずしも日本だけの物という訳ではないのかも知れませんが、お世辞にも可愛いとは言えない細胞の世界を、擬人化された可愛らしいキャラクターで描くのは、日本の得意とする所なのでしょう。

映画は、この「はたらく細胞」と、スピンオフ企画で制作された「はたらく細胞BLACK」という二つの作品を、それぞれ娘とその父親の体内という設定で描く事で、一つの映画内で、無理なく両立をさせています。

さらには、この二つの異なる体内世界の主人公(赤血球)が、輸血を通して出会う構成も、なかなかよく出来ていると思いました。

自分は原作未読なので、この展開が元々原作にあるのか知りませんが、もし映画独自の展開なのだとしたら、よく変な改変をして、原作の持ち味をぶち壊してしまう、漫画やアニメの実写化作品がある中で、この映画の改変は、かなりよく出来ているように思います。

原作改変で言えば、そもそもこの原作は、終始体内世界の事しか描かれず、人体の外の描写はないのですが、細胞世界と、人間世界を同時に描いた映画独自の構成も、よく出来ていたと思います。

ここは「テルマエ・ロマエ」{2012年}「翔んで埼玉」(2019年)を監督した、武内英樹ならではの演出であり、恐らくそれを見越して抜擢されたのだろう監督の持ち味が、いかんなく発揮をされていたと思います。


父親が阿部サダヲ、娘が芦田愛菜と言う配役も「マルモのおきて」{2011年}以来の親子役共演に、注目が集まっています。

芦田愛菜と言えば、子役から最も成功した理想的な成長を遂げて、今や日本を代表する国民的な娘となっていますが、そんな芦田愛菜に匹敵する魅力的な子供達が、この映画には、血小板役として多数出演をしています。

ぶっちゃけてしまえば、血小板の子役目的で映画を観に行った所があるのですが、血小板のリーダー的な役割を演じていた少女が、マイカ・ピュちゃんである事を知って驚きました。

マイカちゃんと言えば、キッチン戦隊クックルンで、末っ子的な少女というイメージがあったのですが、しばらく見ない内に、すっかり幼女のお姉さん的な立場になっていて、子供の成長の速さには、とても驚かされます。


そんな非の打ちどころのない映画ですが、賛否が分かれるとすれば、恐らく後半の難病展開ではないのかと思います。

思いっきりネタバレをしてしまいますが、娘役の芦田愛菜が、ガンや白血病に侵されて行く後半は、前半までのバカバカしい様な笑える内容とは違い、とても重苦しい展開となっています。

自分はお涙頂戴物の難病作品は、あまり好きではないのですが、この映画に関して言えば、この展開は、とても良かったと思っています。

体内の醜悪描写は、父親身体の方でも描かれているのですが、これは人間の不摂生な生活習慣がもたらす物で、言わば自業自得だとも言えます。

身体が悪いのは、不摂生な生活をしている人間のせいであり、それが嫌なら生活を改めればいい」と言ってしまうのは、一見まっとうな意見であり、教育的でもあるのですが、現実には病気は、生活習慣の良し悪しに関わらず誰の身にも起こり得ます。

健康に気を付けていても、誰もが病気にかかり得るのであり、それは決して何が悪かったからそうなったのだという話ではないのです。

ガンに関しても、ガン細胞が「自分も同じ体内で生まれた細胞なのに、なぜ自分だけが、出来損ないの不良品扱いをされなければならないのだ」と叫びますが、それに対して白血病は、明確な答えを出す訳ではなく「すまない」と一言いって、排除をします。

ガンや細菌は、確かに悪役として描かれますが、それ自体は体内にある程度存在する物であり、決してこの世に存在してはならない物ではありません。
ただそのバランスが崩れると、身体の健康に悪影響を及ぼす事になるので、体内のバランスをとる為に、一定数が排除をされるのです。

そしてそれは、何も悪い細胞だけではなく、健康な細胞にとっても同じ事が言えます。

娘の白血病を治療する為に、医者は化学治療によって、健康な細胞も一度、死滅をさせてしまいますが、それはその細胞が悪いからでも、何か落ち度があったからという訳でもありません。

悪い細胞だから滅ぼすのでも、その治療が正しいから行うのでもなく、娘の身体を治す為の一つの手段として、そうしているのです。

だから医者は、身体を健康に保ってくれる細胞に感謝をしなければいけないと言いながら、その細胞達を死滅させてしまいます。

決して善悪論では語れない、今一すっきりとしない展開ではあるのですが、自分はこの善悪の概念があいまいな描写こそが、いかにも日本的な価値観が反映されている様に思い、とても気に入っているのです。


善悪の概念がはっきりとしている西洋では、勧善懲悪な価値観や展開を好み滅ぼす相手は、滅ぼして当然な絶対的な悪として描きますし、滅ぼす側は、そうする事に否がない、絶対的な正義として描かれます。

そこには「正しき者は罰する資格があり、正しくない者は滅ぼされるべき」という、滅ぼして当然、滅ぼされて当然という、善悪感しかありません。

日本でも勧善懲悪の作品は多数あるのかも知れませんが、自分はあまりそういう作品を見ていないですし、戦いで決着をする作品でも「正しいからそうする」というより「正しくなくても、そうするしかない、そうしたいのだ」という作品の方が、自分は共感を得やすいように思います。

例えば日本で人気の高い「赤穂浪士」の話も、決して仇討ちが、正しいから行う訳ではなく、例え社会的に正しくなくても、そうしたい感情があるから行うのであり、浪士達はその代償としての裁きを受ける事になります。

今年世界的に話題になった「ゴジラ-1.0」も、ゴジラは存在してはならない絶対悪として描かれる訳ではなく、人間社会に害を及ぼす様になった事で、仕方がなく始末をするのであり、その原因が人間側にある事も自覚をして、ゴジラを排除した後に、ゴジラに対する追悼の意を示します。

SNSが浸透をして、誰もが他人に裁きを行える様になった今、多くの人達が自分の中の絶対的な善悪感で、人を裁きがちになります。
自分は正しくて相手が悪だから、これは正義の制裁なのだと、自分の行為に何の疑いも責任を持つ事もなく、安易に人を裁いてしまいます。

そうした価値観と関係をしているのかはわかりませんが、罪がない細胞まで死滅をさせるのは良くないという考えからか、化学療法を否定する人達も、ある程度いるようです。

世の中には様々な考え方があるので、化学療法を否定する事や、勧善懲悪の概念がダメというつもりはないのですが、ディズニー映画「ウィッシュ」の様な、ウォークと呼ばれている、善悪概念で描かれた最近の作品を見る限りでは、自分は一方的な善悪感だけで物事の判断をする、そうした作品には、あまり共感をする事が出来ない様です。

だからこの映画の難病展開は「正しい生活をしていれば、身体は正しく機能をするし健康も保たれる。病気は、不摂生な人間が起こす自業自得なのだ」という結論に至らない、不合理な現実を描く為に、必要な展開だったのではないかと考えているのです。

アニメに劣らぬ見事な再現度の、血小板達です。
血小板のリーダーは、マイカ・ピュちゃんです。
マイカちゃんと言えば、クックルンのこの役の印象が強いですが、
子供の成長は、早い物です。
所でこれ、何のイベントなのでしょうか?
こんなイベントが、あったのですね。
自分もめっちゃ、行きたかったです。

※一連の画像は、ネットから無断転載した物であり、自分が撮影した物ではありません。

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