上京したばかりのころは人の濁流に流されてばかりだった。 行きたい方向に進めず、流れが落ち着くところまで歩き続けてUターン……。そんなことを何度繰り返しただろう。 それが今では、毎朝人が入り乱れる駅構内を颯爽と進めるようになった。気分は遡上する鮭だ。 自分も頼もしくなったものだなと思いつつ、なぜか少しの寂しさに包まれる。 あの頃は、私を「わたし」として認識してくれる人がいないことが苦しかった。 毎日人の波を必死にかき分けて進んでも、私も人の波の一部でしかなくて、誰にも名前
しばらく書きかけのまましたためていた作品を公募に出してみようと思い、締切に間に合うように早急に書き上げた。 書き上がったころには残された時間は僅かなものになっていたが、次の募集まで待つのはまた眠らせてしまうことになると思って急ぎ推敲を終えて応募した。 数日間は「作品を書いて応募したんだ!」「誰かが私の作品を読んでくれるんだ!」と達成感に心が躍った。 でもすぐに「やっぱり表現を変えればよかった」「結末を変えた方がよかったかも」と気になりだした。 やっぱり次の応募にまわして
気温が下がり、空が高く見えるようになった。 どこか懐かしくなる涼しい風と止まらないクシャミに秋が来たのだなあと実感する。 一番好きな季節だ。次に好きなのは春。 そして、辛いのも春と秋。 毎日花粉に苦しめられるからだ。 秋の花粉のブタクサ、ヨモギ、イネ。 春の花粉のスギ、ヒノキ。 こやつらに私の免疫は過剰反応を始める。クシャミ、鼻水、目の痒み……。花見も紅葉も手放しで楽しめない。 さらには、大好きなネコにカフェインまでアレルギー反応が起きる。 こうなると一年の半分くらい体
今の職場で働き出して一年半が経った。 入ったばかりのころは中年女性従業員たちからひどい新人いびりを受けた。同時期に入った子は3ヶ月も経たずに辞めていったし、私の後から入った人たちも三日、一ヶ月でそれぞれ旅立っていった。 彼らを見送りながら、何度も辞めるか迷ったけれど、辞めると負けるみたいで悔しくて耐えた。 「私あなたの息子の嫁じゃないんですが?」って言いたくなるような小言もたくさん言われた。たんだん心が苦しくなっていることにも気づかないふりをして馬鹿みたいに笑って流した。
観葉植物を枯らした。 一週間程度に一回水をあげればいいだけなのに、何週間も忘れるということを何度か繰り返すうちに枝葉が茶色に染まってしまった。 大切にしようと思って家に迎えたのに。 観葉植物への申し訳なさと、一週間に一回の水やりさえも満足にできない自分への落胆とで項垂れてしまった。 そんな話を友達にすると、なんと彼女も観葉植物を枯らしたことがあるという。 仲間がいたとほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、枯らした原因を聞いて耳を疑った。 「水のやりすぎ」らしい。 彼女は一週間
実家に帰ると、私の顔を見て尻尾をふよふよと揺らしながら「ニャー!」と力強く鳴く君がいる。 新卒で入った職場で心身ともにボロボロになってしまい、毎日涙が止まらなくなってしまったとき、母が確かな覚悟を持って君を連れて帰ってきた。 家に来たばかりのころの君は、私の後ろをころころと着いてきて、猫じゃらしを少し揺らすだけで嬉々として飛びついた。 毎朝君が大きな声で起こしてくるのがかわいくて、私は朝がくるのが少し楽しみになった。 家に帰ると玄関まで駆けてくる君がいるから、一日いちにち
とある人のエッセイを読んだ。 読みながら心臓がどくどくと脈打って、羨ましいという気持ちでいっぱいになった。バズって夢を掴んだのも羨ましい、憧れの人に認められているのも羨ましい、こんなに類稀な表現ができる彼女が羨ましい。 でもそれは彼女が書き続けだ結果だと理解しているから、何もしなかった今までの時間を悔やんでしまう。 そこまで考えて、羨ましいとも悔しいとも感じている自分に驚いた。 私は誰かに自分の文章を読んでほしいと思っているのか。彼女のような表現力がほしいと思っているのか。