ゆー

人類の精神を育むキノコを志す、ラディカルな若手教育者です。

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マガジン

  • とある家庭教師の独断的書評

    読んだ本について自由に感想を述べています。似たような考え方や関心を持つ方と繋がれたら嬉しいです。

  • とある家庭教師の妄想

    哲学書を読み、自分なりに考えたことを綴りました。滲み出る青臭さとアホくささを味わいたい物好きな方はぜひ。

  • とある家庭教師のイギリス留学体験記

    2020年春にイギリスに行った際、一風変わった視点でロンドンの情景を綴った6本のエッセーです。ツッコミどころ満載ですがそこも含めて楽しんでいただけると幸いです^ ^

  • とある家庭教師の洋画評

    独断と偏見で選んだ映画について論じます。名台詞からキャラクター分析、ストーリーについての感想など。英語力を楽しく磨きたい方も是非ご覧ください。(執筆者は英検1級、TOEIC満点を持ってます。)

最近の記事

『幻想生物の生態学』

将来出版したい本『幻想生物の生態学』のあらすじを書きます。 前書き人間とは、「自己」という幻想に取り憑かれた動物である。この「自己」という幻想を織りなす繊維と同じ糸が、「時間感覚」という幻想を織り、「社会」「価値」「言語」という幻想の糸で持って私たちの「現実」を織りなしている。その意味で、想像力こそが幻想生物としての人間の本質である。 第1章:「自己」幻想の自己保存第1節:「自己」幻想の自己保存ー「自己」という幻想を保存する戦略 この節では、本書の基層低音をなす「「自己

    • 「なぜ人を殺してはいけないのか?」に対する自分なりの回答。

      どうして、ある人にとっての善が、ある人にとっての悪になるんだろう? こんな問いをずっと抱いてきた。 この世界に絶対的な善や、絶対的な悪なんて存在するんだろうか、もしそれが存在しないとしたら、ドストエフスキーがイワンを通して語ったように、「人は何をしても許される」んだろうか? 僕らは多様な人生の旅路の中で多様な価値観に出会う、その中でやがて「人にはそれぞれの善悪の基準がある」ことに気づく。その過程で、「人それぞれに善悪の基準は異なるんだよね」っていう「相対主義」という考えがど

      • 「表情」としての世界に包まれて、今日も生きている

        こんな悪夢を見た。 物理的現実が確かに目に見えているのに、なぜかそこに「それが存在する」というリアリティが見出せない。 時計の文字盤がさっき見たのとは違う表示になっているのはわかるのに、「時間が経過した」というリアリティが感じられない。 みかんの皮を剥いて食べられ、確かにそこに皮の残骸があるのに、「みかんを食べた」という実感がない。 その悪夢をきっかけに、僕は「離人症」という病気を知った。 離人症の患者は、まさに上記のような悪夢の中を毎日生きている。 京都学派の流れの中

        • 九鬼周造が生きていたら、「ラップ」に真の文学を見出すだろうと考える理由。

          ラップというと、どちらかというとアンダーグラウンドなイメージがあるかもしれないが、哲学者九鬼周造の文章を読んでいると、どうも彼が求めている文学像は本来の「ラップ」に極めて近いものみたいに感じられる。 ラップの特徴は、何といっても「韻」であり、そしてそれが単に活字として印刷されるのではなく、ラッパーによって「朗読」(※1)されて音楽に乗ることがポイントである。 「韻」には、言葉の頭で韻を踏む「頭韻」や言葉の最後で韻を踏む「脚韻」などさまざまな種類があるが、要は言葉のリズムが

        • 『幻想生物の生態学』

        • 「なぜ人を殺してはいけないのか?」に対する自分なりの回答。

        • 「表情」としての世界に包まれて、今日も生きている

        • 九鬼周造が生きていたら、「ラップ」に真の文学を見出すだろうと考える理由。

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        • とある家庭教師の独断的書評
          4本
        • とある家庭教師の妄想
          4本
        • とある家庭教師のイギリス留学体験記
          6本
        • とある家庭教師の洋画評
          2本

        記事

          自然言語の多義性が持つパワーについて。

          言葉そのものを疑うことで、本当の思考が始まる。 しかし、言葉はその「多義性」によって、真実の生命を得る。 本当の詩人は、多義性を操ることで言語の限界を軽々と超えていく。 本記事は、以下の本に刺激を受けた筆者の主観的な感想である。 すべてはガロアから始まった。 「五次方程式の解の公式は存在するのか?」という存在論的な問いに対して、彼は、解そのものの背後に自明視されていた「数体」すなわち「代数構造が規定する空間」の暗示的支配を見抜き、数学のあり方そのものを転倒させた。 この

          自然言語の多義性が持つパワーについて。

          自然主義者と理想主義者

          自然主義と理想主義。 なんだかんだ言って人間のイデオロギーの違いはここに落ち着くような気がする。 僕はどちらかを捨てるくらいなら、その矛盾の間でたとえ引き裂かれたとしても、その境界の中に生きていきたいと思う。 自然主義者は優しい。文学における自然主義は、便所の蠅から人間の口臭まで、この世界の醜さを徹底的に暴き出す。哲学における自然主義は、この世界そのものの身も蓋もなさを白日の元に晒す。 でも、だからこそ、自然主義者は良い。人間の醜さを知り尽くしている。だから人間に優しい。

          自然主義者と理想主義者

          現代思想と現代数学から、日本の「和歌」を見つめ直してみた

          詩とか和歌って、単なる個人の感情を表現するための手段としか思われてない節があるんだけど、バカにしてはいけない。 むしろ、現代思想と現代数学は、その極限において結局「和歌」という概念に収束していくということも可能なのでは? 古代への憧憬:ニーチェと本居宣長、畜群のためのキリスト教道徳と「漢意」 現代思想の源流であるニーチェとハイデガーの思想は、どちらも「ギリシアへの憧憬」に立脚している。 彼らは、存在が無垢な形態であった古代ギリシアを理想視し、一方でソクラテス(パルメニデ

          現代思想と現代数学から、日本の「和歌」を見つめ直してみた

          哲学、歴史、永遠

          永遠を直観したことがある。 だがそれは私が予想したものとは違った。 永遠、と聞くと、どこか遠くにあるもの、超自然的なもの、という響きがする。だが、私が直観した永遠は、「存在」そのもののあり方に根ざす、あまりにも人間らしい事実だった。それは人間という存在の、歴史性に由来する。 ハイデガーが指摘した通り、私たち人間は世界内存在である。世界なくして、人間は存在しない。しかしこの「世界」と「人間」は相互依存の関係にある。そして私がこの「世界」に棲んでいるこの事実こそが、私という経

          哲学、歴史、永遠

          哲学がなぜ好きなのか

          哲学は腕時計みたいなものだ。 時間を知るだけなら、スマホで構わない。 でも、腕時計が時を刻むように、哲学は私たちの心の時を刻む。 生きる意味の問いを前にするとき、心の時が動き出す。その針がカチリ、カチリと確かに律動するリズムが聞こえる。それを感じる瞬間、私はこの限りある生命の味わいを噛み締めることができる。 私たちは腕時計を持って生まれてこない。その結果、100円ショップで売っているような世界観を引っ提げて大通りを歩くことになる。 プラスチック製の針は、平時には十分

          哲学がなぜ好きなのか

          人生に意味はあるのか? カミュ『シーシュポスの神話』を読んで

          ある知人がカフェで私に、「ある日から、人生に意味が見出せなくなった」と語った。 「特にきっかけがあるわけじゃない。ただ、その日までなんとなく感じていた人生の意味みたいなものが、まやかしであることに気づいてしまったんだ」 なんとなく彼は寂しそうで、「違うよ。人生には意味があるよ」という言葉を求めているような気がした。 私の父は高校時代にカミュを読んで以来、ペシミストになったと言う。当時図書館に通い詰めていた父は、書棚に並んだカミュの「ペスト」を読んで衝撃を受け、以来キルケゴー

          人生に意味はあるのか? カミュ『シーシュポスの神話』を読んで

          内臓の声に耳を傾ける:「脳化」という世界精神と戦うために

          三木成夫さんが書いた「内臓とこころ」を読んで、雷を受けたような衝撃を覚えました。 私はこれまで、嗅覚が五感の中で特別だとか、脳よりも腸が大事だとか、チャクラの秘密だとかに興味を持ってきたのですが、解剖学者である三木成夫さんの思想は、まさにその探究の終着点とも言えます。 (ここからは、それを受けた私の感想です。) AIは、脳の不完全な模倣です。あるいは、これからもっと進化して、脳を超えるかもしれません。しかし、実際には、人間の凄さは脳ではないのです。 内臓の感覚が脳と連

          内臓の声に耳を傾ける:「脳化」という世界精神と戦うために

          歴史上の思想家10人に「カップラーメンの作り方」を聞いてみたら深すぎた

          僕の好きな本に、「もし文豪たちが カップ焼きそばの作り方を書いたら」という本があるのですが、今回はChatGPTのなりきり機能を使って、歴史上の偉人にカップラーメンの作り方を説明してもらいました。 やり方は簡単です。ChatGPTにこう聞いてみます。 ①マルクス ②ソクラテス ③マキャベリ さて、友よ、君がカップラーメンを作るというささやかな行為にさえ、賢明な君主のような決断と冷徹な戦略を求めることができるだろう。なぜならば、何事も成功を収めるには「目的」と「手段」

          歴史上の思想家10人に「カップラーメンの作り方」を聞いてみたら深すぎた

          ChatGPTに本を読ませて、キリスト・ニーチェ・ヒトラーになりきらせて対話して、お互い議論させてみた

          前回の記事では、ChatGPTに本を一冊丸ごとアップロードして、その本の要点について質問するというやり方を紹介したが、今回は、ChatGPTの音声機能をフル活用して、著者に「憑依」させて対話して見た実験結果をお伝えします。 具体的には、聖書の全文をアップロードした上で、こういうふうに聞いてみます。 この回答は、文面で読むとまあまあだが、音声で自分に向けて言われるとかなりグッとくるものがあった。 さて、ここで、対極的なニーチェの「ツァラトゥストラ」をアップロードし、ニーチ

          ChatGPTに本を読ませて、キリスト・ニーチェ・ヒトラーになりきらせて対話して、お互い議論させてみた

          ChatGPTに「本を読ませる」。人工知能時代の新しい本の「読み方」

          ChatGPTに聞いたらなんでも答えてくれるのだが、その情報の正確さはあまり信頼できないし、極めて抽象的でジェネラルな回答しか返ってこない、という印象を持っている方が多いだろう。 だが、最近のChatGPT-4oには「要約機能」がついており、これがかなり使える。例えば、ある本(特に英語で書かれているようなもの)から情報を取りたい時に、全部読むのがめんどくさい、という場合があるし、そもそも何が書いてあるのか、目次を目を通す気にもならない、という場合が多いだろう。 そういう場

          ChatGPTに「本を読ませる」。人工知能時代の新しい本の「読み方」

          テレンス・マッケナに学ぶ、サイケデリック・カルチャーの歴史と「食」の関わり。

          以下の内容は、テレンス・マッケナ「Food of Gods」(未邦訳)の内容を、対話形式で再編集したものです。 シャーマニズムの神秘を語る 初心者 (A): ねぇ博士、シャーマニズムって聞いたことあるんだけど、何かよくわからないんだよね。普通の宗教とどう違うの? 博士 (B): おお、シャーマニズムか!それは人類最古の精神的な実践だよ。シャーマニズムは、ただの宗教とは違って、実際に自然と深く結びついた技術なんだ。シャーマンは、トランス状態に入って、精霊と交信したり、病気

          テレンス・マッケナに学ぶ、サイケデリック・カルチャーの歴史と「食」の関わり。

          「人生」が「ゲーム」なら、その「ゲーム」丸ごとゴミ箱に捨てた時に初めて本当の人生が始まる

          ある程度スピリチュアルな生き方について解説した本の中には、「人生はある種のゲームであり、そのゲームをクリアするとスコアが上がって、それが上がれば上がるほど死後にいい世界に還れる」などという世界観がある。 私はそれは極めて浅薄な解釈だと思う。 人生にスコアなどない。目的などない。誰かが決めた評価軸の上を歩む人生など、人生ではない。そして、人生は断じてゲームなどではない。 誰かが設計したゲームをクリアすることに、何の意味があるだろうか? 誰かが設計した評価関数を最大化するた

          「人生」が「ゲーム」なら、その「ゲーム」丸ごとゴミ箱に捨てた時に初めて本当の人生が始まる