最近のニュースと近況
日本在住者のnoteにコメントをすると 日本では情報が統制されててとか
情報が入ってこなくてとかいう レスをいただく。
私が 日本にいたのは 日本に初めて消費税が 導入された頃までで
しかも 導入直前直後は 海外にいたために そのことを知らずに
いました。
成田に戻り 電車で 都内に向かうとき 駅のホームの販売機に
百円玉を入れたのに 選択した缶ジュースが出てこず 機械が壊れているんじゃないか?と思い しばらく販売機の前で 立ち止まり その原因が商品の価格が 百十円に変更になっていることを知り のちに それが
消費税を加えた価格であることを 初めて知りました。
そもそも 消費税を徴収するなら 所得税は減税するか 徴収しないことにするべきなのですが きっと その頃から 日本の政府は 今ある現状に向かって 大きく突き進むために 固い決意を抱いたのでしょう。
さて 前置きが長くなりましたが ハワイにいる私が ここ最近
少し(本当に少しだけ)だけ 気になったニュースから感じることを
書きます。
まずは とある 医療保険会社のCEOを狙った銃撃事件。
なぜこの件を 先に取り上げたのかというと この事件に関する 一般人の反応は コロナ前と後の時代の変化を 明らかに象徴しているからです。
事件直後 犯人が特定される前 ビデオに残された映像をもとに たくさんの若者が 犯人と同じ格好をして街に繰り出すのが目撃されています。
捜査を混乱させる目的だったのか?それとも 犯人の意志をたたえての
ことなのか?わかりませんが アメリカの一般の情報筋では その様子が
伝えられていました。
これは コロナ前なら 見かけることのなかった光景だと思います。
なぜなら 同じ格好をしているだけで 誤って逮捕される可能性が
あるからです。それでも そのような行為に出る人が多かったのは
誰もが 腐敗し切った経済構造に 飽き飽きしているからだと感じました。
まあ 遠い昔から 世界を動かしてきたのは 実は資本家達だったので それを知っていれば 今更 呆れることでもないでしょう。
その後 犯人の身近な人からの通報とやらなんやらで 犯人は特定されたようですが それも本当に その人がやったかどうか 私的には わかり
ません。
が、彼に同意するという一般人のコメントを いろんなところで見かけるので 彼に賛同している人が CEOの死を悲しむ人より 圧倒的に多いのは事実です。
今や彼は たくさんの人たちが思っていることを 実行に移してくれた ヒーローだとも言われています。
皆さんももう ご存知とは思いますが アメリカの医療は 医師は権限を持ちません。
保険会社が 然るべき治療への支払いを同意しなければ 患者の自己負担になるため 患者が 医師の勧める治療を 受けられないこともあります。要は 保険会社は医師の判断などそっちのけで 利益優先です。
そんな中 然るべき治療を受けられずに 亡くなった人たちがいます。
ですから 一般人に言わせれば 保険会社の拒否で 人が死んでも
保険会社は咎められないが 犯人と言われる人が CEOを銃撃したことはテロ行為とされるのは 間違っているという人がかなり多いのです。
自ら 不健康な生活をして 病気になったのであれば 元々の責任は
病気になった本人にあると 私は思っていますが 同時に 保険料を払っていたのにもかかわらず カバーされるところでカバーされないのは
おかしいと思います。それなら なんのための保険なのでしょう?
それに 昨今の注入事業と同じで 率先して 利益向上のために協力するなら それ相応の評価を受け取った保険担当たちもいたのかもしれません。他人を救うよりも 自分の口座に振り込まれる金が優先です。
日本年金機構も 似たような構造ではないでしょうか?
支払い開始年齢を 年々変更して 支払いたくないという姿勢が
見え見えです。
払わなかった私には どうでもいいことですが ずっと支払いをしてきた人たちは 受け取って当然の金です。
次の話題は サンフランシスコ在住の 26歳の男性が自宅で亡くなって
いた話し。自殺にしたいようですが どうでしょうか?著作権問題が
最初にニュースになったのが 今年の10月ということで その時は
彼が 告発者で まだ生きておられたのです。
そういえば コロナのテストに使われた テストキットの開発者も
ロックダウンの前に 亡くなられていますね。
それを感染症のテストに使っちゃダメと 本人は言っていたようですが 結果としては 使われてしまいました。
短いニュースですが 日本語のものがあったので 以下に貼り付けて
おきます。
そして3つ目は、オアフ島在住の マイク ミスキのこと。
彼が逮捕されたのは 2020年でした。
当時は 大きな犯罪組織のボスという触れ込みでした。
裁判が パンデミックで 何度も延期になっていたのですが つい最近
今月最初に 拘置所で自殺し遺体で発見されたというニュースが 流れ
ました。エプスタインのことが 頭をよぎりました。
これとは 全く関係のない話しですが 10年ぐらい前まで オアフ島の
高級住宅地である カハラに 高級娼婦がいました。
私の知り合いが 彼女にかなり気に入られて 時々電話で 呼び出されて
相手をさせられていたので この話しを知っているのです。
彼女は 最終的に この島を追い出されることになったのですが
それまで 彼女の顧客は 島の著名人が ほとんどだったといいます。
政治家、警察署のトップ、法律家などなど。
それがある日 私服警官が 客を装ってやってきて 事業主が オフィス内に 掲示しなくてはいけない 納税者のライセンスがないこと
に気づき ライセンスの有無を質問したのだそうです。
彼女は ライセンス登録はしていないと答えたそうですが その場で
逮捕となったといいます。罪状はあくまでそれのみ。
娼婦としてビジネスを展開していたことは あえて問題にされませんでした。ハワイでは違法なのですけれど。
私が思うに 彼女は あまりにも知り過ぎてしまったのだと思います。
何を?政治家や トップの人間の腐敗ぶりをです。
その後 彼女は オアフ島では ビジネスができなくなり マウイに
引っ越して行きました。
それから少しして 警察署長の汚職事件が持ち上がり 同時に所長の
妻/検事も 追って逮捕されました。
思うに ミスキも あまりに知り過ぎていたと思います。
ドラッグや売春は 犯罪組織の金蔓と思われていますが その金蔓の
大元には 大抵 警察や政治家がいます。
そして 自分たちの行為が 一般にバレる前に 情報量の多いであろう
重要人物を定め 逮捕し 勾留するのです。隠れ蓑にするためにです。
私は ミスキも エプスタインも 取引をして 逃がしてもらったのでは
ないか?と 思っています。
仮に 彼らが死んでも 内部事情を知っている彼らの友人たちが どこかにいるはずで その人たちが 告発しないとは言い切れません。
意外と 2人とも 整形して 日本あたりにいるのでは?と 思うことも
あります。
陰と陽の マークを見ると 陰の中にも陽があり 陽の中にも陰が
あります。
ここ数年起こっているのは 本来 表の顔に隠れて 見えてなかった
部分が 表の顔より目立って見えてきたことでしょう。
人間の皮膚は 外界に直接触れてはいけないものを 覆っています。
覆うことで ある意味守っているのです。
地表もそうでしょう。
それが 発掘という作業によって どんどん削られています。
隠れていたものが どんどん表に出てきているのです。
その部分から見ると やはり人と地球は ミクロとマクロの関係にあると
思わざるを得ません。
そうとは知らず 人間は自ら墓穴を掘っています。
今回取り上げた 3つのニュースは 私個人の生活に なんの影響を
与えるものでもありません。
ただ 私たちは 正しいことをしようとすると 命を奪われかねないような 危うい世界に生きています。そして CEOが亡くなっても すぐに
後継者が据え変えられる ドライな世界に生きています。
それと 資本家達の意向で 医療の名の下に 治療どころか 病気に
させられるような世界に生きています。
先日 久しぶりに 映画を見る時間があり「君たちはどう生きるか」を
ようやく見ました。なんだか難しかったです。
ジブリの映画の中で 初めて メッセージが わからない内容でした。
それで直後に「アキラ」を久しぶりに見ました。
性格的になのか アキラで閉めて よかったと思いました。
肉体は 皮膚があるから 外と内の境目がよくわかります。
だから 皮膚を超えてパンチしたら 相手が痛いであろうことは
言わずとも わかります。
が 思考は底なしです。だから 人は 延々と思考してしまう。
それが 不眠に繋がったり 鬱になったりあるいは パニックアタックに
なったり。
鉄雄の体がどんどん膨張していくシーンがありますが あれは止められない思考の増殖(膨張)だと 私は感じています。
最後に 個人の生活では やはり 私は 波乗りに戻り そこに
落ち着いています。
波に乗りたかったから 私はこの惑星に生まれたんだと思っています。
それも 何度も。
それで お金を稼いでいるわけではありません。
それよりも 波乗りに使うものを 購入するために 働いています。
じゃあ お金にもならないものを どうして続けているのか?と
思う人がいるでしょう。
とどのつまり 人生は お金のためだけにあるのではありません。
自分が活き活きと生きている瞬間を 感じさせてくれるものが
あれば そこを中心に 生活が作られて行きます。
“水を得た魚のように“という例えがありますが まさに 自分は海に
入ると 生き返るのです。
それは当然のことです。私たちは 海に育まれました。そして海から
やってきたのです。
その記憶が 私の中にまだあるのです。それは 普段意識していなくても
です。その意識していない部分が 海に行くことで 喜ぶのです。
あ〜 私は 再び帰ってきた。
そして あの話題も この話題も 頭から消えていき 私は 海のリズムと一体になります。