規格外のものが欲しかったが、全てが凡庸だった。全てが平均で秀でるものがなかった。やる事も魅力がなかった、だから僕のしている事全て捨て去る方が注目が集まりそうだった。だから行動する事にしたのです。自分を変える事に決めたのだ。明日からの僕は今までとは違う、他人が離れていく事をします。
『 ASDは論理的思考力が高い』、『 ASDは、言語理解が高い』、『 ASDは、高IQ高学歴だ』『 専門性が高い』などと、よく言われてるが、やめて欲しいと強く願う。 私のように、論理より感情優先、言語理解ど平均、低IQ、低偏差値、何も突出したものがない凡庸な人間だっているんですよ
大抵の人は、20代前半で自分が平凡だと気づくみたいだが、自分にはそれが遅すぎた どう足掻いても、自分は凡庸なままで抜きん出たものはないままだ 「凡人だと気づいてからがスタート」だと言うが、夢を諦め悟り凡人である自分を受け入れるのが怖い。凡人としての日常を過ごしたくない気持ちが強い
創作してると、自分は如何に凡人なのかを気付かされる どう頭を捻っても、ピンとくる話や文章書けない。在り来りな凡庸な感じになる。他人の話と比べて、実力の差を思い知らされる ノリの良い話も書けない、経験乏しいから思いつかぬ、語彙や文章力も乏しい。生み出せない、凡庸側だと悟り苦悩する
『無能というのは。小説を書けない人のことではなく、書いてもそれを隠せない人のことだ。』 アントン・チェーホフ『イオーヌィチ』