本多裕樹
この断片集は哲学であり、思想であります。その可能性は私の心の中にある問題の整理整頓のつもりで書いています。私の中にどんなものがあるかその探求と考察が書かれています。自分への問いかけと、人生に何を問題にしていたかの手記形式でこの書を発表しています。ぜひ、覗く程度でもいいのでご拝読よろしくお願いします。令和6年3月10日本多裕樹より
この書では本多裕樹の芸術論を書いたものであります。詩論から、絵画論、音楽などをプロポ形式で短文で書き綴りました。平易は文章で流れて行き、本多裕樹の芸術観を表現しました。具体的な内容より、いくらか観念的であり抽象表現なので、この抽象論から流れて、具体的におろせばあなたも芸術の具体論にいたれると予想します。このエッセイ的なプロポを皆様にお届けます。なんらかの参考になれば幸いに思います。どうか、よろしくお願いします。
「幻想楽園」 あてどなく迷い 風のさわやかなそよかぜの みめうるわしくある乙女 気まぐれなあばた 遠くにきえし夢あれば 果てにある幻想がわれをなやまし 毒の入った盃を飲み憂鬱におそわれ夢心地 そいつは緑の妖精が誘惑した酒で 私は歓楽の世界に脳は旅する 名画を眺め、酒を少しずつ舐め 愚かな自分を慰めるただ、闇の照明 気はどこにあっても舞台の女子 酒を飲み、その舞台の闇を眺めどこまでも吸い込まれていく 果て、 そいつを求めた 限りなき闇に消えゆきたい疲れた精神は 妖精天国を夢見
雑文39786 今後のことを考えなくてはならない。たくさんの若手の天才たちが出現して頭角をあらわしている。そのような化け物に勝てる気がしない。 私は絵を描いている人間ですが、そう感じるのであります。それは絵の業界のみでなく他の世界でもそうであるかもしれません。しかし、芸術の世界はこの才能のあるなしは顕著なので高い芸術には、なんとも勝てない。ただ、上手いだけではいけないし、独創性、迫真性、真剣など、どれも私は若手に負ける。彼らは絵のことばかりを考えて、考えるばかりか実践
「太陽の微笑」 秋の夢、皇后の歩く道 煌びやかでさんざめく音の輝きを 押し戻して影を踏む従者たち 太陽のような香りと焼けた大地に 私たちは夢を見る 時の流れに光もあると言う 時の終わりもあったろうか 何にあっても その光の余韻が我らにかんがみる しめありき朝露も 春なのか 秋なのか 涼しげに見える空気に潤う 私たちはこの光景を想像し この天上界のごとくの景色を眺め 上帝の歩む道を従者の歩む音を聴くのだった やんごとなき夢でなく 密かに悲劇的であったこの日 絶望の日々は太陽の
雑文34567 今日もこうして始まりました。皆様もそうかもしれませんが、今週も頑張ったと思います。また、頑張らない人もいらっしゃるでしょう。頑張ったから偉いというわけでなく。生きているだけで立派と言えるし、それぞれの生き方もあるのであまり他人の生活をあれこれ言うとハラスメントになるので少し、言葉も気をつけなければならない時勢です。では、頑張るのがいけないかと言うとそうではなくいつの時代も時代を動かしたのは頑張った人たちだと言う現実もあります。 生産性があるから社会貢献にな
「月の時代」 あらまし時の落ちる夜 星のあられも流れゆき ままあれば静かな月夜 時の果てまで行ってみよう 風、どこまでもゆき巡り 星の国々をゆきながれる 愚かのようで 賢くて、誰も知らない隠者は知る 音を聴け どこからくるか果てまでも 音を聴け ある根源の音の可能性、そこにあらゆる音楽が眠っている 情念の燃える火山の怒りは 喜びの叫びであり 大地を火で満たす そうして歓喜で祭りを成す 月夜、果てもない星空は見えるか 月が消えたり 月が現れたり 星も隠れたり現れたり
雑文451089 今日もこうしてはじまりましたね。今朝は爽快な気分です。よく眠れたからかもしれません。朝ごはんもちゃんと食べ、今日は元気です。朝食はご飯、ヨーグルト、大根の煮物、コーヒーでした。朝はあまりガッツリは食べれません。 さて、今日も仕事です。昨日は休暇でしたのでゆったり過ごせました。私の仕事はそんなにキツイものではないだろうと思います。それなりに一生懸命にやっていますが。通勤時、様々な人を見かけますがみんな大変なお仕事をされているなと思います。例えば工事現場の
雑文 2024年11月4日 今日もこうして始まりました。久しぶりの文筆だと思います。今まで読書ばかりしていました。日々のメインがほとんど読書だったと思います。文章を書くのが久しぶりなので今日は練習と修練を兼ねてのタイピングになるでありましょう。 さて、私は何に関心をもってこここの年にやってきたか。何を読書していたかですが、多岐にわたると言ってもいいのか、狭い範囲なのか。とにかく若い頃から読んでみたいと考えていた文学を読みまくっていたように思います。だいたい昭和初期の小
「月の夜の秋」 秋の日々の翳りに消える夢 終わりに月の泉に泳ぐ 静寂の 沈黙の 時の終わりに眠り 草の広がる夢の中 どこまでもどこまでも 月の果てを思いだし 日の終わりを待ちわびて どこまでも どこまでも 時の先に何があるのだろう 宝玉をかざし月を眺め 詩音の奏でを耳にして 妖しげな花も ケシの広がる安楽を 絶望の時 何も無いのでなく 火の飛び散る風がやってきて 君の心を発展させる そこまで そこまで ありし夢を追いかけて その月の空の果てを見てみようと どこま
「表現」 詩:本多裕樹 新しき世界に我らはゆく そこにある花々はどこまでも白く死の香りで満ちている ここは天国か? どこまでも続く夢、毒もまた安逸にある 輝きに広がる空間にケシもあり 甘い世界は誘惑だろうか穴に落ちても愉快である 草花の世界が広がる地底に ありし神を思い出す ああ、あなたはどこまでもとどかない 信じるより他ないイデア 何もあっても無くても そこに合わせれば存在していた 私は実存か自分勝手か 実存か、周りはどうなってもいいのか 人は
「隠者」 小説:本多裕樹 朝から何をしていたのか?人の話を聞いていて有益な情報を得られた感じのあの幻、それは本当にあったのかなかったのか、誰かいた。その話の内容すら今は覚えていない。だから夢なのだろう。僕はただ「うん、うん」と頷くだけで、その者の話を聞いていた。 その人は美しい人ではない。むしろ世間的には裕福にも見えない。まるで仙人のようで、話は無視できない。重要なことだった。中年の男性のようでいわゆる貧相ですらあるが、僕は話を聞いていた。古来、重要なメッセージを天の神
「ヒモ芸術家」 小説:本多裕樹 あの日を思い出す。女の子とレストランに入りつまみを食べながらドリンクを飲み、雑談していた。なんでもない話だった。私の基本情報を聞き出していたが、何も悪い気がしなかった。自然に話し、時を楽しんだ。本当にどうでもいい話だったが、何故だか楽しいのはデートだからだろう。つまみのオーダーしたものは、グラタン、ピザ、ポテトであった。お代は割り勘、こういう時は男がご馳走するものだが、私は貧乏でお金の無い芸術家だった。プチひも状態であるのが現状なのだった。
雑文25861 久しぶりにまたこうして文章を書いています。普段も少しは日記程度の作文は書きます。雑文を書くのは本当に久しぶりです。プロの文筆家であれば毎日、文章に向き合えるのでしょう。それはそれで魅力のあるお仕事で文章の練達もいるのでしょう。さて、私は何を語るか。今日も労働を終えて、帰宅した今、何か問題にしていることはあるのだろうかと考えました。結局、無かった。今、それほど重要な問題が無い。つまらないのか。そうなのか、それでも仕事人間でなく、私は基本は遊び人である。労働を
「酒に酔い」 小説:本多裕樹 バスに静かに乗っていた。どこに行くまでもなく彷徨うようにどこまでも行く。その果てはあるだろうかと、暗い道で自然豊かな田舎道を。隣には彼女がいて何もしゃべらずじっと黙っている。私の方から話しかけるのがいいのだが、そんな気の利いた話もできるわけでもない。お互い知己の間柄であり、話すこともその内容も飽き飽きしている問題や話題ばかりで自然と何も話をしないのだ。 「私、あの世にいくの」 「ああ、これからあの世だよ、この不思議な旅の果てに、」 「あな
「遊び人放浪時代(抄)」 小説・本多裕樹 初めて自分が展覧会に出品したのは、学校展でありました。あの時はまだ23歳くらいだったと思います。画家としては遅いスタートだった。 23歳であれば早々に展覧会で賞を取って華やいでいる時期ではありますが、そういうエリートコースからも外れてただ描くしかなかった。 そんなある日、休みの日は友人と遊び青春を謳歌していた。 特に地元の友人と街をまわり様々な店を見た。 「君はいろんなものを見た方がいい」と友人は言い様々な昼ごはんやおやつ、
「複雑な箱」 小説・本多裕樹 朝方から電車に乗って曇りの空に沈黙の中ゆられていた。何も感じなかったわけでもない。文庫本を読みながら、隣の女子を連れて遠く旅をしている。 何も語らない。 それは電車の中だから他の乗客に迷惑をかけないため。 東京の外れまで、ただ、行く。 お互いチラチラと見る。女子は意外にも爽やかで綺麗な白を基調にしたデザインの服で少しボーイッシュである。髪は整って綺麗であった。靴もスニーカーで軽装と言ったところだろう。 今日はあまり寒くないし、暑くもな