秘すれば花
世界中でもまったく異質で稀有な都市、東京の空気、色、乾いた感傷をつづります。~An unnamed piece of Tokyo~
長い長いひとり暮らしの果てにある日とつぜん始まった、76歳の母との生活。 介護ではなくおんな二人、母娘の新しい同居生活の取り立ててなにもないお話です。
満ち足りて目が醒めると、冬至のころに感じるような空気のすがすがしさを感じ、同時に自分自身の心のうちも澄み渡っていくように感じられた。自分の場合、性根が悲観的なものだから放っておくと悲観的気分にあっという間に侵食されがちだ。大抵はその兆しが見えると必死に気配を打ち消しながら、なんとかそうやって日々を暮らしている。 ところが、今日の目覚めには一切の不安や憂いがなく、ひたすらにクリアである意味で幸福感すら覚えた。こういった目覚めが実に希少なわけだから、それは相当に新鮮で驚きで
今月末からもうひとつ契約先を増やすので、いまエアスポット的に少し時間の余裕がある感じ。フリーランス16年目というベテラン勢なので、本当なら労働時間はもうぐぐっと少なくしても報酬は充分というクラス感が普通なのだと思うが、年々稼働時間が増えている。最初のころこそ、そういうフリーランスならでは感を味わいたくて、一日の仕事時間が3時間くらいの日々に設計していた。ただ、猛烈に暇でお茶ばかりしてるか寝てたw ◇◇◇ ここ最近は報酬体系をガラッと変えた。以前まで、「どんなに働いても
最後の会がつつがなく終わり、途中まで電車で帰ったあとで最寄りの駅からタクシーに乗り込んだ。ひとりきり、後部座席に深々と身を沈めながら心地よい充足に満たされているのに気づく。少し窓を開けて風を入れたかったけれど、その断りを運転手に告げることが憚られた。まだ、余韻を大切に味わっていたかったのだ。 ◇◇◇ ひとりは今年29歳になるというし、もうひとりは26歳になったのだという。出逢ったのはまだ彼らがそれぞれ大学生の頃で、私の仕事先にインターンでやってきた。どういうわけか年の
書きたいことがとてもたくさんあるようなのに、どうしても書ききらないうちに消してしまうので時間が空いてしまっている。それで自分のなかでもう咀嚼しおわって消化すらしたような気がするので、春から夏に毎日楽しんだゲランのアクアアレゴリアから「ウード ユズ フォルテ - オーデパルファン」の話をしよう。 ◇◇◇ いま夢中になっている進行形の香りは正体を明かすのが好きではないので、長いことこの香りの話をしてこなかったのだが、この数日急に「あ、もうこれじゃない」と思うようになった。
あくまで20年前のことなので最近はそんなこともないと思うのだけど、広告代理店にいた頃、社内のイントラを立ち上げてまず「全社必見」という告知情報ポータルみたいのを開く。最初は非常に驚いたことに、毎日毎日、けっこうな人が亡くなっていくのだ。次第に慣れていき、「あーまた3人亡くなったのか」となっていくので怖いものだった。そんで、営業局のフロアに行くと壁などにその訃報を知らせる紙が貼ってあったりして、そういったことはその後いろんな会社で仕事をしたけれど唯一、その会社に限ったことだっ
コロナ陰性になってからも、体力が本当に戻らなくてまだヒイヒイ言いながらの毎日。週初めは前週寝たきりだったために脚の筋肉が劣化して、駅まで歩きながらたくさんの老若男女に追い抜かれましたね…。週の終わりになって少し、ほんのちょっぴり体力回復してきたけれど突然すごい眠気に襲われたり頭がふわふわして集中ができなかったりと、意外にしんどいです。 さてそんな折、昨日はみなとみらいに仕事で行きました。考えてみると、20代までは本当によく来てたのに、以降ぱったりと足が向かなくなった場所
ーー評価の定まったものに寄り添うのは、とても甘美なことだものね。 これは20代の終わりに言われた言葉で、どういう理由か知らないが、ひどく衝撃を受けて以来、その人は変わらず自分の中のゆるぎない場所に鎮座してしまった。 音楽も美術も、古典が好きで前衛的なものはもちろん、現代的な解釈のものが苦手で、当時ギュスターヴ・モローの「出現」を鑑賞してその感想などをmixi日記にアップしたときに、くだんの人からくだんのコメントが来たのだった。その人とは現実社会で先に知り合ったあと、m
味覚と嗅覚の消えた本日、コロナ療養一週間目となる。ほんとはこのレポートを自分の備忘録で書こうとしていたのだけど、書いていてまったく楽しくなくて基本的に見返すことのない下書き入りになりました。南無三。 ◇◇◇ 先日長年の謎が解けた。母が「親指ピアノ」なるカリンバを弾きたいというので、買ったのだが、母としては楽器が弾けることにあこがれをもっていたそうだ。それで、ピアノは物理的に現物がないので無理としても、時間の有り余る今、テレビで見てこれならやってみたい!と思ったという。
昨夜は母と同居以来のルーティン、「月イチごはん」の日。家にこもって一人でどこにもいかない母が気の毒で、また、私自身の愉しみにもするために始めたものだ。東京中を範囲にしてよいのなら、無制限においしいものを選べるがクルマ社会から来た母は、公共交通機関での移動がものすごく苦痛らしい。そこで自然と歩いていけるかバスで済む範囲としている。 長年親子をしていても、知らないことはまだ多くあって、母はなんとお鮨が好きなんだそうだ。そりゃもちろん、「好きなほう」くらいには知っていたが、こ
ちょっと面白かった話。百貨店の化粧品カウンターでのこと。ちなみに自分のメインの仕事場の真ん前に某百貨店があるので、帰りがけなどにそこによれば一番らくなのだが、あるブランドにおいてはとても信頼している美容部員さんがいる店舗が少し離れたところにある。この数ヶ月、重要任務をあてがわれ多忙を極めていたこともあり、ついついその方の店舗に向かう体力がなく、目の前の店舗で済ませてきてしまっていた。きのう、やっと状況が落ち着いたこともあって、その店舗を目指して自宅のある駅も通過して訪れた。
なにが正解なのかわからないのだが、いや、正解を自分なりに見つけていくしかないんだな。自問自答する前に回答が出てしまった感。 母との突然の同居生活はちょうど半年になる。理由となった原因が落ち着かない時期は、母の身の危険があってあまり家を空けたくなかったのと、母本人が私がいないと夕飯を一人で先に食べてくれないので、仕事が終わると飛んで帰るようになった。 半年が経過すると、母の身の危険問題がおおむね緩和されてきたのと、それまでそのことがもっとも危惧されていたために他のこと
ショートケーキのいちごをいつ食べるか?最初に?それとも最後?私はいつ食べているかわらかない。最初に食べることもあるだろうし、気づかずどこかで食べていることだってあれば、最後に食べることもある。要するに気分だ。だとすると多分、好きなものだから最後に食べようとか(あるいは最初に)、そういう志向がないのだ。ところがこれが、映画になるとしょっちゅうあって、「うわ、これ絶対好みだから観たい」と思い定めた作品は観てしまうと楽しみやワクワクが終わってしまうみたいでなんとなく回避する。無論
自分にとってこれほど切実にサードプレイスが重要になるタイミングで、長年なんとなしに利用してきたサードプレイスが閉館になってしまうという事態に、形ばかりは次なる場所の契約で対処したものの、思いのほかあの場所が自分にとって大切なものだったようで、心にすきま風のさしこむようなさみしさを感じている。 先だって、渋谷の最新施設であるサクラステージにやっと足を踏み入れ、案内されるままに最上階フロアのBarに行った。38階から見下ろす渋谷のまち、そして望む都市景観を前に同行者は喜んで
たまに雑誌や新聞の書評で気になった本を買う。この本も当時読んでいた雑誌の書評で知って買い求めた。「ラブリー・ボーン」だ。本自体はなかなか面白かったし、けっこう衝撃的だったので20年近く経っても印象深く残っている。映画化された作品も封切り頃に観て、昨夜これまたずいぶん久しぶりに観た。だいぶ忘れていることがあると思ったのと、書き留めておきたい気分なので二日連続でnoteを更新している次第。 (画像出典:https://tower.jp/article/feature_item/
ふと思ったのだが自分は長く慣れ親しんだ頭痛を、まるで相棒のようにある種愛しているのかもしれない、と。そんな馬鹿な話があるはずはないものの、こういう言い方をしたら理解してもらえるだろうか。たとえば、少しずつ少しずつうららかな陽気が気づくと日中、ほのかに汗ばむようになって「そろそろ半そでを着る季節かもしれない」などと思う。あるいは真夜中の寝床、しんと静まり返った驚くほどの孤独のなかで布団から出た鼻先が痛いほど冷え切っていることに気づくとき、「もう一年が終わるのだ」と思う。 そ
髪をバッサリと短く切ってひと月、たいへんに好評で、あんなに苦労して伸ばしていた2年間がますます「なんだったんだ…?」と思えてくる。また、前回直近でショートヘアだった際は、毛流れのある少し大人っぽいスタイルにしていたのを今回は重たい感じにした。私のなかで永久に好きな「デミ・ムーアのショート」と「アン・ハサウェイのショート」を手本にした。 これが自分でもあっと驚くほどはまって、今までと同じファッションでもこじゃれて見える気がするしメイクもヴィヴィッドな色がめちゃくちゃ映える