年間読書人

その名のとおり、読書が趣味で、守備範囲はかなり広範ですが、主に「文学全般」「宗教」「映…

年間読書人

その名のとおり、読書が趣味で、守備範囲はかなり広範ですが、主に「文学全般」「宗教」「映画」「アニメ」に関連するところ。昔から論争家で、書く文章は、いまどき流行らない、忌憚のない批評文が多い。要は、本音主義でおべんちゃらが大嫌い。ただし論理的です。だからタチが悪いとも言われる。

マガジン

  • 「学術書・学術啓蒙書」のレビュー

    人文書、科学書など(別立ての宗教関連書を除く)学術書と啓蒙書を紹介します。

  • 「宗教(キリスト教以外)」関連書レビュー

    キリスト教以外の「宗教」関連書のレビューを集めました。 後日、整理の予定です。

  • 「思想・哲学」関連書のレビュー

    「思想」「哲学」関連のレビューを紹介します。

  • 「政治・経済・社会」関連書のレビュー

    「政治」「経済」「社会」などの関連書のレビューを紹介します。

  • 「エンタメ(マンガ・アニメ・映画など)」作品のレビュー

    広く「マンガ」「アニメ」「映画」など、エンタメ作品関係のレビューを紹介します。後日整理の予定。

最近の記事

  • 固定された記事

〈宇山秀雄殺し〉の 謎を解く : 『宇山日出臣 追悼文集』の密室

書評:太田克史編『新本格ミステリはどのようにして生まれてきたのか? 編集者宇山日出臣追悼文集』(星海社) エディターネーム「宇山日出臣」、本名「宇山秀雄」が、「新本格ミステリの仕掛け人」などと呼ばれた名編集者であることについて、ここであらためて説明する必要などないだろう。本書を購読したり、ネットで本書の内容を確認したりするほどの人なら、宇山についてそれなりの予備知識を、あらかじめ持っているはずだからだ。 本書は内容は、次のとおり。 (1)序文(太田克史) (2)編集者・

    • 北村紗衣教授に関する提言 : 蓋句智女の呟

      与那覇潤氏のnote記事「嘘でも他人を「ミソジニー」呼ばわりすることの意外な効用」によると、同氏などの男性言論人が、一部のフェミニズム系女性言論人を批判すると、それは「モノ言う女」に対する、男性特有の「ミソジニー(女性嫌悪)」という「偏見」に発するものではないのか、との逆批判が、批判された当人はもとより、その取り巻きの外野などからも、しばしば返ってくるのだそうだ。 議論のテーマは放置されたまま、エセ心理学的な話に、話題をズラされてしまうのである。 私のようなアマチュアの場合

      • 中村一般 『ゆうれい犬と街散歩』 : 繊細さゆえの孤独と思考

        書評:中村一般『ゆうれい犬と街散歩』(トゥーヴァージンズ・路草コミックス) 友人がお盆に帰阪したので大阪梅田で会ったきた際に、ひさしぶりに「丸善&ジュンク堂書店・梅田店」に寄って購入した本の一冊だ。 この、丸善&ジュンク堂書店の地下階にあるコミックコーナーは、なかなかの充実ぶりなのだが、隠居前までは漫画を積極的に読むことはしなかったので、ここにはほとんど寄ったことがなかった。 ただ、これまで読んできたシリーズもの(マイナー形)漫画の最新巻を書いそびれており、それがブックオ

        • 北村紗衣に捧ぐ 「ミソジニー ファンネル集めて キャッキャしたい (五七五)」

          与那覇潤さんに拙稿(いや「拙レビュー」?「拙note」かな?)を紹介していただいた。ありがたいことである(合掌)。 与那覇さんの記事を、いつもありがたく利用させていただいている身なので、無理やりに恩返しさせていただいたようなものだ。なにしろ、こんなの書きましたよと、押売りしておいたのだから(笑)。 でも、つまんなきゃ採用されないよね。佳作入選かも知れないけど…。 北村紗衣ちゃん界隈と言うか、三流フェミニスト界隈では、「ミソジニー(女性嫌悪)」という言葉が、いかにも安直に「

        • 固定された記事

        〈宇山秀雄殺し〉の 謎を解く : 『宇山日出臣 追悼文集』の密室

        マガジン

        • 「学術書・学術啓蒙書」のレビュー
          836本
        • 「宗教(キリスト教以外)」関連書レビュー
          338本
        • 「思想・哲学」関連書のレビュー
          851本
        • 「政治・経済・社会」関連書のレビュー
          1,012本
        • 「エンタメ(マンガ・アニメ・映画など)」作品のレビュー
          723本
        • 「ミステリ・SFなど(純文学系以外)」関連書のレビュー
          604本

        記事

          ウィリアム・ワイラー監督 『ローマの休日』 : 『ローマの休日』論

          映画評:ウィリアム・ワイラー監督『ローマの休日』(1953年・アメリカ映画) 「名作」の誉れも高き傑作だが、「ロマンティック・コメディ」ということで、長年、積極的に見ようとは思わなかった。 あまりにも有名な、ローマの街をスクーター(ベスパ)で二人乗りするシーンだとか、偽りの心のある者が手を口に入れると、手を噛み切られる、あるいは手が抜けなくなるという伝説のある、直径2メートルほどもあるギリシャ神話の海神の顔のレリーフ「真実の口」に、新聞記者のジョー(グレゴリー・ペック)が

          ウィリアム・ワイラー監督 『ローマの休日』 : 『ローマの休日』論

          北村紗衣 『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』 : 子供騙しな子供向けフェミニズム

          書評:北村紗衣『お砂糖とスパイスと爆発的な何か 不真面目な批評家によるフェミニスト批評入門』(書肆侃侃房) 著者が嫌いだから貶しているのではない。 本稿のサブタイトルどおり、本書『お砂糖とスパイスと爆発的な何か 不真面目な批評家によるフェミニスト批評入門』(以下『お砂糖とスパイス』と略記)の中身が「子供騙しな子供向けフェミニズム」エッセイ集にすぎないと評価するので、そう書いたまでのこと。 私情を交えるまでもなく、本書は、少なくとも私の基準からするならば、単なる「ゆるいクズ

          北村紗衣 『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』 : 子供騙しな子供向けフェミニズム

          私の記事「北村紗衣という人」(2024年8月30日付)が、通報削除されました。

          たぶん昨日(2024年9月13日)のことです。無論、私自身が「削除」したのではありません。 「管理者」からの事前通告もなく、いきなりの削除でした。 昨日のお昼すぎ頃、私自身の別の記事を見たら、当該記事「北村紗衣という人」へのリンク部分が、 となっていたのです。 「閲覧」できないのではなく、要は、この記事で扱われた、「武蔵大学の教授」で「表象文化論学会」所属の学者でもある北村紗衣が、この記事に関し、「note」の管理者へ、「削除要請」の「通報」をしたから、記事が削除されて

          私の記事「北村紗衣という人」(2024年8月30日付)が、通報削除されました。

          ポール・W・S・アンダーソン監督 『イベント・ホライゾン』 : 「才能」の質

          映画評:ポール・W・S・アンダーソン監督『イベント・ホライゾン』(1997年・アメリカ映画) 完全に失敗した。見るんじゃなかった駄作である。この作品については、語るに値するほどのものを、私は何も持たない。 本作は、ひと言で言えば「絵は悪くないが、内容がありきたり過ぎる」作品なのだ。 作品鑑賞の蓄積に乏しい高校生くらいまでであれば、十分おもしろい作品なのだろうが、ある程度、映画を見たり本を読んだりしている者には、何もかもが「既視感」ばかりを呼び起こすだけなのだ、最後まで。

          ポール・W・S・アンダーソン監督 『イベント・ホライゾン』 : 「才能」の質

          ジュディス・バトラー 『ジェンダー・トラブル』 : 「フェミニズム」とは何か?

           書評:ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル フェミニズムとアイデンティティの攪乱』(青土社・1999年翻訳初刊) 知的刺激に満ちた、とても面白い本だった。 もちろん、「哲学書」である本書を、完全に理解できたなどとは言わない。 ボーヴォワールもイリガライも、フーコーもラカンも読んでいない私では、本書で理解できたのはせいぜい2割程度だろう。だが、その2割は、たぶん著者ジュディス・バトラーが言いたいことの中心に近い部分であるという手応えはあったから、その意味では、満足もし

          ジュディス・バトラー 『ジェンダー・トラブル』 : 「フェミニズム」とは何か?

          D・W・グリフィス監督 『國民の創生』 : 「映画の父」の深き呪い

          映画評:D・W・グリフィス監督『國民の創生』(1915年・アメリカ映画) 悪名高き、歴史的傑作である。 知っている人も少なくないとは思うが、いちおう紹介しておくと、本作は、かの悪名高き「人種差別主義暴力集団」である「KKK(クー・クラックス・クラン)」を「正義の味方」として描き、「KKK」が「黒人」を殺害するなどしたのは「黒人の方が悪かったからで、KKKは、白人の自衛のために生まれた集団なのだ」と、そのような「自己正当化」を、客観的立場ぶりながら描いているのだ。 したが

          D・W・グリフィス監督 『國民の創生』 : 「映画の父」の深き呪い

          竹田昼 『ヒャッケンマワリ』 : 内田百閒という人

          書評:竹田昼『ヒャッケンマワリ』(白泉社・楽園コミックス) 内田百閒という小説家をご存知だろうか。 もちろん、相応の年齢に達した読書家ならご存知だろうが、若い人だとどうだろうかなどと、つい心配してしまう。 要は、若い人にも読んでほしいし、忘れられてほしくない作家のひとりなのだ。 大雑把に言うと、内田百閒には、『冥途』などの小説と、『ノラや』や『阿房列車』などのエッセイがある。そして、そのどちらもが、熱心なファンを持っている。 小説家が小説とエッセイを書くのなんて当たり

          竹田昼 『ヒャッケンマワリ』 : 内田百閒という人

          ウディ・アレン監督 『カイロの紫のバラ』 : 弱者への温かな眼差し

          映画評:ウディ・アレン監督『カイロの紫のバラ』(1985年・アメリカ映画) ウディ・アレン監督は、子供の頃にテレビで見て、すっかり好きになった映画監督だ。 ただし、その後に見た、ひとつかふたつのの作品がイマイチだったので、すっかりご無沙汰してしまっていた。一一と、このパターンは、スタンリー・キューブリック監督の時と、まったく同じである。 キューブリックの場合は、『2001年宇宙の旅』で惚れ込んで、『フルメタル・ジャケット』を物足りなく感じて離れてしまったのだ。 では、アレ

          ウディ・アレン監督 『カイロの紫のバラ』 : 弱者への温かな眼差し

          「表象文化論」とは何か? : 蓮實重彦、松浦寿輝、、、北村紗衣…

          「表象文化論」という言葉を、ご存知だろうか。 若い人なら知っているかもしれないが、高齢者はあまり知らないと思う。なぜなら、この「学問ジャンル」は、かなり新しいものだからだ。 かなり新しいと言っても、「日本で1987年に作られたもの(概念)」だから、おおよそ40年近くにはなっており、その意味で、若い人には「当たり前にある」学問の一種だと感じられているのではないかと思うし、高齢者からすれば、これは「つい、最近のこと」にすぎない、ということにもなる。 それにしても、私がこの「学

          「表象文化論」とは何か? : 蓮實重彦、松浦寿輝、、、北村紗衣…

          イングマール・ベルイマン監督 『第七の封印』 : 難解ではない。人間を描いただけである。

          映画評:イングマール・ベルイマン監督『第七の封印』(1957年・スウェーデン映画) ベルイマンが「難解な作風の映画作家」だという印象だけは、私にもあった。そのような風聞を何度も耳にしていたからであろう。 私の場合、本作がベルイマン・デビューとなるわけなのだが、ベルイマンの「難解」というイメージの一端を担ったのが、他ならない本作『第七の封印』なのである。 私としては、ベルイマンを初めて見るのであれば、どうせなら、 (1)ベルイマンらしく「難解な作品」。 (2)代表作のなか

          イングマール・ベルイマン監督 『第七の封印』 : 難解ではない。人間を描いただけである。

          堤未果 『国民の違和感は9割正しい』 : 人は案外、学ばない。

          書評:堤未果『国民の違和感は9割正しい』(PHP新書) 退職して隠居生活に入って、丸2年が経った。そんな中で感じることのひとつは、他人と直接に話をする機会がほぼ無くなったので、興味のない話を否応なく聞かされることも無くなったし、生々しい現実生活の話とも縁が無くなった、というようなことである。 人と話さなければ寂しい、なんてことはない。仕事をしていた頃、人から興味のない話をされて、心の中では「そんな、しょーもない話、どうでもいいよ」と思いながらも、そこは浮世の義理と、興味の

          堤未果 『国民の違和感は9割正しい』 : 人は案外、学ばない。

          フリッツ・ラング監督 『暗黒街の弾痕』 : 業界用語の信用ならなさ

          映画評:フリッツ・ラング監督『暗黒街の弾痕』(1937年・アメリカ映画) 『メトロポリス』などで知られる、サイレント時代のドイツ映画の巨匠が、協力を要請するナチス政権から逃れ、アメリカへ渡ってからの作品である。 この作品については、何よりもまず言っておかなくではならないのは、その「邦題のひどさ」だ。 古いアメリカ映画で『暗黒街の弾痕』というタイトルであれば、日本人は、どのようなジャンルの映画を思い浮かべるだろうか? 一一まあ、普通に考えれば「ギャング映画」である。 し

          フリッツ・ラング監督 『暗黒街の弾痕』 : 業界用語の信用ならなさ