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「まいにちブログを書くこと」について

九月二日

午前十一時半起床。くっきーりょくちゃ。さっきいっしゅん電車旅行でもしようかという想念があたまをよぎったがまだ腰が重い。金沢駅まで歩くのがしんどい。きょうあすは図書館でフーコーでも読んであさってもし好天であればすこし遠出してみようか。きのうはサイドFIREのコハ氏と二時間ちょっと閑談。書くことは露出行為だ、とかそんなことを話す。ウォーキングは三時間。
せんじつ温泉でみかけたあのたくましいステキ男子のことが忘れられない。裸の彼に抱かれたくてたまらない。彼は普段どんな服でそのへん歩てるのだろう。どんな音楽を聴いてどんなもの食べてどんな声で喋っているのだろう。恋人はいるのかしら。恋をした人間はなぜこうやって凡庸なポエムを綴りたがるのだろうか。
要するにきょうはなにも書くことがないのだ。読み終えた本もないし、隣のジジイへの殺意にとくべつ懊悩しているわけでもない。
「ブログ」の類はまいにち書くほうがいい。書く者の真価は「ネタが尽きた」ときにこそ問われるからだ。書く快楽は何も書くことが無いときにあえてなにかを絞り出す身振りのなかにある。平凡でもいいのである。というか平凡であるほうがいいのである。だって何も書くことがないのだから。「ああこんな詰まらないことしか書けないくらいネタ不足なんだな」と読み手を納得させなければならない。《純然たるエクリチュール》《凡庸さの刻印された散文》《快楽としての駄弁》。
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「ピアノが聞こえるね。」
彼は、いよいよキザになる。眼を細めて、遠くのラジオに耳を傾ける。
「あなたにも音楽がわかるの? 音痴みたいな顔をしているのだけど。」
「ばか、僕の音楽通を知らんな、君は。名曲ならば、一日一ぱいでも聞いていたい。」
「あの曲は、何?」
「ショパン。」
でたらめ。
「へえ? 私は越後獅子かと思った。」

太宰治『グッド・バイ』「グッド・バイ」(新潮社)

だるい。もう昼飯くうかな。きょうの広島中日戦はデイゲームか。プロ野球なんか早くおわっちまえ。結果が気になって読書に身が入らんから。

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