何者にもなれない私たち
へいへい。
唐突ですが、みなさま一度くらいは
「自分は何者にもなれない」と思い悩んだことがあるのではないでしょうか。
果たして、「何者」とは一体何のことなのか。
私は、自分の人生がひどく凡庸に感じたときに
「何者にもなれないな」と、感じます。
私の人生ってこんなもんなんだろうな、とある程度この先の人生が予測できたときです。
なので、私にとっての「何者」とは
予測できない人生を送っている人、のことを指すのだと思います。
ただ、ここでいう”予測できない”というのは
あくまで「私が」予測できないということなので、
「私から」見た予測できない人生を送っている彼らにとっては、”予測できる人生”なのではないかと思うのです。
その意味で、私にとって予測できない人生を送ってそうに見える彼らも
「自分は何者でもない」と、感じているのかも知れません。
そう考えると、「自分が何者だ!」と言える人っているのでしょうか。
(そもそも「何者」が、人によって定義が違いぼんやりとしていますが)
そもそも「何者」かにならなければならないのでしょうか。
なりたいのでしょうか。
前述した私の定義である”何者=予測できない人生を送っている人”と、するならば
予測できない人生が続くことは疲れてしまうと思うので、なりたいとは少し違うような。
ただ、予測できすぎてしまう人生を送りたいも、凡庸すぎるので少し違うような。
つまり、予想できる・できないのバランスがいい塩梅に保たれている人生を送りたいと考えているけれど
バランスなんて日々の忙しさや充実度によって簡単に崩れてしまうので、
凡庸だと感じる場面がある一定の基準を超えたときに、予測できない生活を求め「何者かになりたい」「何者にもなれない」と、感じるのではないでしょうか。
自分が何者だ、と確信できる日はきっとこなくて、
みなさんも私も、誰かにとっての「何者」で。
「何者かになりたい」「何者にもなれない」の悩みの根源は、”他者と比べること”なのかもしれません。
自分のできること、今いる環境は当たり前と感じてしまうけれど
きっとそうじゃなくて。
誰かのなりたい姿が「今の私」かもしれなくて。
「何者にもなれない」と、思い悩むことからは逃れられないかもしれませんが
既に自分は誰かにとっての「何者である」と捉えることができれば、少しは楽に生きられるのではないでしょうか。
ただ、現状に満足せず、”このままで良いのか”という問いから生まれる悩みでもあると思うので、
「何者にもなれない」と悩めることは素敵なことだなと、個人的には思います。
(悩んでいる人に失礼かもですが)
以上