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#196 ニーチェさんよぉ

本日は8時30分起床。寝坊が安定してきてしまっている。やばい。
しかし不思議と9時前には目が覚めるのは面白い。
昨晩は2時ごろ就寝だったので、もっと寝坊してもおかしくはないのだが。
睡眠時間ではなく、体内時計というタイムテーブルに則ってからだは動いているのだろうか?
中途覚醒はなし。

買ったまま放置していたレコードを流しながら本記事を書いている。
やはりメディアを入手するだけでなく、音楽はきいてこそのものだと痛感。
まぁ、楽しみ方は人それぞれではあるが、私はそのように感じているという話。

耳の許容領域が広がると価値観が融解して不安定になる。
要するに善悪とか優劣が解らなくなってしまうということ。融通が利くともいえるし、節操がないともいえる。
悪い方に転化すると「なんでもいい→どうでもいい」となり、虚無を引き寄せてしまう。
相対主義の問題のヴァリエイションだな、これは。ニーチェさんよぉ。って感じ。まんまそれやん。
一回壊して、自分なりに再構築して、しばらくはそれで安定しているが、いずれまた自ずと崩壊する。
なんだ、回復とか成長のプロセスと同じだな。ならば良い兆候と捉えよう。
そうした循環があと何度巡ってくるだろうか。
なんだか老人みたいなことを言っているな。まだまだ逝かんぞ、ワシは。

私は日本語以外の言語を扱うことが出来ない。
不幸中の幸いとでもいうか、これが役に立つこともある。
歌もの楽曲をインスト感覚で聴けるのだ。(阿保過ぎる)歌詞に付き合わなくてよいというのは中々の美点である。ストレスフリー。
私は日本語の歌ものを殆ど聞かないのだが、歌詞が邪魔だから・言葉の力が強すぎて疲れるから、というような理由によるところが大きい。
まぁ、それでも英語くらいはもう少し達者になりたいところ。
というかフランス語とかドイツ語になってしまうと響きが複雑すぎてやる気が出ない。やはり平均以下の日本人であろう私にとっては英語がギリギリのラインだと思う。
英会話はできないままでいいのだが、英文が読めないとちょいちょい不便を感じる。世界がとても狭まっていると感じる時がある。実用性という意味でも英語は重要だ。
でもやりたいことの上位に来ることが無いのでいつまでもやらずじまい。
基本的に私は強制されるなどしないと重い腰が上がらない質なのだ。
そりゃそうだよな、必要でもないことを積極的にやることはないのだから。島国万歳。ガラパゴス舐めんなよ!
必要に迫られないとできないっす。
ということで、やはり私の凡庸は極まってきている。

凡庸のくせに社会に順応できないってどうなのよ。
その凡庸さを全然活かせていないよなぁ。
凡庸にも種類があるのだろうか。そして、私の凡庸は人間社会の生活においてあまりよろしくないタイプのものなのか?

プライドの高さは生き辛さに繋がる。
本当に邪魔だと思う。
だけれども、矜持を持たぬペラッペラな連中を見ていると、ああはなりたくないとも思う。
やはり何事もバランスなのね。中庸を目指しましょ。

今回はここらでお終い。それでは、バーイ。


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