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なろうとすることは難しい

自分は正直言って大人になりたくない。
いつも通りの毎日を平然と過ごしていると、ある時に自分が成長してしまったと痛感する。
いつまで経っても大人になれない人もいる、なのに自分たちはカタチだけの大人になっていく。全て憎いと感じたその日はもう遅い
消えたいような気持ちの深夜2時、老けるように思い込んでいる自分をただ鏡でじっと見つめていても何も変わらない。
いつかを夢見たことも、いつかに絶望したことも、その全てがいつかを明るく見せる一種の思い込みのような気がしてきた。
いつかなる大人と言うステップのための下準備の最中、社会について自分は迷いが出てしまってる。自分たちを束縛している社会とはよく言うが、自分は束縛してるのは自分で、そもそも自由だからこそ多くの選択肢が生まれ、最も選ばれていることを普通と感じてしまう。ただ一番選ばれたの選択肢は大抵安定している。
選択肢を脳死で選ぶ人は、この凡庸な当たり前はダメと考える一般論の中で批判され過ぎたと感じる。
何かに挑戦するには今背負っているものが多すぎて一歩踏み出せない人、真剣に考えて出した結論な人などは、社会的には凡庸で個性のない人として扱われているのだ。
それは物凄く酷ではないか?自分がこれから真剣に考える際にも意識してしまったら自分は本当の意味での凡庸な人、大人になりきってるだけの人になってしまうんじゃないかと怖くなってきた。
大人になりきれていない大人が自分の最悪の将来像として頭に残ってる人がいると思うが、当たり前はまず取るべきで、そこからの枝分かれを重視するべきだと思っている。
「いつか考えることについて今考えると何だか苦しくなってくるような人は将来を深く考え過ぎず、当たり前になってもいい覚悟の方がいいかもしれない。」

そう自分に言い聞かせる事にした。

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