ぶんがく@明日の為に

バイト。警備員。47歳。男性。統合失調症。寛解。通信制大学中退。新聞。財テク。ダイエット。英語。モテない。マイナス思考。好きな事は考える事と眠る事。嫌いな人は嘘を吐く人。note歴2022.9.11~。このアカ2024.8.21〜。複業。自称小説家。

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バイト。警備員。47歳。男性。統合失調症。寛解。通信制大学中退。新聞。財テク。ダイエット。英語。モテない。マイナス思考。好きな事は考える事と眠る事。嫌いな人は嘘を吐く人。note歴2022.9.11~。このアカ2024.8.21〜。複業。自称小説家。

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最近の記事

僕の中の悪魔 3

第11話  幽霊 変わらない毎日である。 それなりに面白い毎日だった。 次はどんな本を読もうとかどんな映画を観ようとか、実際僕にはそんな事が楽しかったのだ。 僕は映画監督という夢から逆算して、現在何をすればいいのかという事を考えていた。 僕は、学校の勉強よりも本を読んだり映画を観たりする方が役に立つと本気でそう思っていた。 後から思うとバカバカしい話ではある。 実際そんなものには何の意味もありはしないのだ。 映画を観たり本を読んだり、そんな事で映画監督になれるのならば

    • 僕の中の悪魔 2

      第6話  白眼視 極めて退屈だった。 しかし、勉強をする気にはならなかった。 その事から僕は、学歴社会からは完全に脱落して行く事になったのだ。 僕は割と頻繁に西武池袋線で池袋まで行って、古い映画の2本立てとか観て新座にある実家に帰っていた。 僕にも堕落して行く事への恐怖はあったが、結局それもある意味どうでも良かったのだ。 旧友のトモキは、勉強の成績が僕よりずっと良かった。 中学の時から大概そうだった。 トモキは何処かの私立大学の推薦を取るとか言っていた。 僕は勉強か

      • 僕の中の悪魔 1

        第1話  因縁 という訳で私はこうして小説を書き始める事になったのだが、これには深い因縁があって、ただ因縁があるからと言って返り討ちに会う危険性もある訳でそう考えるといまいち書き始める事はできなかったのだった。 因縁があるからと言ってそれは現実的な話で、つまり小説の内容はただ内容である。 因縁とか関係ないと言えば関係ないのかもしれない。 私は現在47歳で、そう考えるとこれは約30年前の話になる。 これは、私が高校生の時の話だ。 私は26歳の時から統合失調症という精

        • 2日前から小説を書いてる。 興味ない人は無視してね。 通信制大学はやめる。

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        • 僕の中の悪魔
          3本

        記事

          精神科医に被害妄想だと診断されたからといって、闇雲に他人を信じるのは止めた方がいい

          精神科医には相変わらずお世話になっている 暫く週2でnoteに投稿していたけど、週1に戻す事にした。 多忙だからである。 という事で、週1~2回投稿するという事でいいのではないだろうか。 ところで、今日の本題は精神科医についてである。 自分は精神病患者なので、精神科医とはかなりの付き合いがある。 自分の記憶では21年以上前から結果的に20人程度の精神科医に診てもらっている。 或いは、現在は年間13回ぐらい診察してもらっている。 もっと頻繁に通院していた時もあるし、入院し

          精神科医に被害妄想だと診断されたからといって、闇雲に他人を信じるのは止めた方がいい

          悪意の活用

          文学と悪意 という訳なんだけど、ぶっちゃけ書く事がなくなって来た。 なので、こういう時は寧ろ本心を書くかもしれない。 書く事がある時には用意しておいた事を書けるけど、今日は訳の分からない事を書きそうだ。 とりあえず、自分は悪意が重要だと思っている。 他人に対する悪意だ。 と言うか、日本人には良い人が多いので基本的に他人に対する悪意は持たないかもしれないけど、自分は日本人だけど特に良い人じゃないので他人に対する悪意を持って生きる事は重要だと思っている。 例えば、こうして

          自分は確かに統合失調症患者なんだけど、不思議な自信が

          勝つために死ぬ事を正しいとは思わない ある意味では正しいのは自分だという自負があって、最近ではその孤独に疲労している。 自分は間違っているのだろうか。 或いは、正し過ぎたのだろう。 それにしてもそれだと、相変わらず自分が最強だと思っていないだろうか。 20歳の頃と同じ事だ。 つまり、正し過ぎる事には問題があるのだ。 確かに連戦連勝だ。 しかし、このまま勝ち続けてどうするのだろう? 孤独になって行く。 それは、一般的には理解されない。 もう47歳だ。 戦国時代なら死ん

          自分は確かに統合失調症患者なんだけど、不思議な自信が

          悪意の推奨

          人と同じである事に安息しない と言うか、人と同じ事をやっていては人に差をつける事は難しい。 同じ事とかただ自分がやりたい事とか。 或いは、差をつけるという立場にはないのだとしても逆転する事は難しい。 という事が言いたいのだけど、他人と同じ事をやる事に安息している人はもう少し頭を使った方がいい。 つまり、何をやるかという事を選択する時に自分だったら相対的に考える。 絶対的にこれをやらなければならないとは考えない。 どちらかと言えば相対的に自分の苦手な部分を克服するとかそう

          今更だけど、自己紹介 

          吉祥寺出身 とりあえず、自己紹介である。 ずいぶん今更だ。 もう2年以上前からnoteを書いている。 1度中断しているが。 既に短いプロフィールに色々書いてある。 なので、できるだけそれ以外の事を書こうと思う。 と言うか、あまり普段からプラス思考では考えないのでスキとか伸びないような記事を書いている。 明るい記事を読みたい人は、基本的に自分の記事は読まない方がいいかもしれない。 とりあえず、自分には精神疾患があり精神障害者だ。 その障害は後天的なものである。 それに

          今更だけど、自己紹介 

          自分も統合失調症患者だけど、自分は基本的に統合失調症患者の事が好きではない

          嘘を吐く 自分もまた統合失調症患者ではある。 しかし、自分は統合失調症患者の事がいまいち好きではない。 という訳で、今回はその理由を書いて行こうと思う。 まず統合失調症患者は嘘を吐く。 と言うか、嘘だらけで何が本当なのか分からない。 明らかに嘘を吐いているとしか思えないのだが、当事者はその嘘を相手が信じていると思っている。 そして、そういう自分を正しいと思っている。 嘘に何の正当性があるのかはこちらからは分からないのだが。 嘘であるという事は、本人がそうであると言って

          自分も統合失調症患者だけど、自分は基本的に統合失調症患者の事が好きではない

          割と本気で文章を書き始めてから5年で統合失調症と診断されて

          いい歳した大人が夢を見てはいけない理由 統合失調症に罹患した理由は、自分の場合大概文学だろう。 医者からは特に理由はないと言われたのだが。 文章を書くという事は、自分にとっては自滅だった。 しかし、当時他に選択肢があったのだろうかと考えればそれはなかったのだ。 若い頃の自分は自分が頭が良いと思い込んでいた為に、そっち系の職業に就く事は3年から5年あれば可能であると思っていた。 実際、そうは行かなかったが。 文章を書き始めてからちょうど5年経った頃、逆に自分は精神科に入

          割と本気で文章を書き始めてから5年で統合失調症と診断されて

          何ならnoteもXも、誰にも読まれない方が寧ろ自分には幸福であるのかもしれない

          他人をバカにして生きて来た人間の末路 実際noteに記事なんか書くからキツいのであって、そういう事もせずに昼間っから寝ていてもいいのだ。 しかし、時間が余るとnoteを書いてしまう。 或いは、noteにでもXにでも結局書いてしまうこの習性は何なのだろう。 自分が文章を書く事を志したのは、ある意味自分は頭が良いと思っていた為だ。 と言うか、自分は例えば運動神経がいいとか容姿がいいとかそういう事で生きて行く自信はまずなかった。 そう考えると最終的に残るのは、自分は頭が良いと

          何ならnoteもXも、誰にも読まれない方が寧ろ自分には幸福であるのかもしれない

          統合失調症患者でいまいち病識がない人が、普通にnoteとか書いていて驚かされる

          病識と痛覚 何となくnoteで他人の記事を読んでいて思ったのだけど、結構病識のない統合失調症患者がいる。 つまり、自分はおかしいと思っていないのだ。 自分の認識では、おかしいところがあるから精神科医はそういう診断をしているという事になるのだが。 自分は既に初診から22年目で、明らかに自分はおかしいし或いは当初は今よりずっとおかしかったと思っている。 自分は、何かがおかしいという認識がなければ半分は治療している意味がないと思うのだが。 少なくとも統合失調症は、病識がないと

          統合失調症患者でいまいち病識がない人が、普通にnoteとか書いていて驚かされる

          憂鬱な自分と、それを俯瞰する自分

          持続する憂鬱と、決めた事を決めた通りに 目が覚めると何時も通り憂鬱から始まる。 大概そうなのだが、だからと言って無節操にプラス思考で考えようとは思わない。 人生は上手く行かない事が当たり前で、都合の良い時だけプラス思考にしても結果が伴うとは思えない。 或いはそれは考え方の問題であって、今日書こうと思っているのは現実的に憂鬱な状態が持続しているという事である。 幾らマイナス思考で待ち構えていても、更にそれを上回る憂鬱が襲いかかってくる。 問題は相変わらず時間と金のバラン

          憂鬱な自分と、それを俯瞰する自分

          スキが多く付いている記事イコール良い記事、とは思わない

          主観的な著述と、客観的なスキ 自分が書いた記事であるのだとしても、何でこの記事にスキが付いたんだろうと思う事がある。 逆に、本当に思った事を書いたのに全然反響がない時もある。 スキが付くというのは著者がそう思っているというよりも、読者がそう思っているという事だ。 著者には結局、スキが付くか付かないか分からない。 この場合、重要な事は客観的な評価だ。 著者の実感で決まっている訳ではない。 しかし、書いているのは自分である。 だから、客観的な評価を得る前に必然的に主観的な著

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          統合失調症、22年目

          気が付いたら浦島太郎状態 そういう訳でもう統合失調症と診断されてから22年目になる。 長いのか短いのかよく分からない。 いや、ずいぶん長い気もする。 もう47歳だ。 47歳って、若い頃はずいぶん年輩の人だと思っていた。 問題はあまり精神年齢が変わっていない事だろうか。 それで年齢だけ増えて行くから、気が付いた時には浦島太郎状態だ。 それにしても最近では、平均年齢自体が上がっているからまだ平均年齢以下らしい。 現在の日本人の平均年齢は49歳だとか。 数字の事はどうでも

          統合失調症、22年目