投票はするが政治には疎く、県民でもないが、前某県知事のことについて、友人と風潮に圧されて「コソコソ」話していた違和感が「感」じゃなくなりつつある?人手不足のなか採用された部下との共通言語がないデキる人の困惑を見てきたこと、とりあえず大声出しておけ!が嫌いなのが違和感の根拠ですが…
社会生活をするためには言葉を覚えることが必要と長年の認識だったけれど、映像時代になってしまって知らない言葉を新たに覚える時間は激減。新世界への入り口は子供でも書籍だけ文字だけの時代は消えた。一目瞭然のゲームな社会、もはや共有しがたい文法の代りに共存のために習得すべきは?
【知らない】 「こんな事も知らないのか!」 そう言われたらこう返しましょう。 「こんな事も知らない人がいる、という事を知らないんですか?」と。 たぶん怒られます。 でも、赤ちゃんに対して 「こんな事も知らないのか!」 と言わないですよね。 いや、言った方が面白いですか。
【せ】「世界中と繋がれる時代」 ネットですぐに世界中と会話ができる時代。 言葉が分からなくてもスマホが翻訳してくれる。 実際に行かなくても素晴らしい景色も見ることができる。 でもね、やっぱり実際に足を運んで直接会うから経験って言うんだよね。 世界の共通言語が日本語ならうれしいな。
根拠に基づく教育とは 根拠に基づかない教育を考えればわかる 例えば 「私は信じている」 「去年はこうだった」 「私の経験では…」 では 根拠に基づく教育は 「過去のデータから予測すると…」 「目的から考えると…」 「発達段階の次の課題は…」 つまり 〝共通言語〟で語る
同じ物事を信じる事、必要な事? 無条件の愛にはそれさえもいらない 生きている でも生き方は個々自由に 千差万別あっていいのと同じように 信じている その信じ方は個々それぞれ自由でいい 愛する対象が信じる物事を信じる とても素敵な事 だけど 1人1人が 本当の自分で自然体で