(5)中華帝国の共通語は文語であり特権階級のみに通じる言語であった
漢語は中華帝国内で使われている言語であることは言うまでもないが、漢語は多くの方言に分かれていて、互いに通じ合わないことが多い。明朝までは、北京語は只の一方言に過ぎず、その上、山を越えれば別の言語が使われていて、互いに通じ合わないのが通常であった。
清朝になってから、満州人が北京に移住し、彼らの使っていた訛りの強い漢語が、従来の北京方言に取って代わり、新たな北京方言となったのである。満州王でもある清朝皇帝が、帝都周辺地域に彼等の「北京語」を流通させたために、北京語が北京周辺の広域で使われるようになった。
官僚になるためには、帝都の言葉を使えないといけないので、少なくとも故郷の言葉と帝都の言葉の二つを理解する事になる。一方で、官僚と地元の有力者が結託するのを防ぐための帝国の人事政策として、次の二つがある
・赴任する官僚の言葉が通じない地方に赴任させる
・赴任先の言葉を覚えられないように赴任期間を短くする。
これらの政策により、官僚が赴任した地方の利益のために働くことは困難となる。互いに通じ合わない方言を母語としている漢語族は、互いに理解し合うことが困難な言語環境にある。従って、漢語族は同じ言語を話す者同士が結びつく。互いに通じ合わない方言を話す人との交流は困難なのである。
互いに通じ合わない言語同士で会話することは、外国人と話をするのと変わらない。一方、文章を書いて読むことが、漢語族の唯一の共通の通信手段であった。つまり、書き言葉(以下文語と表記する)のみが、共通言語であり、話し言葉は、共通言語とはなり得ないことがこの帝国の言語環境の特徴である。
口語とは表現方法や文法が異なる文語をマスターすることは、長年の非常な努力を必要とするので、誰でもできる事ではない。従ってこの共通言語は帝国内の万人のための言語ではなく、文語をマスターしたごく少数者の為の共通語なのである。