ハレルヤ・保坂和志: 短い命を生きることだけがチャーちゃんのしたことで短い命の子は言葉を残さず、最後の呼吸で月を見上げて鳴いたらそれっきり飛び散って、光や風や波になる、姿も形も動作も残さず光や風や波になった、祈りと同じだ。私は人間としての宿命で心の奥の声を探り続けることになった。
さて、保坂和志『書きあぐねている人のための小説入門』を改めて読もう。そして、思ったことはどんどんつぶやいていこう。読書実況だ。
p60~ ・テーマはかえって小説の運動を妨げる 感覚的に思い出されたのが、自己紹介の窮屈さだ。 私は自己紹介を書くのが苦手だ。というか、好きじゃない。 妙なところで記憶力がよく律儀なので、書いたことに忠実であろうとしてしまい、身動きがとりにくくなる。
p89 登場人物に“役割”を与えない 安吾さんも人を類型的に扱わないということについて書いてたな。どこでだったけ。
p86 小説のネガティブな磁場に冒されないで、人間をポジティブに書く=何かを志向している面を書く 安吾さんの言っていたことと重なることが多い。 安吾さんは深刻ぶるのを本当に嫌っていた。 そして、良く生きるということを志向して書いていた。
「~ます。」という語尾と「~だ。」という語尾が混在している。 校正で直されそうな、ですます調とである調との混在に、その使い分けに保坂さんの「感じ」がでている。 「小説の書き方マニュアル」本では、こういう「感じ」は消されてしまっているのだろうか。今度試しに見てみようかな。
p101 停滞や歪みが起こるのが会話 映画監督の今泉力哉さんもツイッターで関連したことを言っていた。たしか、会話では同じ言葉を重複して言ってしまうことがよくあるから、映画のセリフでも敢えてそうしているとか、そんな感じのこと。
p194 小説には「笑い」が必要だ。 笑いは、とことん無意味でばかばかしくあるべきだ。 またまた、安吾さんと通じるところが出てきた。 安吾さんの『ピエロ伝道者』『FARCEに就いて』を思い出す。