無我

1984年生まれ。北海道出身。東京都在住。会社員。ものを書くこと、音楽を聴くことが好き…

無我

1984年生まれ。北海道出身。東京都在住。会社員。ものを書くこと、音楽を聴くことが好き。書評と日記を織り交ぜたような文章が好きで、そんなのばかり書いています。よろしくどうぞ。

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ぼくは論文が苦手だった/阿部幸大『まったく新しい アカデミック・ライティングの教科書』(光文社、2024年)

 学生時代、ずっと論文に苦手意識を感じていた。そもそも語学力が低く、だから論文を闇雲に読んでも頭に入ってこなかった。さらに、書くことも、エッセイの延長のような感覚で、強度の強い随筆くらいにしか思っていなかった。今から思えば、方法論や目的が全くわかっていなかった。  だから、研究の仕事を目指すのをやめてしまったのも無理はない。研究者の仕事は、教育や事務など複数あるだろうが、基本的には論文を書くことだと思う。私は、こう言ってはなんだが、当時、人の論文を読んでもあまり面白いと思え

    • 間違っていたから何だというのか/吉見俊哉『東京裏返し−−社会学的街歩きガイド』(集英社新書、2020年)

       子供は月のことを「あんぷちゃー」と言う。月と「あんぷちゃー」にどういう繋がりがあるかわからないけれど、絵本などで月が出てくると「あんぷちゃー」と言う。「あんぷちゃー」というのが何だか知らないが、彼が「あんぷちゃー」と言うんだから「あんぷちゃー」なのである。ソシュールではないが、そこに意味なんてないだろう。いつか彼は自分でそれに気づくかもしれない。しかし気づかなくてもどうってことない。間違っていたから何だというのか。  私たちの言葉には不完全なところがたくさんある。さまざま

      • 赤羽の町の人間らしさ

         休みの日には時々赤羽まで足を伸ばす。電車で一本。乗っている時間は10分強と比較的近い。下の電車には人がほとんど乗っていない。こんなに都心から近いのに、雰囲気として地方都市っぽさもある。都心の生活は余りにもタイトなので、時々、おおらかな空気が吸いたくなる。  赤羽だってもちろん都会であるには違いないが、少し緩い空気もある。カフェに入ると隣に座っていたおばあちゃんたちが、子供の頭を撫でてくれ、声をかけてくれた。地元の方も少なくなさそうだった。店員さんも声をかけてくれた。板橋区

        • 雨の匂い

           外に出ると雨の匂いがした。室内に比べて格段に情報量が多い。匂いも、風も、音も。息子は外に出るとハッと顔が明るくなった。鳥の声が聴こえた。誰かの姿が見えた。車の音がすると「トラック?」と当てずっぽうに言った。飛行機の音がする方を指差した。  今日は疲れていた。何も大したことをしていない。でも何もしていないなりの疲れがあった。会社帰りに神社の前のセブンイレブンに寄ると、好きな漫画の最新刊が出ていたので、迷わず購入した。妻の仕事が忙しいので、子供の迎えに行ってほしいと言われてイ

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        ぼくは論文が苦手だった/阿部幸大『まったく新しい アカデミック・ライティングの教科書』(光文社、2024年)

        • 間違っていたから何だというのか/吉見俊哉『東京裏返し−−社会学的街歩きガイド』(集英社新書、2020年)

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          誰の言うことも聞かない人/中溝廉隆『巨人軍vs.落合博満』(文藝春秋、2024年)

           落合博満のことを最初に認識したのはいつだっただろう。中日の頃に知っていた気もするし、もしかしたら巨人時代の落合が初めてだったのだろうか? ちなみに、wikipediaで調べると以下のようになっている。  右に書き足したのは、私の年齢である。たぶん、私が野球を一番見ていたのが、1996年とかその辺りだから、ギリギリでジャイアンツにいたくらいじゃないだろうか。ただ、それ以前にも、『燃えろプロ野球91』(だったか)というファミコンゲームをやっていて、それでは、中日に落合がいた。

          誰の言うことも聞かない人/中溝廉隆『巨人軍vs.落合博満』(文藝春秋、2024年)

          誰もがオアシスが大好きだった夏/OASIS「LIVE AT KNEBWORTH」(1996年8月10日)全曲感想

           オアシスのライブを映画館で観てきた。お気に入りのTOHOシネマズ日本橋のロビーは、以前あったグッズ売り場の棚もなく、ポップコーンを買う列もなく、やけにがらんとしていた。オアシスの映画って言ってもこんなもんなんだなと、少し拍子抜けした。ツイッターではすでに何人かのオアシスファンが熱狂的な感想を挙げたりしていた。開場時間になって入り口でQRコードをかざしてからも、誰も人がいなかった。もしかして貸切なんじゃ、と思った。それでもよかった。  上映会場は結構広い。私の席は5列目の通

          誰もがオアシスが大好きだった夏/OASIS「LIVE AT KNEBWORTH」(1996年8月10日)全曲感想

          月を見て「つき」と言う

           夜道を歩いていたら、小学生くらいの女の子が急に私の目の前に飛び出してきて「パパ見て、今日はスーパームーン!」と叫んだ。その子が走っていった方向を見ると、坂道の向こうに大きな月が見えた。とても明るく、周りの夜空まで輝きが滲み出ているようだった。少し赤みがかっていて、ただきれいというよりは、怖いような、少しぞくっとするような月だった。  現代人なので早速iPhoneを構えて月に向ける。でも何度撮ってもうまく撮れない。写真はいつも、実物の景色よりも貧弱だ。特に月の場合は撮るのが

          月を見て「つき」と言う

          どうしても読めなかった本/奥田知志『ユダよ、帰れ コロナの時代に聖書を読む』(新教出版社、2021年)

           長い間、この本は人から借りっぱなしになっていた。教会で知り合った方に勧められ、親切にも貸してくださったのだ。人から本を借りることが昔から苦手で、読まなきゃ、ちゃんと読まなきゃ、借りている時間以上にきちんとした感想を言わなくちゃ、とどんどんプレッシャーがかかっていき、読むことも返すこともできなくなる。昔からそうだが、今もそうだ。  特に、借りたものが良いものだった場合、きちんと読みたい気持ちがあるからこそ、返せない。この本がそうだった。最初の数ページを読んだだけで名著の予感

          どうしても読めなかった本/奥田知志『ユダよ、帰れ コロナの時代に聖書を読む』(新教出版社、2021年)

          1997年/『踊る大捜査線』『ビーチボーイズ』

           ここ最近、フジテレビが昼の時間帯で90年代のドラマを再放送してくれている。以前からそうだったのかもしれないが、あまり意識して見たことはなかった。私が意識してから観たものは『古畑任三郎』『踊る大捜査線』『ビーチボーイズ』だ。  特にここ最近、『踊る大捜査線』を観ていてすっかり懐かしい気持ちになった。1997年放映のこのドラマは、私が中学生の時に放映されていてわくわくした。東京臨海部の湾岸署を舞台に、織田裕二、柳葉敏郎、深津絵里、いかりや長介などが登場する。エピソードの細部ま

          1997年/『踊る大捜査線』『ビーチボーイズ』

          「わたし」という幻/佐々木閑・古舘伊知郎『人生後半、そろそろ仏教にふれよう』(PHP新書、2024年)

           人が苦手というわけではないが、人と会うと、楽しさと同時に必ず何か引っ掛かりがあり、少しの後悔や恥ずかしい気持ちを、一つは抱いてしまう。人と会わなければ、そういうことは感じないが、それでも過去のことを反芻して辛くなる。それに、厄介なことに、私は人とのコミュニケーションがなければ生きられないタイプでもある。昔からいつも、人と会わない辛さと、人と会う辛さを天秤にかけて生きてきたようなところがある。  すべてが流れてゆく世界の中で自分という存在ほど面倒なものはない。私はこう思う、

          「わたし」という幻/佐々木閑・古舘伊知郎『人生後半、そろそろ仏教にふれよう』(PHP新書、2024年)

          誰とも共有されるあてのない日記について考えてみる

           家のものを減らすというプロジェクトの一環で書籍を処分したりしているのだが、その一環で、昔のノート類を捨てることにした。私はとにかく昔から書くのが好きな人間で、そして実際に紙に書いたものを捨てられないという悪癖がある。昔のノートといっても色々あり、高校時代に詩を書いていたノートや紙、それに対する友人のリアクションペーパー、大学時代の授業ノート、大学時代に書いていた日記、そうしたものだ。  それらを一つ一つ、パラパラ眺めては処分するものとしないものとを決めていく。結果的に半分

          誰とも共有されるあてのない日記について考えてみる

          気の休まり/南直哉『苦しくて切ないすべての人たちへ』(新潮新書、2024年)

           最近は仏教の本の方が、キリスト教に関するものよりも心が休まる。それはなぜなのだろう? キリスト教については、膨大に必要な知識や書物や習慣があり、読んでいてあんなことも知らない、こんなことも知らないとプレッシャーになり、そうしたものに邪魔されて、無心で読むことが難しい。いつも、「こんなことも知らない。ごめんなさい」と心の中で謝りながら読んでいる。  一方で仏教に関しては、こう言ってはなんだが、どこか他人事というか、こちらも膨大な体系と宗派があるが、これに関しては素人として謙

          気の休まり/南直哉『苦しくて切ないすべての人たちへ』(新潮新書、2024年)

          あゆみブックスで最後に買った本/川原繁人『フリースタイル言語学』(大和書房、2022年)

           最近は年齢のせいもあってか、周りで結婚式をするというのをあまり聞かないが、たぶん年齢のせいだけでもないのだろう。なんとなく、みんなで公的な場に集まるというのもめんどくさいというか、社交やら社交辞令とかめんどくさいという時代なのかもしれず、そうだとすれば結婚式や葬式などはその最たるものなので、そういう式みたいなものは全体的に減っているようにも思う。  そんな私ももう10年以上前に結婚式を挙げた。仲の良い友人に来てもらい披露宴を開き、乾杯の音頭をゼミの先輩にお願いした。とても

          あゆみブックスで最後に買った本/川原繁人『フリースタイル言語学』(大和書房、2022年)

          犬の名は

           子供は車が好きだ。「男の子だから」とつい言ってしまうが、本当に男の子だから生まれつき車が好きなのかはわからない。でも、友人の子供のことを聞いても、男の子は車が好きな子が多い。回転しているものが好きなのかもしれない、大きなものが好きなのかもしれない。見たこともない工事現場の車を絵本で見て喜び、実際に散歩中に同じ種類の車が走っていて振り向く。本能がそうさせるのか。  子供は犬も好きだ。いつも「わんわん」と言いながら絵本を眺めている。絵本にはいろいろな種類のわんわんが出てくる。

          犬の名は

          本を捨てて部屋で過ごそう

           本を捨てようと思う。といっても文字通りゴミとして捨てるわけではなく、古書店などに売ることになる。色々あり、先日半ば自棄のような気持ちで本の整理を始めた。有名な片付け法に倣い、ときめかないものを片っ端から廊下に出していく。たくさんある。自分で買ったのに、持っていることで心の重荷になっているような本もある。おかげで部屋の本棚はだいぶ余裕ができ、引越し以来開けていなかった漫画と雑誌の入ったダンボールもほぼすべて開けることができた。  これは物全般に当てはまることだが、本を捨てる

          本を捨てて部屋で過ごそう

          夏の終わりの国際こども図書館

           台風の影響で週末はずっと雨だと諦めていたが、朝起きてみると雨が降っていなかった。前から子供を連れて行ってみたかった、上野の国際こども図書館に行ってみることにした。ここは元々国会図書館の一部だった建物で、何度か改築されて、今は児童書/絵本の専門図書館となっている。この街を訪れるのもずいぶん久しぶりだ。  国際子ども図書館には、これまでにも何度か来たことがあるが、とても気持ちのよい洋風建築の建物で、建築そのものは重厚だが内部はとても綺麗で、食堂があり、そこでカツカレーを食べた

          夏の終わりの国際こども図書館