
わたしが偏愛する5冊の本
わたしが偏愛する5冊の本を選んだ。
いまのところの5冊。
並べてみると、わたしは時代によって流される人間の些細な感情や日常の景色に出会うために、本を読むのかもしれない、ということに気がついた。

ヴァージニア・ウルフ「灯台へ」
色川武大「怪しい来客簿」
ジェームズ・ジョイス「ダブリナーズ」
セリーヌ「夜の果てへの旅」
保坂和志「小説の自由」(小説論三部作)
以下偏愛ポイント。
ヴァージニア・ウルフ「灯台へ」。
ある家族の一日とその十年後を描く。素晴らしい、完璧な小説だと思う。移り変わる自然、人々の繊細な感情。時間が無慈悲に押し流す、二度と現れない日常の瞬間。ウルフはその瞬間を言葉によって永遠に刻みつけるばかりでなく、過ぎ去る時間の儚さも美しく描く。
色川武大「怪しい来客簿」。
色川武大が出会った人たちのことを描いた作品。出てくるのは皆、屈託を抱える生き方を送った人たち。色川さんは冷徹な視点で彼らの人生を眺めると同時に不恰好な生き方を共感を込めて愛する。キリストの「隣人を自分のように愛しなさい」という言葉通りの人なのだ。
ジェイムズ・ジョイス「ダブリナーズ」。
ジョイスが描くダブリン市民たちは独善的で、小心で、間違いを犯し、失敗をするが、時に善良で寛大なのだ。最後の「死せるものたち」が本当に素晴らしい。生者も死者も分け隔てなく、全てを許すようにアイルランド中に雪が降る場面の美しさは比類がない。
ルイ=フェルディナン・セリーヌ「夜の果てへの旅」。
セリーヌが放つ罵詈雑言、悪態の濁流に乗せられて、体験するのは、戦争、差別、貧困といった近代の地獄巡りだ。彼は世界へ「否」を唱えながら、悲惨な方へ突き進む。私たちもセリーヌが描くグロテスクな救いのない世界に生きているのだ。
保坂和志「小説の自由」。
小説論。圧倒的。面白いが理解できたかはわからない。小説の面白さは、小説そのものが動いて問いや世界の不可解さを提示する未知の荒野に進んでいく感覚なのだ。その事に不思議な感動をした。小説のみならず表現に関心がある人は読むことをおすすめ。